1-10 シェイナルベーブ

 コクロトにある石造りの広場にルークはいた。昼の陽光を受けながら自身の元へと向かってくる気配に見当はついている。

「来ると思ったよ」

「言っとくけど、おれ神父さんと戦いに来た訳じゃねえから」


 緑髪の青年とあまり友好的な関係を築けていないことを自覚しているからか、ノアは真っ先に敵意がないと示した。

 相手も戦う意志はなかったが、子供であれ親しからぬ者の従順な態度を鵜呑みにして、警戒を解ける性格ではない。


「僕も気が乗らない。でもそうしなきゃ、村長との約束は果たせないんじゃないかな」

「駆け引きしてる場合かよ」

「……はあ。他の人相手じゃ絶対変人扱いされるだろうから黙ってたけど、お前は精霊なんての本気で信じきってるからいいか。僕これでも一応、精霊と会話できるんだよ。解放術だっけ、そんな重要な話、黙ってるわけないでしょ」

 他の人間に初めてそこまでの意見を吐き出してルークはふと、ある可能性にいきついた。

 幾万の術式にて精霊の力を制御し取り込み、利用する為に存在するのが精霊機械だ。施した術を解きかたを精霊自身から伝える自由など、製造者にとって不都合にしかならないものを与えるはずがない。

 思案を巡らせる青年の様子を観察すると、ノアは売り言葉を買うことはせず話を次の段階へ進める。


「精霊機械って言われてる通り、機械の本体はあったんだけど全部破壊された。……正しいやり方じゃなかった。精霊自体はその信仰が強くあった場所に戻れはしても、封印の術式が中途半端に残っているせいでちゃんと戻れてない。その術式をきちんと解除すること。性質上、契約してから契約者自身にそれを破棄させるしか手段がねえ」

「解放の機会を掴む為に契約し続ける訳ね。一生封印されたまま……か。ちゃんと戻るってのがどういうものかは知らないけど、お前に協力するよ」


 こんな物を誰が、どんな目的で造ったのか。どうしてノアはこれほど精霊機械に詳しいのか。

 ルークの心に疑問は多々浮かんだが、目の前の少年は自分と精霊との契約を解除出来るのだ。ならば他の謎は解明されなくても構わないと彼は自らの意見を固めた。

 空を仰ぎ見たあとに頷く彼の動作を、解放術に協力すると受け取った少年は気を緩めて一度息を吐く。




「僕が解放術になんて協力しない、お前とも戦うとか言い出してたらどうしたの?」

「あんまし、やりたくない方法使ってた。いいだろ、そんなの。神父さんが精霊機械発動させた時に文様が出たんだよ。おれ気付いたんだ。村の石壁に描かれてるのに似てる」

 そう言いながら朝の村を歩き進むノアに、ルークは盲点を突かれた気持ちになった。

 いつも燃やすべき対象を見ていたから、周りに浮き出て来る光を仔細に観察する暇はなかったのだ。


 ノアは小さな手帳を広げて、頭の中でこれから辿る道すじを想像する。

 商人に頼んでおいた、光の図形と一致する文様の場所が、そこには細かに描かれていた。その出来映えに、少年は満足する。

「おれ、その字が読めたり理解出来る訳じゃねえけど、あの時現れた模様を辿っていくことは出来る」

「道すじが解放術の意味を持つ……? 疑わしいな。お前、神父騙したら天罰下るよ?」

「精霊と仲良し会話してる奴が吐いていい台詞かっての。精霊のエネルギーに似た、魔素はおれ達も持ってる。おれらが歩けば一つの術式が構築されるはずだ」

「魔法技術には魔法技術ね。まあ、言うとおりにしてあげるよ」


 巨大な手引書に書かれている文字を全身でなぞる様に、二人は一定の区画を規則的に歩いた。

 大神殿の巡礼に似ているな。ルークは過去に体験した感覚を思い出していた。そして順番に沿って村を練り歩いて見ると、家の配置からその数、色から形までまるで魔方陣の様に計算された造りになっていることに彼は気付く。


