2-4 マリオトラート

 ノアはルークと共にいることで学術都市ホートワープへ向かうことをガンドナに認められた。


 ホートワープの古本市場は、各国の書物や地図に歴史資料から伝承文学小説、紙を媒体としていればどんな情報物でも集まった。

 一つ一つの店の書物のタイトルや内容まで読んでいたら、日などすぐに暮れてしまう。ホートワープの名物であるその催し物は、歩くのも億劫であったロジェですら好奇心を刺激させられた。

 一件ずつよく観察すると、各々の店で収集している書物の種類が異なっている。

 その本の大きさ毎に位置も変えられ、内容や種別によって本棚に木彫りの装飾と彩色を施している店などが連なっている。

 煩雑的に籠に本が詰め込まれているという彼の想像はいい意味で裏切られた。

 ロジェは、自分の部屋に不要な物を置くことを好まない。面白そうな書籍などを見つけたり、読んで僅かに心揺らいだ物もあったが、手元に置く際を想像すると詰め込む空間などの兼ね合いから急にハードルが高くなる。


「ワイズシルトんとこの報告聞いたか? また金属塔が崩れたんだろ?」

「塔ってあとどんくらいあったっけ」

「さてなあ」

 店員達が雑談を交わす。地名や出身の街の苗字でない人間は、特別な役職についていることを示していた。

 セルベルクと聞けば貴族騎士の一人であると王都の人々が理解できるように、薬師長に位置する証としてバイシャを冠するように。ワイズシルトとは王立図書館の館長に席を置く者の名だ。ロジェはそう把握していた為、館長が自ら出向いて調査などを行っていくことを珍しいことと感じていた。

 彼は市場を楽しみながら、足の向く先は変わらず図書館である。


 王立図書館は崩落の日以後より封鎖されている区画があるものの、年々利用出来る箇所は増え続けている。借りる方法は棚にしまわれている本を取り出し受付へ運ぶか数冊の蔵書目録に読みたい書類の番号を記入して提出する二通りある。

 建国以前の書籍や持ち出し厳禁の兵法研究資料、遺跡調査や研究者の論文まで非常に充実した書物群が迷路のように壁の棚に収まっていた。

 彼が地下へ続く階段を降りていくとまた本の巣窟が広がっていた。帰りの道順を思い返しながら、市場から図書館までずっと歩き通した為の疲労感にようやく気づいた。

 休んでから番号通りの道順を進もうと決めた彼は、近くにある椅子に腰掛ける。

 図書館には熱心に本を読みふける学者が居るのだろうとロジェは思っていたが、そういった人間は非常に少ない。図書館の利用は、一階の貸出受付と印刷申し込み場がもっとも多く、他の階は閑散としていた。


 精霊学に分類された区画は、立ち入り禁止の文字が書かれていた看板が立てられていた。奥から、ささいな震動だけでかき消えてしまいそうな声をロジェは聞き取った。

「マリオトラートさん。私とあなた達でどの位のことができるのか知りたいです」


 子どもの声と想定した彼は、看板の先に進んで部屋を開けて明かりをつける。

「ここは立ち入り禁止ですよ」

「……」


 中にいた少女は、笑みのひとつ浮かべずロジェを見る。黒く艶やかな髪と瞳に、深い紅色のエプロンドレスと頭の大きなリボンが、彼女の生まれの良さを物語っていた。その細い腕には、天馬のぬいぐるみがしっかりと抱えられていた。気品を漂わせる少女は、形のよい唇を開く。

「つまらない大人ですね。そんなことしか言えないんですか」

「俺は喜ばせるために忠告しているわけではないので」

「名に契約を。理に制約を。魂に盟約を。汝愛する隣人を殺せ。かしずけ傀儡達」




 ハルシェとホートワープの間には鉄道が通っているが、歩きでも十五分もあれば着く距離なので、ノアの希望により移動手段には歩行が選択された。

「いやなんで? 車使おうよ。その辺に運び屋さんいるでしょ」

「ルークくん、傀儡師マリオトラートの精霊機械を知ってるか」

「あーあーあー聞こえなーい。僕をソッチの世界に巻き込まないで」

「村や町で、突然住民達が殺し合いを始める事件あるだろ。三年に一度から周期も短くなって今じゃ一ヶ月に一回ときた。事件の情報と被害者達の行動からやっと異変が始まる前に契約者らしき人間は全員王立図書館に寄っている所までは調べられたんだ」

「わあ、空が赤いや。さー希少価値上昇中の無愛想少年よ。そんな血みどろスリリング怪奇事件など調べてないで、帰ると宣言するんだ。今すぐ」


 ルークは早口でまくしたてる。

 彼は自身が腰元に下げている長剣の鞘や護身用の短剣と拳銃の感触に、いやな物々しさを感じていた。彼の会話の取り合わなさに、ノアはさらに言及する。

「おれが買い物の為に来た訳じゃねえって分かるだろ」

「分かんないね。お前が精霊機械なんてものに執着する理由も意味も。精霊が可哀想だから? 立派だよ。西へ東へ精霊機械探しに、契約者の説得に解放。……命がいくつあっても足りない」

「足りなくなったって続ける。やめたらおれの十年が無駄になっちまう」

「十年」


 十年という単語を思わず反芻したルークの脳裏に掠めるのは、崩落の日のおぞましい光景だ。

 ノアが精霊機械に解放術を施す理由に、彼はさしたる興味など持たなかった。


 先程までは、の話だ。

 環境すら作り替えるような莫大なエネルギーを抱えた存在……精霊があの災厄の原因だとしたら。疑惑を抱いた青年は仮定するだけふつふつと沸き上がる激情が奥底から這い出るを感じた。

「精霊機械が崩落の日に、どう関係するの」


 真実への糸口を握っている少年を前に、感情の置き所を見失う。

 天地がひっくり返ったような騒ぎになり、原型の分からなくなった父親や友人だったモノを埋葬する余裕もなかった当時の光景が頭から離れない。肌が、器官が、全身が覚えている。生涯忘れられない。網膜に焼き付いた地獄図、潮の香りよりなお濃く漂う鉄の臭いと死の――。


 彼は自然に剣の柄へ手をかける。

「お前、なにしたんだよ」

「……あの日、おれは」


 背後の殺気に反応したルークは咄嗟に剣を引き抜き、振り下ろされる薙刀の攻撃を逸らす。刃物が激しくぶつかりあう震動が、電撃が走る様な衝撃として彼の身体へ伝わる。

 初夏に似合わぬ厚着に紫の髪にヘッドフォン、黒く丸いサングラスのその商人は、同色の手袋で薙刀を掴んでいた。

「疾燕、さん」

「はい、こんにちはお二方。すみません」


 茂みから五体程の自立型機械が出て来る。オートマタと呼ばれる精巧な造りの機械とは違う不格好な物であった。けれどもそれらは改造や加工技術がまだ追いつかぬオートマタの金属の光沢が放たれていた。歩行可能なそれは、静かに赤く光る。


「あっし、買われましたので」

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