第65話 白川さんが気づいた事

 ◆


 僕はそろそろ水族館の動画撮影もしなければならない。

 もちろん白川さんも僕同様、撮影を始めたほうが良いに違いない。


 そう思い至った僕はひとしきり白川さんと笑い合った後、おもむろにソファーから立ち上がった。

 そして、ソファーに座って僕を見上げる白川さんの前に立つ。


「白川さん、良かったら僕と一緒に撮影をしてまわらない?」


 そう言って僕は白川さんに右手を差し出した。

 その行動は、少し前の僕なら白川さんからの拒絶を恐れ、躊躇ためらってしまうような行動だった。

 だが今の僕は、恐れてばかりでは彼女の事を理解出来ないと分かっている。

 だから僕は少しだけ勇気を出し、彼女の境界線の内側に足を踏み入れてみることにしたのだった。


 白川さんは僕の差し出した手を一瞬だがジッと見た。そして躊躇ためらいがちに「……うん」と言って僕の申し出を了承すると僕の手を取り、立ち上がろうと腰を浮かす。

 その時。

 立ち上がろうとした白川さんが、床のカーペットに足を取られ、ふらついた。

 危険を感じた僕は、とっさに彼女の体を支える。


 そして僕らは、思いがけず抱き合うような態勢になってしまった。


「……ご……ごめんなさい」


 僕の腕の中で、白川さんが慌てたように謝罪の言葉を口にする。


「……ううん。大丈夫? 足、くじいたりしてない?」


 そう白川さんの無事を確認する言葉を口にしながら、僕は彼女の温もりを感じて内心動揺する。耳元ではドクドクと心臓の音がし始める。


 僕の心臓の音、白川さんに伝わっていないよね?


 僕の脳裏をそんな不安が過る。

 だが、白川さんは僕の鼓動の音には気づいていないらしく「……うん。……平気」と僕の胸元で返事をする。


 声が近いッ!


 僕は普段より近くで聞こえる彼女の声と、初めて感じる彼女の体温にドキマギしながら「……そう。良かった。暗いから足元に気をつけてね」と平常心を装った言葉を白川さんに掛けつつ、彼女からゆっくり体を離す。


 ……本当はもう少しこのままでいたい。


 だが、僕にそんな願望を実行に移す勇気は無い。白川さんの温もりを名残惜しく思いながら、最後まで白川さんに触れていた手を彼女から離した。

 白川さんはうつむいて「……あ……ありがとう」と小さな声で僕に礼を言う。突然の出来事に驚いたのか、彼女の声にも動揺が混じっている。

 白川さんもこの事態にどう対処するべきか戸惑っているらしい。


 まあ、無理も無いよね。

 恋人でもない男と抱き合うような態勢になったんだから。


 彼女の反応は尤もだと思った僕は、兎にも角にもこの場をつくろう為に言葉をつむぐ。


「じ……じゃあ、まずはこの大きな水槽から始めよう! イルカショーのお陰で人が少ないうちにさ!」


 僕は気恥ずかしさを振り払うように、元気良くそう言う。

 すると白川さんも僕の言葉にホッとした表情を見せると「そうね」と言って、ぎこちなく微笑んで同意する。

 そして僕らは、僕の言葉を合図に水族館の動画撮影を始めることにした。


 ◆


 僕と白川さんの動画撮影は思った以上にスムーズに進んだ。

 スマホでの動画撮影のポイントは、サークル活動時間に良周よしちか雄太ゆうたから教えてもらっていた。その為、特に困る事無く撮影出来た。

 僕と白川さんは撮影のし始めこそ先程の出来事の所為でギクシャクした。だが、お互いに先程の出来事はアクシデントだと分っている。その為しばらくするうち、お互いにいつも通り接することが出来るようになっていった。


 そろそろイルカショーも終わる頃かな?

 でもショーを見ていた見学客の大部分は順路通りに見学を始めるはず……。

 僕と白川さんはもう見学路を半分以上歩き終えているし、しばらくは僕らが人の波に飲まれるってことは無いよね?


 僕はそんなことを考えながらキョロキョロと辺りを見回す。

 僕らの周りには僕と白川さんを含めて数組の見学客がいるのみだ。

 すると、クマノミの泳ぐ小さな水槽をかがんで撮影していた白川さんが「……そう言えば、私が」と言って撮影を止めると立ち上がり、僕の方を向いて何気ない調子で話し出した。


「YouTubeとテレビの違いについて知りたいって言っていたのを覚えてる?」と白川さん。

「YouTubeとテレビの違い?」


 何気ない調子とは言え白川さんの急な発言に、少し驚いた僕は反射的にそうき返した。だが直後、デジャヴを覚える。


 あれ?

 全く同じ訊き返しを以前、したことがある気がする……


 そう思った瞬間、白川さんと初めて話した日に彼女が言っていた言葉を思い出した。


『YouTubeもテレビも映像コンテンツでしょ。でも、全然別物だって思わない?』


 確かこんな言葉だった。


「サークルに入りたいって、言ってくれた日にそんな事を言ってたね」と僕。

「うん。それについて、このサークルで皆としばらく活動してみて、少し分かった気がするの」


 白川さんは僕の言葉に頷きながらそう言った。


 そんな事に気づけるような活動をしてきたかな?


