第56話 僕の中の白川さん、そして事件発生!
一体、僕は何を言っているんだ。『僕は白川さんの事を可愛いなって思ってる』などという恥ずかしいセリフ、本当に口に出すつもりなのか?
僕は「えっと……」と言って、口ごもる。
耳元では、いつもは聞こえない自分の鼓動の音がしている。その音はまるで早鐘の様だ。
こんな恥ずかしいセリフ、言えるわけがない!
何とか違う言葉で誤魔化さなければ!
白川さんに向けて言った言葉に何と続ければ、この状況を取り繕うことが出来るだろう?
僕は『僕は白川さんの事を』に続く、言葉を
ダメだ!
良い言葉が全く思いつかない!
頭をフル回転させたが、気の利いた言葉が全く出て来ない。
この状況を誤魔化しで切り抜ける自信を無くした僕は、ちょっとしたパニックに陥る。
数分前までは思いもよらなかった状況。誤魔化しの言葉が見つからない絶望感で僕の頭は一瞬フリーズする。直後、僕の脳裏をある考えが
……というか、取り繕う必要なんてあるのだろうか?
僕が彼女を『可愛い』と思ったことは事実じゃないか。『可愛い』なんて女の子を褒める
些細な事を伝えるだけなのに、何故僕はこんなに気恥ずかしさを感じているのだろう?
キャパシティを大きく超えた僕の脳みそが一瞬、冷静さを取り戻す。
友達に思った通りの事を伝えるだけだ。
そこに誤魔化しなど必要ない。
取り繕う言葉を考えるフェーズから、目の前の白川さんと自分の関係について考えるフェーズへと、僕の思考回路はいつの間にか移行する。
見た目を褒めるだけ。
女とか男とか関係なく、友人同士なら気軽にやる事じゃないか。
それをどうして僕は白川さんに『可愛い』と素直に
それって……
僕は白川さんを友人だと思っていない……という事にならないか?
では友人でないなら、僕は白川さんの事をどう思っているのか。
……僕は彼女を友人以下の存在だと感じている?
いいや、そんなことは断じて無い! 友人だと確信している
いや。むしろ、彼女はもっと特別な……
「おーい! 二人とも置いて行くぞー!」
良周が呼ぶ声がして、僕と白川さんは二人してハッとお互いを見ていた視線を前に向ける。
そして自分たちが前を行く面々からだいぶ遅れていることに気が付いた。
「……白川さん、ちょっと急ごうか?」
そう言って白川さんを促す僕の鼓動は、取り繕う言葉を考えていた時以上に早くなっている。
勿論それは、良周に急に呼ばれて驚いたからなどではない。
それは、僕が自分の白川さんへの気持ちに気づいてしまったからに他ならなかった。
僕は自分の気持ちの正体を知って、動揺を強める。耳元で聞こえる鼓動の音も、取り繕う言葉を探していた時以上に早くなっている。
僕は動揺を隠す為に白川さんから顔を背け、進行方向を向くと、歩くペースを上げる。進行方向を向いたのは当然、白川さんに顔を見られない為だ。
僕の顔は今、とても熱を帯びている。きっと真っ赤な顔をしているに違いない。こんな顔を白川さんが見たら、一発で彼女は僕の気持ちに気づいてしまうだろう。
「……うん」
白川さんは僕の言葉に小さく頷き、僕のペースに合わせて歩く速度を上げる。
歩く速度を上げながら、僕は横目でチラリと彼女の様子を窺う。
彼女は頬をバラ色に染めて、黙って僕の隣を歩いていた。
幸いにも彼女は、僕が言いかけた言葉の続きを求めては来なかった。
皆に追いつこうとする僕の行動は、意図せず僕と彼女の会話を有耶無耶のうちに打ち切らせたようだ。
不甲斐無い。
彼女に言いそびれた言葉の続きを口にすることも、彼女と向かい合う事も出来ない僕は、そう感じながら黙って歩き続ける。
だが、そうは思っても白川さんに『僕は白川さんの事を可愛いなって思ってる』なんて、どんな顔をして伝えれば良いのか、自分の気持ちに気づいてしまった今の僕には全く分からない。自分に『友達としてだ』とどんなに言い聞かせても出来る気がしない。
それに……
この言葉を口にしてしまったら、僕と彼女の関係は永遠に変わってしまう。
そんな確信に近い予感もした。
今の白川さんとの関係に、僕は満足している。
この関係を壊してまでこの言葉を言う事に、果たして意味があるのだろうか?
それに関係の変化を覚悟の上で答えるとしても、今はそのタイミングでは無い気もする。
伝えるにしても、もっと別の機会にすべきだ。
そう考えた僕は、前方を行く面々に後れを取らないよう、もう一段歩く速度を上げる。隣を歩く白川さんもそんな僕にペースを合わせてくれる。結局、僕らはサークル室の前に着くまで、二人して黙りこくっていた。
◆
サークル棟までは僕たちは六人で移動して来た。
だが、鈴木さんがサークル棟の入り口で立ち止まる。
「私は飲み物を買ってから、サークル室に向かいます。
鈴木さんはそう言って、白川さんに頭を下げると、サークル棟の入り口付近に設置された飲料水の自動販売機に立ち寄る為、僕らから離れた。
五人になった僕らは、連れ立ってサークル棟の廊下を歩く。
雄太と綾辻さんはまだ何かいがみ合っているが、最後尾を歩く僕には何の話をしているのかは聞き取れない。
良周は相変わらず、面白い見世物でも見ているような顔をして、いがみ合う雄太と綾辻さんを見ていた。
そして僕と白川さんはあれ以来、黙って隣り合って歩いている。何だか気まずい雰囲気だ。僕は何とかこの空気を和らげたいと色々考えては見たものの、打開策を思いつけず、気づけばサークル室の扉の前に到着してしまっていた。
サークル室に入ろうと良周がドアに手を伸ばす。だが、良周はその手を止め、僕たちの方を振り返る。
「恭平が撮影中だったらいけないから、そっと入ろうか」
少し声を潜めて、良周がそう提案する。
僕たちは無言で軽く頷くことで、良周《の提案に同意の意を示す。
ガラガラッ、ガッシャーンッ!
