第62話 一眼レフカメラの意外な使い方

 ◆


 水族館の入館ゲートを通過すると、そこは広いロビーになっていた。

 ゲートを通過して最初に目に入るのは、左奥にあるエスカレーターを登るように促す案内表示。見学客は案内表示通りにどんどん進んで行く。

 だが、僕らは良周よしちかに従って他の見学客とは反対にゲートから右手のスペースに移動した。

 そこにはソファーがいくつも設置されている。ソファーの上の天井にはクジラらしき生き物の骨格標本が吊るされ、展示されていた。

 どうやらロビーの右手のスペースは見学客の為の休憩スペースらしい。


 移動を終え立ち止まった良周が、僕らを見回して全員いる事を確かめる。そしてはぐれた者がいないことを見て取ると、話し出した。


「動画の撮り方はサークル活動の時間中にレクチャーしたし、今日はそれぞれ自由に撮影してまわるって事で良いかな? わからないことがあったら、雄太ゆうたか僕に電話して。僕たちはいつでも電話に出れる様に、着信に気を付けておくようにするから」


 良周がそう言って、雄太に目配せする。

 すると雄太は心得たという様に良周の言葉に頷いて応じた。

 良周よしちかは雄太の反応を確認すると「それと」と言って、改まった口調で話を続けた。


「水族館には僕が代表して撮影許可をもらってます。水族館に迷惑をかけないような動画ならYouTubeへの動画投稿も問題ないとの事です」


 真面目な顔をしてそこまで話すと、良周よしちかは「悪ふざけとか、絶対にしないようにね!」と僕らに念押しした。

 良周よしちかの話を聞いていたメンバーは「了解!」と言ったり、手を上げたりするなど思い思いのやり方で同意の意を示す。

 良周よしちかはそんな皆の様子を見回しながら表情を緩めると「よろしくね」と言って発言を終えた。


「基本は自由行動なんだろうけど、昼食は皆で一緒に食べたいよね?」


 恭平きょうへいが誰にとはなく訊ねる。


「そうだね。皆で食べたいね。混んでいる時間を外して……十三時に地下のレストランに集合でどうかな?」


 良周が恭平の言葉を受けて、次の集合時間と場所を提案した。


「良いんじゃないかな」


 僕はそう言って頷き、良周に応じる。他のメンバーも異存はないらしく、特に誰からも別の意見は出て来なかった。


「ふふふ。ここのクラゲの展示コーナー評判が良くて、以前から見てみたかったの。良い写真が取れる気がする!」


 首から下げた一眼レフカメラを手にし、綾辻あやつじさんが嬉しそうに言う。


「そのカメラ本格的だね」と僕。

「良いでしょ! 人気モデルの最新機種なの!」


 綾辻さんは見せびらかす様にカメラを掲げ、自慢気に言う。

 そんな綾辻さんの様子が目に入ったようで、綾辻さんを避ける様に遠巻きにこちらの様子を窺っていた雄太が近づいて来た。彼は僕と綾辻さんの会話に興味を持ったようだ。


「何よ?」


 近づいて来る雄太を不審そうに見ながら、綾辻さんが警戒するような声色で言う。

 普段ならここで喧嘩になりそうなものだが、雄太は綾辻さんのそんな様子など気にならないらしく、彼女の手にしているカメラをマジマジと見ると目を丸くして口を開いた。


「それって、人気YouTuberユーチューバーがよく使ってる一眼レフッ!」


 雄太が驚いた調子で言う。

 その場に居た全員の注目が綾辻さんのカメラに集まる。


「え? YouTuberが一眼レフを使うの? 一眼レフって写真を撮るカメラだよね? サムネイル画像でも撮るの?」


 恭平が首を傾げながら質問する。


「昔は動画撮影するならビデオカメラだったけど、今は一眼レフカメラで動画撮影する人が結構多いんだよ。勿論スマホで撮影する人も多いけど」と良周。


 恭平は「へえ! そうなんだ!」と驚きの声を上げた。


 良周の言う通りだ。

