1-9 少しだけ昔の話

 崩落ほうらく。王国の南東に位置する港町ハルシェは壊滅的被害を受けた。現在は以前の明るさを取り戻すほど復興作業が進んでいるなか、機械へ憎しみをいだく者は少なくない。

 壊されたから、殺されたから、奪われたから。

 ルーク=ハルシェもまた、その例にもれなかった。


 今は亡き彼の母は、子供を生きる理由にすることが出来ず父の元へ旅立った。彼は彼女の形見である聖護符を手に、生前の母が望む通りに教会で働く道を選んだ。彼自身、そうすることで父や母の魂が慰められるだろうと信じたからである。

 茫洋とした意識の中で雑務をこなす日々の中、彼はクオーツ=フィテーレ神父に声を掛けられた。


 王国の中心である王都より東の地域は、クオーツにとってなにが起こるか分からない地である。

 布教活動をする際に連れ歩く教兵達に心もとなさを感じたクオーツ神父は、ルークに補佐もとい護衛をさせようとした。


 その若者は剣の腕が立つ、なのに教兵の道に進まず上を目指そうという野心もない。崩落の日により教会の人員や層が薄くなったため、十七歳という若さにして自分と同じ地位をえている異例の人物であった。クオーツはそう認識している。


 巡礼の際は、教兵を同行させるのが常だ。教兵とは体術や棍棒、鎚を用いて倒す戦闘技術のある者であり、教会はこの者達に護衛や戦闘面を任せている。

 近頃は崩落の日の一件によって、教兵の装備を見直す動きが起こり、刃物を扱うことや機械の使用による退治も認可されていた。

 神父も刃物の使用許可は出ているとはいえ、それでも戦闘は教兵の領分である認識は根強い。今でも神父が武器の類を持つだけで、周りは信仰を疑い怪訝けげんな顔つきをする。

 教会の人間でも日常として髭を剃ったり、果物などを切る為のナイフや薪割りの為に斧を用いる。が、生命の血を散らせる戦闘とはまるで訳が違うのだ。


 神父の中でも、ルークは戦闘技術に長けていた。加えて、提示する金額さえ用意出来れば教兵まがいの仕事も平気で行なうと知られている。

 クオーツは同じ教会に身を置く聖職者として、自らの体をあからさまに金稼ぎの道具としている姿に侮蔑の感情が芽生えた。他にも人間はいたが頼りにならなそうな者ばかりであったので、その感情を押し殺し、彼を尋ねることにしたのだ。

 返答はこうである。

「一日の護衛は三食の食事と休憩ありの銅貨十六枚。金額は上乗せしません。一日銅貨十六枚。これを守っていただけるなら、狼だろうが夜盗だろうが、オートマタだろうが倒しましょう」


 ルークは、これを教会最後の仕事にしようと考えていた。

 王都から田舎のコクロトまで一直線であれば、行き帰りにかかる日数は十二日で銀貨三枚と銅貨四十二枚である。だが布教活動である以上、各町や村などで教えを説いたり旅路の途中で話をする為、移動に汽車や馬車は使わない。

 コクロトを含めて最低六カ所の町や村に行くだろう、日数は二十三で銀貨七枚銅貨十八枚程の旅になるとも計算して。

 ふたたびこのフィテーレに帰還したら故郷のハルシェに帰り、義母に今までの稼ぎを渡して父と母の墓参りをしたら自分に合った仕事を改めて見直す。


 一方のクォーツは眉間に深い皺を寄せ不愉快をあらわにしていた。

 軽妙な喋りと笑みを浮かべる姿に対して、自分の心からの頼みが緑髪の若輩者にとって、つまらない物の様に感じられたからだ。動物や機械に怯えるこのクォーツという男が、小さい人間だと。


 書架に向かうルークに、クォーツは苦言を呈する。

「どうやらキミは少し勘違いをしているんじゃないか。キミのような年頃の人間が、今の地位にいるのは周りの協力があってこそだ。あまり誰かを突き放す様な物言いは、争いを生む結果にしかならんよ」