 僕は白川さんの言葉に疑問を覚える。

 何せ僕たちのサークルはまだ出来たばかりだ。自分たちの今までの活動に、白川さんが言うような『YouTubeとテレビの違い』について想起させるような事があったとは僕には思えなかった。

 僕は無言で頭をひねって見せることで、見当が付かないという意を白川さんに伝える。

 僕のジェスチャーの意図が通じたらしく、白川さんはクスリと笑うと話し出した。


「以前の私はネットで動画なんて見なくても、テレビで充分だと思ってたの。バラエティやドラマ、歌番組。プロが作ったクオリティの保証された番組を見きれない程テレビで沢山放送しているのに、どうしてネット動画まで必要なのかな? って」


 黙ったままの僕の方を見ながらそう言うと、白川さんはクマノミの水槽に顔を向け「でもね」と言って言葉を続ける。


「高橋君や他のサークルの皆が、楽しそうにうちのお父さんの作った動画を観てくれてたり、真剣に動画を作るための環境を整えている姿を見て、プロとかアマチュアとか関係なく、動画を作りたいって思っている人みんなにチャンスをくれるのがYouTubeみたいなネット動画の良さなのかな? って思えるようになって来たの」


 そう言い終わると、白川さんはまた僕に向き直り「まだ始めたばかりで分からない事だらけだし、そのうち意見が変わる事があるかもしれないけど……。でも、今はそう思えるんだ」と言葉を続けて、少し恥ずかしそうにしながら僕にニコリと微笑んでみせた。それから何か思い出したように「あッ!」と声を上げると、尚も彼女は話し続ける。


「寺田君のはダメだと思うけどね!」


 白川さんは困ったように笑って、そう言葉を付け足す。

 もちろん白川さんの言う『アレ』とは恭平が早食いで喉を詰まらせた事だろう。確かにアレは危険だった。僕もそれについては、もちろん白川さんの意見に賛同する。


 それにしても、動画についての白川さんの気持ちがサークルに入ったばかりの時より良い方へ変化したことが分って、僕はなんだか嬉しくなる。そして、白川さんの話に応じようと口を開いた。


「僕も白川さんが良いねって言ってくれるような動画を撮れるようになりたいな」


 僕がそう言うと、白川さんが目をパチクリとさせて「そう言えば今までいた事無かったけど……」と言って、僕に疑問を投げかける。


「高橋君って、どんな動画を作るか決めたの?」と白川さん。

「うん。一応ね」


 僕は頷きながら彼女にそう短く答える。


「どんな動画にするか、訊いても良い?」


 興味有り気だが、低姿勢な物言いで白川さんが僕に訊ねた。


「実はね。今日の水族館の撮影で撮った映像をただの練習素材にはせずに、これを使って僕の最初の投稿用動画を作ろうと思ってるんだ」


 僕はそう言いながら、手にしている自分のスマホを掲げて見せた。


「今撮っている動画で?」と白川さん。

「うん。練習も兼ねつつ、でも本番のつもりでね! まあ、上手く撮れていればだけど……」


 僕はそう言って、苦笑いしてみせる。


「一石二鳥を狙うわけね……。上手くいくと良いね!」


 白川さんの的を射た発言に、僕の苦笑いは一層濃くなる。


 サークルの他のメンバーから後れを取っているという認識がある僕は、そろそろ投稿出来る様な動画を作りたいと考えていたのだ。

 動画研究会に入った直後から、僕はどんな動画を作ろうかと頭を悩ませていた。

 動画のネタを考えながら過ごす日々。そのうち、僕はいくつか動画に出来そうなアイデアを思いついた。

 そんな時。思いがけず水族館に来ることになり、僕は温めていたアイデアの中に水族館の撮影に向いているものがある事に気がついた。

 そしてこれを好機だと考えた僕は、アイデアの一つを実行しようと決めたのだった。


 ここで撮影した映像を素材に、僕の最初の投稿用動画を作るんだ!

 練習で撮ったものが本番にも使えれば、一挙両得。

 上手くいけば、皆から遅れがちな今の状況を挽回出来るかも。

 やってみる価値は大いに有る。


 そんな事を考えながら僕は今、撮影を進めている。


 それにしても……

 まさか実行予定のアイデアを選んだ理由を……言い当てられてしまうとは……


 白川さんの勘の良さに、僕は思わず舌を巻く。


「うん。だから水族館の展示物の撮影が一通り終わったら、レストランや売店、お土産の販売コーナーも撮影したいんだ。あと、出来れば水族館の外に出て、水族館周辺のお店や施設も撮りたいって思ってて……」


 白川さんに作戦を見透かされた僕は、ヘラヘラと笑いながら頭をかくと、考えていた撮影スケジュールを口にする。


「え? 水族館の外にまで行くの?」


 いくら感が良くともこれは予想外だったようで、白川さんは驚いた様子で訊いてきた。

 僕は「うん」と短く相槌する。


「水族館の中だけじゃないんだ。綺麗な魚の映像を撮影して投稿するのかなって思ったけど……、そういう動画ではないの?」


 白川さんは自分の口元に右手の人差し指を宛がいながら、自分の推察も入れつつ僕にたずねる。


「そうだね。僕が撮りたいのは水族館に展示されている生物の動画ではないね。水族館の雰囲気の伝わる映像は必要だけど」


 僕は白川さんの言葉に頷きながらそう言った。


 実際、僕は魚の泳いでいる姿は面白そうなものだけ撮影した。それ以外では水族館の規模が分かったり、ヒトデなど海の生物に実際に手で触れられるコーナーがある事が分かる映像を撮影したつもりだ。


「?」


 白川さんは僕の撮影の意図が分らないとでも言いたげに、小首をかしげた。

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