 ルークは聖護符を握る。彼女の気配が、文様を通り過ぎる度に徐々に濃くなったのだ。

 今までも、彼女の感情が揺れる度に多少の変化はあったが、それを遥かに凌ぐ生命感だった。

 がんじがらめに縛りつけられた糸が、ほぐれていく。その彼女の無言の高揚が、彼にも伝わっていた。それが彼女も解放を望んでいることと確信させる。


 最終地点である村長の屋敷に到達した青年と薬師の二人組に、書類の仕事も程々に休憩を取っていた村長が声を掛ける。

「やあノアくんルークくん。どうしたんだい二人とも」

「そうだ村長さん。休みがてら見に来ない?」

「なにかあるのかな、仕事より大事なのかい?」

「あんた仕事しねえだろ」


 村長はノアの毒舌に対して、特に気にも留めず紅茶をゆっくりと口に運ぶ。

 使用人達は少年に気遣う様な笑みを見せながらも、日常茶飯事である村長の能天気な行動をさして咎めず各々の仕事に戻った。


 ルベーブは、相変わらず葉を一つもつけず存在していた。

 聖樹と呼ばれているこの樹に、ルークは当初疑惑を向けていたものだ。

 大樹というにはあまりに弱々しく。聖樹と敬うには、みすぼらしい。


 けれど今ならそれが真実の様にも思う。なにより自分の下げている聖護符を通して、主が叫ぶのだ。

 早く、早く、早く、早く。と。

「言わないと駄目なんだよね。やっぱ」

「安心しろ。これで駄目だったらあんたが一人恥ずかしいだけだから」

「そっか。よーし、失敗したらお前をこの樹に宙吊りしてあげよう」


 そんな軽口を二人で言い合いながら、ルークは樹に手を添える。

 散らばった文様を、正しき道順で進みここまで来た。

 大気になにかが満ちあふれている様な奇妙な感覚の中、彼は口を開く。

「ルーク=ハルシェが三つの誓いを、今ここに還す。この名を、この鎖を、其の名を」


 完全な帰還を果たせぬまま、愛する大地をずっと眺め続けていた精霊は思っていた。

 なんて、遠いのだろう。と。


 いつか訪れると信じた、悪夢が終わる目覚めの瞬間は今であった。

「シェイナルベーブ」


 突然蒼の光が町長の屋敷から放射状に放たれた。

 石壁に草花が咲き踊る。荒涼としていた山は緑に埋め尽くされ、村を取り囲むかの様に樹々は急激な成長を始めた。細い幹達は太く逞しく伸び、葉を繁らせて活力をみなぎらせる。

 今の季節に決して芽吹く事のない植物達も一斉に目覚め、ルベーブの薄水色の花弁は至る所に舞う。

 花弁の通り過ぎた場所からは、色とりどりの植物がその行き先を見届ける様に開花する。

「どうした!」

「一体……これはどういう事?」


 地面の揺れに驚く人々は、家を出て周りの様子を見てさらに衝撃を受けた。不安定な建物。子供の頭上に落ちそうな花瓶を、丈夫な蔓が受け止めた。

 それにほっと胸を撫で下ろした母親は、花瓶に飾っていた花がみるみる成長し、種を飛ばして仲間を増やし一面に花園を作ってしまう所までは見ていない。

 平原の草はより一層の瑞々しさを得て、祝福するかの様に数多にある花は大風に乗って綿毛を飛ばす。


 最初は戸惑っていた村民達は徐々に可笑しさと楽しさと不思議さに笑い合った。大気に満ちる花の香りに酔いしれるように愉快げに喋り出す。


「な、に……」

 下の村が宴を始め出しそうな位に気分を昂らせる中、この事態を引き起こした当の本人は唖然としていた。

 機械と精霊機械は異なるとノアは断言する様子であったし、その違いもルークなりに理解していたつもりである。

 だが心のどこかで、機械の中には精霊機械と同様の効果を発揮する物があるのだろうと思っていた。精霊との会話や強力な炎を出す程度なら、少年が持っていた円盤の方が便利ではないかとさえ。


 傍にいる村長は思わず紅茶の入ったティーカップを落としかけている。

 木々が何百と増え、幾百種類を越える花の香りが漂う。まるで大地の楽園をあらわした光景に、ルークもタウラも未だに幻を見ている気分になった。

 村長は安穏と風景を眺めるノアに喋りかける。


「地形が、変わった。いや、環境まで変わってしまったのか……? あの山が、村が、すっかり花と緑に埋まっているじゃないか」

「しばらくしたら落ち着く。今ちょっとはしゃいでるだけだろ。樹は元気になった。これで依頼は完了だ」

 変わらぬ調子で少年はそう言うと、村長の飲んでいた紅茶を奪い一気に飲み干した。

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