 僕が気に入って観ているいくつかのYouTubeチャンネルでも、撮影環境を紹介する動画の中で『撮影には一眼レフカメラを使用しています』と言っていた。

 そう言えば、綾辻さんの持っているカメラは、撮影環境を紹介する動画に出て来たカメラにそっくりだ。同じモデルなのかもしれない。


 因みに恭平の言う『サムネイル画像』についても、その撮影環境を紹介する動画で触れていたのを覚えている。

 サムネイル画像とは、YouTubeのトップページや検索結果ページなどに動画の顔として表示される静止画の事だ。敢えて設定しなくても投稿した動画を使って自動生成されるのだが、魅力的なサムネイル画像を設定しておくと閲覧者が増え易いという事で、多くのYouTube投稿者は自動生成機能は使わず、独自の画像をサムネイルとして設定しているらしい。


「この一眼レフ、すごくキレイな映像が撮れるんだ……って、ん?」


 興奮した様子で話をしていた雄太が急に言葉に詰まり、一瞬眉を寄せる。


「何よ」


 雄太の変わり様を見て、綾辻さんが戸惑いの表情を見せる。

 だが、そんな綾辻さんの反応を雄太は意に介さない。今はとにかく綾辻さんの持つ一眼レフカメラの事で頭が一杯らしい。


「これ、最新機種じゃないか。この機種は本格的なプロ用カメラで扱いがなかなか難しいんだけど……」


 そう言って言葉を濁すと、雄太はようやく綾辻さんを見た。そして言葉の続きを話し出す。


「インスタ姫、これを使い熟せてるの? 手振れ補正機能が無いから、女の人の力で本体を支えるの大変じゃない?」


 雄太はそう言うと、綾辻さんをジロジロと見、鈴木さんにも目を向けると「動画じゃなく写真を撮るんだろうけど……。でも三脚さんきゃくも、持って無い……みたいだし……」と独りちる。


「……手振れ」


 一連の雄太の言葉を聞いた綾辻さんはそう呟くと、雄太の話が意外だとでも言う様に目を丸くして黙り込む。そしておもむろに話し出した。


「……実を言うとこのカメラ、今日初めて使うの」


 綾辻さんは小声でそう応じると「すごく人気のある機種の最新モデルだったから、使いやすさなんて考えもしなかった……」と正直な所を語り出す。

 彼女にとって思いもしない展開で、虚勢をはる余裕もないのだろう。右手を顎の辺りにあてて、足元に視線を落とすと困惑した顔で何やら逡巡しゅんじゅんし始める。そして、数秒後に雄太に視線を戻すと、綾辻さんは彼に質問した。


「因みに仲村なかむらは、このカメラを使い熟せるわけ?」


 おや?

 今日は雄太の事を苗字で呼ぶのか。

 いつもは『ひょろオタ』って呼んでいるのに。


 僕はそんな風にいぶかしむ。

 だが雄太はそんな事は気にならないらしく、ちょっと自慢気に胸を張って綾辻さんの質問に応じる。


「まあ、このカメラ関係の動画を見まっくったから。たぶん、それなりに使い熟せるんじゃないかな」


 触ったことも無いくせに自信満々だ。


「ふうん」


 何か思案でもしているような様子で、綾辻さんは短く相槌する。そして先程からずっと顎にあてていた右手でカメラを持つと、雄太の方へ近づけた。


「使わせてあげても良いわよ」


 カメラを雄太に見せつける様に持って、綾辻さんはそう言った。


「マジで?」


 雄太は目を輝かせて訊き返す。

 余程綾辻さんのカメラに興味があるのだろう。雄太の態度はいつもの綾辻さんへのそれとは全く違う。


「その代わり、私の撮影に付き合いなさい。このカメラを使わせてあげる代わりに、あんたは今日一日私のカメラマンになるの」


 名案だとでも言いたげな口調と態度で綾辻さんが言う。

 そして彼女はカメラから手を離すと「確かに重いわね、これ」と首に下げたカメラを見ながら独り言を言う。首にかけているのと、片手で持ち上げるのとでは重さの感じ方が違ったようだ。