良周がドアノブに手をかけた丁度その時、室内から大きな物音がした。
一体何事だ?
驚いた僕たちは顔を見合わせる。
良周は静かに開けるつもりだったドアを勢いよく開けた。
僕らは急いで中に入る。
すると、喉のあたりを抑えながら苦しそうに青ざめて立っている恭平の姿が目に飛び込んで来た。
白川さんと綾辻さんが「キャア」と小さな悲鳴を上げる。
「どうしたんだ!」
雄太が慌てふためいた様子で恭平に声を掛ける。
恭平はこちらを見るが、苦しそうにもがくだけで、声を出さない。どうやら声を出さないのではなく、出せない様だ。
僕は状況を把握しようとサークル室を見渡す。
恭平が立っている場所は、良周と雄太が動画撮影用の機材を配置してくれた撮影スペースだった。撮影スペース用の机と椅子が倒れている。先程の大きな物音はこれらが倒れる音だったのだろう。その机と椅子の傍には大学の正門の真ん前にあるハンバーガーチェーンのハンバーガーやハンバーガーの包装紙が散らばっている。
「も……もしかして、ハンバーガーが喉に詰まったの?」と僕。
恭平は青い顔をしながら僕の言葉にコクコクと何度も頷く。
大変だ!
「こ……こういう時、どうするんだっけ?」
綾辻さんが青い顔をして、そう言う。
良周は急いで恭平に近づくと、恭平の背後に回る。
「確か背中側から、こう脇の下に……」
そう言いながら良周が恭平の脇の下へ自分の両手を回す。そして恭平の腹部に回した自分の手と手を繋ごうと必死で腕を伸ばした。
どうやら、良周は喉を詰まらせた際の対処法を知っていて、実践するつもりらしい。
だが恭平の体は大きすぎて、どう頑張っても良周は自分の手と手を繋ぐことが出来ない。
「駄目だ! 大きすぎて手が回らないし、持ち上げられそうもない!」
言いながら、尚も良周は応急処置の体勢をとろうと奮闘する。
僕も二人掛かりで何とかならないかと、良周の加勢の為に恭平に歩み寄る。
「きゅ、救急車を……」
雄太が慌てふためきながら言って、スマホを取り出したが混乱していた為か、手にしたスマホを取り落としてしまった。
「そんな時間無いわ!」
青い顔をして綾辻さんが叫ぶ。確かに彼女の言う通りだ。救急車が着く頃まで恭平がもつとは到底思えない。
その時だ。
「理沙ちゃん! ラケットを貸してッ!」
綾辻さん同様、青ざめた顔の白川さんが叫んだ。
綾辻さんの手からテニスラケットの入ったケースを白川さんが奪い取る。そしてラケットケースから大急ぎでテニスラケットを取り出した。
「
ラケットケースからテニスラケットを取り出す白川さんに、
だが、白川さんは答えない。答える余裕がない。
「
僕と
僕は白川さんが言っている意味が理解出来ず、混乱する。
だが、良周は白川さんの行動の意味が理解出来たらしく「
恭平はもう、自力で動くことが困難なくらい
とにかく何かしなければ!
白川さんに案があるというのなら、協力するしかない!
僕は訳が分からないまま良周に合わせ、恭平の大きな体を無我夢中で動かした。
「よし! 史一、離れるぞ!」
良周が僕を促す。僕は良周に合わせ、急いで恭平の傍を離れる。
「寺田君! ごめんね!」
白川さんがそう言ったのと、白川さんがテニスラケットを思い切り振ったのはほぼ同時だった。
バッシーンッ!
白川さんが振ったテニスラケットが、恭平の背中を思い切り叩く。
「ごぉぼッ」
ラケットが恭平の背中を叩いたのと同時に、声とは思えない声を恭平が上げる。
その瞬間、ハンバーガーがほぼ一個丸々、恭平の口から勢いよく飛び出してきた。
このハンバーガーが恭平を苦しめていたのは間違いないだろう。
恭平がゴホゴホと咳込みながら、床に手をつき倒れ込む。
「だ、大丈夫か?」
恭平は雄太の方へ顔を向ける。何事か言いたそうにするが、咳込んだり、息をするのに忙しく、すぐに返事が出来ない。
だが傍目にも息が楽になっているのが見て取れて、僕は先程より恭平がマシな状態になったと感じた。
でも、恭平の声を聞くまでは、まだ安心出来ない。
恭平が肩で息をする姿を、その場にいる全員が心配そうに無言で見つめる。
「……うん。何とか、大丈夫」
恭平のその返事を聞いて、誰からとはなく僕たちは安堵のため息を漏らした。
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