第55話 イメチェンの理由

「でも、どうして水族館に行くことがサークル活動の一環になるの?」


 白川さんが首を傾げながら良周よしちかに質問する。


史一ふみかずもパソコンを手に入れたんだよ! これでサークルメンバー全員が動画編集を出来る状態になったんだ。でも動画編集をするには編集する動画素材が必要だろ? だから動画編集の練習に使える様な素材を撮影しに行きたいなって思ってさ」


 僕の持つノートパソコンの入ったバックをゆびさして良周が言う。


 そうだ!

 僕以外のサークルメンバーは、サークル活動で使用するパソコンの準備が終わっているんだ!


 僕は良周の言葉でその事実を改めて思い出す。


 良周と雄太ゆうたはサークル活動を始める前から動画編集をする環境が整っていた。

 恭平も先週のサークルの際にはノートパソコンを入手済みで、動画編集ソフトをインストールしていたのを見た覚えがある。

 それに白川さんも、父親のようさんから動画編集のスペックを満たしたパソコンを借りることになったと言っていた。


 僕だけが皆より準備が遅れていたのだ。その事に今更気づいて、僕は少し焦燥感に駆られる。


「なるほど、良いかもね! 水族館って屋外の水槽は明るいし、屋内の水槽は暗いから、動画撮影の勉強になりそうだ!」


 雄太は良周の提案に乗り気だ。


 綾辻あやつじさんも誘われているのに、雄太は平気なのかな?


 僕はそこが気になった。

 だが「じゃあ、どんなカメラを持っていこうかな?」などとひとち始めた雄太は、水族館での撮影の事で頭がいっぱいになっていて、この事には気づいていない。変に指摘をすると、また喧嘩の火種になるだけだろう。


 触らぬ神に祟りなしだ。


 そう思った僕は、放っておくことに決める。

 良周は「だろ?」と嬉しそうにとニカッと笑い、雄太に相槌する。雄太の反応で、自分の提案に手ごたえを感じたらしい。


「そういう事で、どうかな? 今週末、皆で水族館に行こうよ!」


 雄太から白川さんに視線を向け、水族館へ行く理由を訊ねた白川さんを良周が誘う。


「動画素材を撮る為か。そうね、面白そう。行くわ!」


 白川さんはそう良周に応じると、隣の席の綾辻あやつじさんに「理沙りさちゃんはどうする?」と意向を訊ねる。

 雄太はまだ「SDカードの容量はどのくらいにしようかな」などとブツブツ呟き、水族館へ持っていくものに考えを巡らせている。


「……あんが行くなら、行っても良いわ」


 少し迷う仕草を見せたが、綾辻さんは水族館行きを承諾した。


「史一は?」


 良周が僕にも訊ねる。


「もちろん行くよ!」


 サークル活動に必要な準備が遅れていると感じたばかりなのだ。皆に早く追いつきたいと思っている僕に、断る理由はない。


「よし! じゃあ、後は恭平きょうへいを誘うだけだな!」


 僕の答えを聞くと良周はそう言って、ニッと笑顔を作った。


「そう言えば、寺田てらだ君は一緒じゃないの?」と白川さん。

「今日は恭平がとってる午後の講義が休講になったって言ってたから、もうサークル室に居るんじゃないかな?」


 白川さんの言葉で現実に引き戻されたのか、雄太が白川さんの疑問に答える。


「撮影機材を借りたいって午前中に連絡があったから、サークル室で動画の撮影をしているかもね」


 良周が雄太の発言を補足する。


 恭平はもう動画を撮っているのか!

