2-2 ロジェ・トルレイユ

 明朝には漁師達が仕事の準備をし、女性達はそんな彼らの為の弁当を作る。船乗りは航海の無事を精霊に祈り、蒼の海原へ出港する。

 それが港町ハルシェの、朝の日常風景だ。


 新鮮な魚介を売る市場を中心に、他の国々からの特産物が取りそろえられていた。本や芸術品、文化的価値のある品々をそのまま隣町のホートワープへ運び、代わりに最新の羅針盤や船に取り付ける機械装置を受け取る。


 潮風にのって海の香りが流れゆく、白い町並みは芸術的な美しさがあった。――数年前まで所々の地面がえぐれ、廃墟の町並みが連なっていたというのに。


 一つの民家に、女性と二人の薬師がいた。若年の女性は新しい皮膚の作られた足を、老いた薬師に見せる。

「ガンドナさんからいただいた傷薬、本当に良く効いたんですよ。ありがとうございますね」

「そう言っていただけると、薬師冥利に尽きますな。けれどタニアさん、くれぐれも転倒には気をつけて下され。それと裁ちバサミの出しっぱなしにも」

「反省します。そうだ。ガンドナさんにロジェさん。トルレイユからはるばるハルシェにまでお越し下さったんですから、観光でもいかがです?」


 タニアと呼ばれた女性は、そう言うと青年薬師を見る。

 ロジェは一重の薄い茶髪をしており、白の頭巾を肩から下げた青年であった。彼女は、そんな彼に自分の義理息子を思い出したのだ。


 この薬師の様にふっくらとしていないし生真面目でもなければ、瞳は藍色ではないし、髪の色は緑であるのだが。


 ガンドナはタニアの提案に頷き、人懐こい笑みを浮かべる。顔の皺がそれに伴って動き、よりその嬉々とした様子を明らかにする。


「それはいいですのう。看るもタニアさんで最後じゃし。儂達もこの様に人と接する以外、あまり動く機会もないから筋力が衰えていかん。ほれ、お前さんのことじゃよロジェ」

「俺は隣町のホートワープで開催されている古本市……は結構歩いてまわるんですよね。人混みもありそうですし。ですので、王立図書館に行きたいです」

「いかんのう。若い者が、そんないんどあでは」

「頑張って使わなくって良い言葉だと思います。ソレ」

 真顔で答えるロジェは、木枠の窓越しに広がる海を眺める。青年は、宿に残していた少年が気がかりであった。


 ノア=トルレイユはロジェの友人であり薬師の仲間だ。今回、彼はガンドナ達と足並みをそろえて行動するにあたり、人目を避ける様に顔や瞳を隠した。そうして他人の密集する、馬車や鉄道でここまで同行したのだ。


 別段普段と変わらぬ調子と態度であったが、大分気を張っていた彼はハルシェに着いた頃には緊張が解けてため息をついていた。

 ロジェは、教会近くの宿を取りその一室に入ると、ノアそのままベッドに倒れて込んだ。二人は、彼をひとまずは休ませることで意見が一致した。

 老人薬師は眠るノアから、頭まで覆っていたコートを脱がすと、上から清潔なタオルケットを被せて二人は仕事を始めたのだ。


 彼女に新たな薬を渡すと、夕食に誘われたが宿に人を待たせていると行って二人はその家を出た。

「ガンドナさん……」

「なんじゃ?」

「早くノアの所に戻りませんか。この辺りいやな噂聞くんです」


 復興と共に、豊かさを取り戻したハルシェは、以前よりあった貧富の差が一層激しくなった。

 駐屯している騎士団や教会付近であれば、まだ安全面は保証されるが、ひとたび一目の少ない場所に入ればどうなるか分からないのだ。

 人を売り買いする貿易商人の話を聞いていたロジェであったが、賑やかに笑い豊かな収穫を祝う人々や、心地の良い潮風に蒼穹の水平線に気を緩めてしまった所がある。

 教会付近の宿を選んだとはいえ、稀な髪と瞳を持つ少年を一人きりにする判断は誤りだったかもしれない。


 宿屋の雰囲気はチェックインした頃より落ち着きがなく、人々が騒然としていた。部屋から大きな音がしたという客の話を聞いて、ガンドナとロジェはまさかと顔を見合わせる。


 自分が何をもって、大丈夫などと思っていたかも分からずにロジェはほぞを噛む。

 老人の薬師より早く、青年は走る。普段から運動していない彼は、扉の前に着く頃には息切れを起こしていたが、気にもとめずに開けた。


 取り返しのつかない失敗をしたかもしれない。もしかしたらもう人買いの手に渡っているか。

 そうだ、いくらオートマタを倒せる子供だからといって。

「ロジェ。こういうのって、海に沈めていいんだっけ?」


 だからと。いって。

「……駄目です、ノア。過剰防衛です」


 部屋の乱雑とした中気絶している二人の大人には、容赦のない斬撃を浴びせられていた。今後のトルレイユの薬師および宿への評判など寝起きで不機嫌であった少年には、どうでも良いことだった。


 奇異な風貌の少年は宿までに始終感じていたまとわりつくような視線とて耐えはしたが、部屋にまで侵入をこころみる人間を前に、遠慮は必要ない。彼は出会い頭に円盤の機械にて梯子を出現させ、怯んだところを一気に襲いかかった。

 ロジェは大事に至らずに済んだと分かると、そのまま座り込んだ。


 治安保全を目的とする騎士団に身柄を引き渡し、事情などを説明し終えた頃に、三人は遅い夕食をとった。海老とイカといった海の幸の入ったパスタのジャガイモのポタージュとサラダの料理が並ぶ中、ノアは口の中を負傷しており果物のジュースをゆっくり飲むだけだった。


 静かな友を見ながら、ロジェは彼がトルレイユに訪れた時のことを考えていた。

 彼は出会った頃から、ずっと今の姿のままである。見た目は十歳程度だが、実際の年齢を数えたなら彼は二十になる。

「お前さんたっての希望じゃて、連れてはきたがのう。ノア、古本市と王立図書館は諦めた方がいいかもしれん。お前さんは人目につく」

「どこでだって一緒だ。こんなの」

「ノア、貴方はいつもこんな」

「いちいち気にしちゃいねーけど」


 ロジェは少年がコクロトへ赴いた時、十日程で帰って来ると告げながらひと月ばかり経ってようやく里へ戻った出来事を思い出す。年単位で帰らなかったことも、ある。


 この仲間の希望をなるべくなら叶えたい。ガンドナとて、気持ちはロジェと同じだ。

 髭をたくわえた老人は、そのうえでなお見送った方が良いと判断したのだ。

 ガンドナは先程ノアが受けた傷の大体の手当を済ませると、諭す様な声音で喋る。

「お前さんは人の好奇の目に晒されやすい姿じゃ。理解してはいても精神はまだまだ伴っておらん」


 老人であるガンドナも、戦闘経験のないロジェも少年を守ることは出来ない。

 ノアがオートマタと戦えるのは、対象への知識があるからに過ぎないのだ。

 ロジェは、ガンドナとノアの中間の意見を取れないだろうか思案する。

「ノアは隣町……ホートワープで探したい本があるんですか? 俺は明日向かうので、見つけてきますけど」

 ノアは首を振り、静かに一言だけ漏らした。

「本じゃねえんだよ」

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