「えぇー? カメラマン? 鈴木さんにでも頼めば?」


 綾辻さんの突拍子もない提案に、流石の雄太も不平をこぼすと鈴木さんを引き合いに出す。


「私はお嬢様の警護が仕事ですので。それにカメラの扱いは不得意です」


 かさず、鈴木さんが雄太に応じて拒絶の意を示す。


 そうだった。

 鈴木さんはこういう事を言いかねない人だった。

 そう言えば綾辻さんは重そうな荷物を持っているけど、鈴木さんはそれらを持ってやる様子も無い。

 本当に警護だけが彼女の仕事で、その他の事には我関せずといった風だ。


 雄太も僕と似たような事を感じているのか、鈴木さんの方を呆気にとられて見ながら黙り込む。


「私みたいな可愛い子をモデルに、高価な一眼レフで撮影が出来るのよ! 有難がられても良いくらいだわ!」


 綾辻さんは雄太と鈴木さんの会話を聞いてか聞かずか、何事も無かったかのように自分の提案のメリットを説明する。

 雄太は困惑した表情で視線を鈴木さんから綾辻さんに向ける。高級カメラを使ってみたい欲求と、綾辻さんにあごで使われ兼ねない状況を天秤にかけ、葛藤している様だ。

 綾辻さんは目を細める様にしてそんな雄太を様子を観察しながら「それに……」と言葉を続ける。


「付け替え用のレンズもあるのよ」


 綾辻さんはニヤリと笑ってそう言うと、ずっともう一方の手に持っていた黒くてごついカバンを雄太の前にズイッと差し出す。


「すごいッ!」


 落ちた!


 雄太の感嘆の声を聞いた瞬間、僕はそう思った。

 綾辻さんも僕と同じように感じたらしく、勝ち誇ったような表情でまたニヤリと笑った。


「……わかったよ。付き合う」


 雄太は欲望に負けた。


「ふふふ。じゃあ、私たちはまずはクラゲのコーナーに行くわよ」


 綾辻さんはそう言うと、今にもこの場を離れそうな雰囲気だ。


 白川さんも綾辻さんと一緒に行くのだろうか。

 もしそうなら、僕も綾辻さんと雄太に同行したい。


「あの、僕も……」


 綾辻さんに話しかけようとした僕は思いがけず白川さんと視線が合い、驚いて思わず黙り込んでしまう。

 その一瞬の沈黙の間に何かに気づいた様子で、白川さんが慌てた口調で綾辻さんに話しかけた。


「理沙ちゃん。私、他に撮影したい所があるから。午前中は一人でまわるわ」


 白川さんがそう言うと、綾辻さんは「そうなの? じゃあ、後でね」と、特に気にする様子も無く白川さんの言葉を受け入れる。

 白川さんは「じゃあ、皆もお昼にレストランでね!」とぎこちなく微笑んで軽く僕たちに挨拶すると、この場を離れて行った。

 綾辻さんもそんな白川さんを見送ると「私たちも行くわね。またお昼に」と言って、鈴木さんと雄太を引き連れて行ってしまう。


「じゃあ、史一ふみかず。僕と一緒に……」


 去っていく白川さんをほうけて見送る僕に、恭平が話し掛けて来た。

 その時だ。


「きょーへー!」


 僕と恭平の足元から声がした。

 恭平が「え?」と言いながら下を向く。僕も彼に釣られて下を見る。するとそこには不満そうな顔をした芽衣ちゃんがいた。


「きょーへーは、めいをかたぐるまするの! それでイルカショーみるの!」


 そう言えば水族館に入る前、水族館に入ったら芽衣ちゃんを肩車するって、恭平は約束していたんだった。


「……あ。そうだったね。ゴメン、ゴメン」


 恭平も先程の芽衣ちゃんとの約束を思い出したらしい。そう言うと恭平は申し訳なさそうに苦笑いしながら頭をかく。


「じゃあ、僕は暫く良周たちと一緒に行動して良いかな?」と恭平。

「そうしてくれると助かるよ」


 良周も苦笑いしながら恭平にそう応じる。

 恭平は良周の答えを聞くと、芽衣ちゃんのそばにしゃがみ込む。そして遠子さんに助けを借りながら芽衣ちゃんを肩車し始めた。

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