 僕と恭平は同時期にサークル活動をスタートしたのに、恭平は僕よりだいぶ先に進んでいるのかもしれない。


 そう感じて、僕は二人の言葉を聞きながら改めて焦りを覚えた。それにサークル室の撮影機材を恭平が一人で扱えるということにも驚く。


 撮影機材というのは、良周と雄太が活動費で購入してくれたものだ。

 良周と雄太以外のメンバーは動画撮影初心者の為、動画撮影に必要な機材選びは二人に一任した。

 そして二人は撮影機材を揃え、買ったものの内訳をリストにして先週、僕らに明示してくれていた。


 無線ルーター、照明セット、ピンマイク、ピンマイクレコーダー、背景スタンドセット。

 これだけ購入してサークル活動費の5万円は、残り5千円程度になっていたのを覚えている。

 5万円もあると感じていたが、実際に機材を揃えてみると、ギリギリ足りる程度だったとわかり、本格的に動画を撮るためには色々必要なんだなと僕は軽く衝撃を受けた。

 正直、それらの機材をどう使えば良いのか僕には今のところ見当もつかない。

 今度、良周にレクチャーしてもらいたいと考えていたところだ。


 でも、恭平はもう使えるんだな……


「そうなんだ。寺田君、頑張ってるね」


 雄太と良周の答えに、白川さんが頷いて応じる。


 一刻も早く、皆に追いつきたい!


 白川さんが感心したような口調で話すのを聞いた僕は、先程以上に焦燥感にさいなまれる。


「そろそろ僕らもサークル室に行こうよ」


 僕は皆をかす。

 完全に一人出遅れていると感じ、恭平がどんな風に機材を使用しているか見てみたいという気持ちに僕はなっていた。


 もしかしたら、まだ撮影しているかも!


「そうね。そろそろサークル室に行きましょう。理沙ちゃんはどうする? もう帰る?」


 僕の言葉を合図に白川さんは立ち上がると、綾辻さんに訊ねる。


「……暇だし、ちょっと今は独りで居たくないな。あんと一緒に居て良い?」


 傷心の綾辻さんは人恋しいらしい。上目遣いに甘える様な口調で、白川さんにそう言った。


 独りとは言っても、鈴木すずきさんがそばに居るのだから完全な孤独ではない気もする。

 だが鈴木さんは『ボディーガードの仕事に精神衛生面のケアは入っていません』とか言いそうだ。失恋で傷ついた心のケアを鈴木さんに求めるというのは、難しいかもしれない。


 鈴木さんにチラリと目をやり、僕はそんな事を考えた。そして白川さんに甘えるような視線を向ける綾辻さんに視線を戻す。


『理沙ちゃん、ちょっと尊大な態度をとってしまう所があるけど、親しくなればとっても素直で良い子なのよ』


 綾辻さんの素振りを見る僕の脳裏に、先日の白川さんの言葉が蘇る。


 なるほど。

 確かにこんな素振りを見せられたら、ああいう言葉が白川さんの口から出るのもうなずける。

 綾辻さんは自覚があるかは分からないが、人たらしな面を持っている様だ。しかも普段があの尊大さだから、その面が出た時の破壊力が半端ない。こんな風にお願いされては、白川さんもなかなか断りづらいだろう。