 この時、ルークがそれをただの空耳として歩みを止めずに進んでいればまた未来は変わっていた。

 クォーツからの不興をこれ以上に買わずに済んだし、夜中に支給された武器が粗悪品にすり替えられることもなかっただろう。

 凶暴な狼の群れの中に一人置き去りにされることなど決して。

 けれど。彼は振り向いてしまった。


「勘違いされているのは貴方だ、クォーツ=フィテーレ神父。貴方と僕は立場上対等の人間です。もっとも、先に就任しているという点で、貴方は先輩です。僕もまた、それに関して敬意を表すべきなのでしょう。けれどもこの遠征に限るならば、貴方は僕の力を金銭で買った身だ。状況を理解されては如何ですか」




 森から平原へ抜ける。剣はなまくらで棒としてしか扱えず、ルークは憎悪すらあった機械の銃にさえ手を出したが、弾薬は尽きていた。

 言い逃げ出来ると確信していた中年の神父に即興で返答してしまえた彼の誤算は、クォーツが想像以上に狭量であった点だ。


 腕の血の匂いを辿って狼が来る姿は、容易に予想がつく。村民から武器を借りれないかと彼は逡巡した。

 そうしていると、彼の耳にどこからともなく女性の声が届いてきた。


『私は聖樹の精霊』

「村の人かな。危ないから家に戻って。ああっとごめんね。怒ってる訳じゃないんだ。僕もお喋りしたいんだけど、ちょっと取り込み中。後で話そう」

 切羽詰まった口調で喋りながらルークは辺りを見回すが、陽がすっかり落ちてしまった森の暗い視界の中では、守るべき人の姿を確認出来なかった。

 村の人間であったら、避難させなくてはと内心に焦りが生まれた。自分がやられてしまえば、狼達はその若い女性を襲うのは想像に容易いからである。


『貴方は誰?』

「セージュちゃんだっけ。僕はルークだよルーク。ハルシェのルーク。どこにいるの? くっそ、あの神父っ死んだら絶対恨んでやる」

 気配が濃くなる、おそらく後数秒で狼が一匹、こちら目掛けて飛びかかってくるだろうと彼は予想した。

 数匹分の相手は難しい。


 そんな状況を知らぬとばかりに、女性の声はさらに言葉を続ける。

『ルーク=ハルシェ』

「セージュちゃんでしょ。そうだ、火点けられる道具持ってるかな。それならあいつら追い払えるかも」

『火? お喋り? 聞く前に望みを言うなんて、ルークは変ね』

「自分を精霊っていう子も変でしょ。けど、精霊がいるなら、可愛かったりきれいな女の人が良いとは思ってたんだ。セージュちゃんがそうって訳?」


 おどけながらも、ルークの頭は徐々に冷えていった。

 喋るほど、冷静になってしまったのだ。


 真っ暗な森から月明かりの差し込む平原に出てからは、夜目は利いている。

 それでも森を抜けてから平原に出た時、声と会話を続けている今ですら、人の気配は全く感じない。だというのにその音は常に一定の距離から聞こえる。

「幽霊……、それとも本当に精霊?」


 ルークはコクロトの精霊が宿る聖樹の話を聞いていた。

 その名を、必死に記憶からたぐり寄せる。


 一匹の狼が飛びかかって来た。

 剣で防ぐが、刀身はすぐに噛み砕かれる。その行動を把握していた男は爪に捕まらぬ様素早く懐に入りこみ、拳で力の限り殴りつけた。

 獲物からの重い打撃に怯んだ狼は、距離を離して唸り声を出す。歯を剥き出す獣は、月の光に照らされて口元のよだれを光らせていた。


 こちらに走り込んでくる何匹もの獣の気配を青年は全身で感じる。

 今度は、無事では済まない。


 姿の見えぬ声は未だに響く。

『音声認識完了、契約者ルーク・ハルシェ。詠唱コード』

「きみ、は」


 脳裏に呪文が刻み込まれる感覚を受けながら、ルークはその日はじめて精霊機械を使った。


 その頃から、彼は聖樹を名乗る者が見たもの聞いた出来事を彼自身に負担のない情報量で送られてくる<知覚ちかく>。そして彼の視界の範囲内にて、望む規模の炎を巻き起こす<灼熱しゃくねつ>の二つ能力を得た。