「私は一緒にサークル室に来てくれても、全然問題無いよ! けど……」


 白川さんはそう綾辻さんに応じて、言い淀みながら良周の方を見る。


 これから行く所がサークル室でなければ、白川さんは二つ返事で綾辻さんを伴ったに違いない。

 しかし、これから行くのはサークル室だ。

 サークルメンバーの了承りょうしょうも無しに部外者をサークル室に呼ぶのは、気が引けるという事だろう。白川さんが言い淀むのも無理はない。


「問題ないよ。綾辻さんも一緒においでよ」


 白川さんの言いたい事を察した良周は、綾辻さんに優しく笑いかけると綾辻さんがサークル室に来る事を快諾する。良周も綾辻さんのギャップに当てられたのかもしれない。


「ありがとう!」


 綾辻さんの顔がパッと華やぐ。


「えーッ!」


 綾辻さんも一緒にサークル室に行くという雰囲気になった中で、雄太だけが不満そうな声を上げた。


「何よ! 杏と佐野さの君が良いって言ってるんだから、問題ないでしょッ!」


 綾辻さんはそう言って雄太を睨みつけながら、勢いよく立ち上がる。


 …………か……


 その場に居た誰もが気づいていないが、綾辻さんの中で僕は同意を求める人数には入っていないようだ。


 まあ、雄太もだけど……。


 不機嫌そうな視線を雄太に送りながら、綾辻さんが荷物を手にする。雄太に何と言われようと、綾辻さんは動画研究会のサークル室に来る気の様だ。

 すると綾辻さんが移動を始めることを見て取った鈴木さんもスマホから目を離し、席を立った。

 何だかんだいがみ合いながら、雄太と綾辻さんが歩き出す。

 良周はそんな二人を面白そうに観察しながら、二人の後に続く。

 その後を鈴木さんが追って行く。

 僕はそんなにぎやかな面々を見送って、白川さんに向き直り「僕らも行こうか」と彼女を促す。そして皆の後に続き、白川さんと一緒にサークル棟へと歩き出した。


「でも、ビックリしたよ。『メガネのほうが大学では楽』って言ってなかった?」


 僕は道すがら隣を歩く白川さんに、声をひそめて質問する。その際、前を行く人たちには聞こえないくらいの声になるよう心がけた。

 先日の日曜日の白川さんとの会話は全て、白川さんとの約束を守る為には秘密にしておく必要があると考えての配慮だ。

 白川さんは僕の言葉を聞くと、パッと頬をほのかに上気じょうきさせる。


「その……。高橋くん、こういう格好も私に良く似合ってるって言ってくれたでしょ? それで……メガネを外すのも、髪の毛をおろすのも少し恥ずかしかったけど、やってみようかなって思って……」


 白川さんは少し視線を下に落とし、たどたどしく僕の質問に答えた。そして「急に格好を変えるのって変かな?」と不安そうに言いながら、僕をチラリと見る。


「変なんかじゃないよ。良いと思う」


 僕はそう言って、白川さんの変わり様を肯定する。

 それにしても何度『良いと思う』という言葉を繰り返しただろう。今の白川さんの姿をとても好ましく思っているのに、もっと良い言葉を思いつけない自分の語彙力の無さを僕は恨めしく思った。


 それに……

 変どころか、男子学生たちの白川さんへの好感度はかなり上がっているのではないだろうか?


 ほんの数分、白川さんの隣を歩いただけだが、すれ違いざまにコチラを見てくる男子学生がどうも多い気がする。

 今までも何度か彼女と学内を歩いたことはあったが、今日はいつもと周りの空気が違う気がした。


「良かった。勇気を出してみた甲斐があったわ」


 僕の言葉に白川さんが安堵の笑みをこぼす。微笑む彼女は、いっそう華やいで見えた。

 こんなにチラチラと男子学生たちの視線を浴びているのに、白川さんは全く気づいていないらしい。白川さんの無防備な笑顔に、僕は何だか落ち着かない気持ちになってきた。


「でも、気を付けてね。そういうすごく女の子らしい格好をしてると、変な男が寄って来るかも……」


 僕は白川さんの事が心配で、思わずそう真剣な面持おももちで助言した。


「お……男の人が寄ってくる? そんな事、無いよ。理沙りさちゃんくらい可愛ければ、そう言う事もあるかもしれないけど。私なんて野暮ったいし……」


 白川さんは驚いた様に目を大きく見開く。そして胸の前で右手を左右に振りながら、苦笑混じりに僕に言った。

 白川さんは危機感が全く無い様子だ。

 白川さんの言動を見た僕は、自分の不安な気持ちが伝わっていないと感じ、もどかしさを覚えた。


「野暮ったいなんて、そんな事ないよ! だって僕は白川さんの事を……」


 可愛いなって思ってる。


 そう言葉を続けようとして、僕はその言葉を飲み込む。

 感情に任せて、白川さんの発言を否定した。だが反論の言葉を口にする僕を驚いた様子で見つめる白川さんを見て、僕は我に返ったのだ。

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