「確かに、僕はきみとのお喋りとか、火を望んだね。はっきり覚えてるよ……きみとお話をずっとし続けるのとかも、僕としては嬉しいんだけど」


 馬車の中のある旅人の話にて、精霊機械という存在を知った彼は、非常に厄介な物を抱えてしまった現状に気付く。


 単純な思考がそのまま口に出るのか、酒で饒舌になった旅人の話は続いた。

 持ち主の願いを叶える。契約。契約者を始末して、そこに自分が新しく。

 要点は聞いたとばかりに、青年は聖護符を手から放す。


 精霊と話せるのは楽しくて面白い。炎を巻き起こすのは、爽快だ。オートマタが跡形もなく灼き尽くす光景を生み出すも夢ではない。崩壊を続ける町を、なおも攻撃し続けていく機械の姿を思い浮かべた。あいつらが奪った物の数だけ、それ以上に壊す。

 昂りは瞬時に憎悪に変換され、彼の心を爆発的に燃え上がらせた。破壊の衝動があらゆるモノを灰に、無に、還してしまおうと叫ぶ。


 けれど。

 そう、彼の冷静な部分が語る。


 ルークは大恩のある義母がいるからこそ、教会の規定に反しない限りの金稼ぎはした。本来の彼は、叶うなら手の届く範囲のささやかな幸せを掴みたい人間だ。

 機械に人生を狂わされた自分が、機械のせいで身を破滅させるなど不本意この上ない。

「……。契約って解除出来ないかな」


 誰にも知られない内に、契約とやらを解除しよう。

 それが彼の結論であった。


 ルークは村の中や孤児院、いたる所でそれとなく情報を集めようと顔を出してはいつも何も得られず、かわりに住民との親睦が深まった。そして、幼なじみとの予期せぬ再会も。

 わずかな手掛かりは聖樹ルベーブであるが、そこからどう進めばいいのか彼には見当がつかず、精霊も沈黙を続けるのだ。


 解除の方法を、精霊は全く語らなかった。その話になると彼女は喋らなくなるのだ。彼は、もしかしたら自分と会話出来なくなることに、寂しさを感じてるのだろうかとも思った。

 尋ねた後の返答が、悩みの種を増やすものかもしれないと感じた彼は、口を閉ざした。ずっと一緒にいたいなどと言われたら、返答に困る。


 聖護符を握る時しか響かない彼女の音は、ある日恐怖を伝えてきた。

『この村に、変わった男が来るの。私は、その男がこわいの。どうしてか分からないけど』

「きみを狙ってるの? まさか壊しに? きみを知っているの?」

『知ってるはずだと、思うの。分からない。ごめんなさい、上手く言えなくて』

「分かった。来たら追い払うよ」

『どうして私を信じてくれるの?』


 彼女は惑う。数ヶ月ばかりの付き合いだが、彼が機械に好ましい印象を受けていないことは理解していた。

 兵器じみた側面を持つ自分に差し伸べられる信用が理解できない。


「信じるよ、友達の言うことなんだから」

『……ありがとう、ルーク』




 彼女は正しかった。

 それがルークの結論である。


 異質な風貌の男は来た。しかし、年端も行かない様な少年だ。

 彼女は彼をこわいと言った。でも、彼はディアに協力しオートマタを破壊して村を守った。


 ノアに対して、疑問や不審に思う点はある。あるのだが。

 特に少年の口から出た解放術という単語は、彼には無視できないものだった。

 それは――自分の望むところの契約の解除に繋がるものではないのだろうか。

「ルーク?」


 精霊がルークを気遣った。そして彼もまた同様に、彼女に心配させまいと笑顔を作る。

 彼はなるべく彼女を傷つけない言葉を選んで、優しく語りかけた。


「きみを疑っている訳じゃないんだ。ただ、きみのノアに対する恐怖心は、暴力に破壊や強奪。そういうマイナスの意味は、持たないものなんじゃないかな」

 沈黙する彼女にルークは、今自分が口にした疑問は配慮に欠けていただろうかと、考えた。

 つい何ヶ月か前に、それが災いして危うく命を落としかけたのだ。

 狼から受けた傷を思い出し、彼は咄嗟に右の腕を押さえた。


『彼から、圧迫感は今もあるの。けど、嫌じゃない。それにあの子は良い子なんじゃないかしら。ディアを助けてくれたわ。人見知りのネリネも、頼っていたし。それに、なんだか私に似ているわ』

「良い子かなんて僕には判断出来ないけどね。ただ、きみに悪さを働く様には感じなかった。きみの、こわいとか圧迫感っていうのは例えば……」

 その先の言葉を飲み込み、彼は静かに決意して立ち上がった。


 例えば。

 己が種族の頂点。

 ――ひれ伏すべき王に畏れを抱く様な。

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