第57話 雷が落ちる!

「無事で良かった!」


 良周が左手を腰に当て、右手でひたいを抑えると、そう言った。心底ホッとしたという様子だ。


「どうなる事かと思ったわ。ビックリさせないでよね!」


 綾辻さんが恭平に文句を言う。だが、彼女の表情は言葉とは裏腹に穏やかだ。綾辻さんも大事に至らずに済んだことに安心したのだろう。


 綾辻さんが発言したすぐ後「どうかしたんですか?」と言いながら、開け放たれていたドアから部屋に鈴木さんが入って来た。そして鈴木さんは室内の異様な雰囲気を感じ取ったのか、いぶかしそうに僕らを見回す。


「鈴木、それがね……」


 綾辻さんが言いながら鈴木さんに歩み寄り、何やら話を始める。たぶん、今あった出来事について説明するのだろう。


 でも、今はそんな事より……


「恭平、本当に大丈夫かい? 病院に行った方が良いんじゃないか?」


 僕は綾辻さんと鈴木さんに向けていた視線を恭平に戻すと、そう彼に提案した。


「心配かけて、ゴメン。本当にもう大丈夫だよ。ハンバーガーの早食い動画を撮ってたんだけど……失敗しちゃったよ」


 恭平は息もだいぶ整ったらしく、疲れた顔でヘラッと笑い、僕の提案をやんわり断る。


 そうは言われても、先程のとんでもない出来事を見た後では、このままにしておくのは心配だ。もう一度恭平に『それでも、病院で診てもらった方が良い』と言おうと、僕は口を開きかける。


「……大丈夫なわけ……ないでしょ」


 僕が話し出すより早く、呟く様な声がした。

 僕は声のする方に目をやる。そこにはテニスラケットを持ったままの状態で、ぼんやりとたたずむ白川さんの姿があった。今聞こえた言葉が彼女から発せられたとは思えない程、放心した状態に見える。

 僕は彼女のそんな様子が気になって「白川さん?」と声を掛ける。

 恭平も僕に釣られて「え? 白川さん」と言いながら、彼女の方を見た。恭平は大変な状況だった為、助けてくれた彼女が白川さんだとは思いもしなかったらしい。


「本当に白川さん? メガネもかけていないし、だいぶ印象が違うね」


 恭平はそう言って、取り繕う様にニコニコと白川さんに笑いかける。彼なりにその場の雰囲気が良くなるように気を使っての事だろう。

 だが、僕らの声は白川さんには届いていない様子だ。彼女はぼんやり恭平の方を見ながら、返事をしない。

 白川さんの異様な様子に気づいた他の面々の視線も、白川さんへと集まる。

 そのうち白川さんが、すうっと大きく空気を吸い込み、口を開いた。


「大丈夫なわけないでしょ! 死にかけたのよ! 笑い事なんかじゃない!」


 先程とは打って変わった険しい表情で、恭平に厳しい眼差しを向けながら白川さんが叫ぶ。

 ヘラヘラと笑顔を作っていた恭平が、サッと笑いを引っ込める。


 ぎゅっという音がラケットを握る白川さんの右手から聞こえる。感情のままに強くラケットを握っている所為だろう。よく見ると白川さんの手にしたラケットは、恭平の背中を叩いた際の衝撃で若干歪んでいた。


「私たちが到着するのがもう少し遅かったら……どうなっていた事か……」


 そう言葉を続ける白川さんの目から、涙が一粒零れ落ちる。

 その涙と言葉で、僕はハッと気づく。


 白川さんの言う通りだ。

 もし僕らの到着がもう少し遅かったら、恭平はどうなっていたのだろう?


 最悪の状況を想像し、僕はゾッとする。


 きっとサークル活動なんて言ってはいられない。停学、もしくは退学だって有り得る事態になっていてもおかしくない。


 それに何より、恭平は……


 その場に居た全員が僕と似たような事に思い至ったのか、サークル室の中がシンと静まり返る。


「ゴメン。白川さん、それに皆。本当に……ゴメン」


 沈黙を破って、恭平が弱弱しく許しを請う。床に座り込んで俯く姿が、何とも痛々しい。本当に悪かったと思っている事が、ヒシヒシと伝わってきた。

 だが誰もその謝罪の言葉に返事が出来ない。

 反省し、意気消沈した恭平のこの様子を見てしまっては、怒る気にはなれない。だが、だからと言って白川さんの言葉を聞いた後では「いいよ」なんて簡単な言葉で済ますわけにもいかない。そう誰もが感じているのだろう。


 事は人命に係わる重大案件なのだ。


 僕は誰かこの重苦しい現状を打破してくれないかと、一人一人の顔を見回す。だが、この場にいる面々は一様に戸惑いの表情を浮かべて黙り込んでいる。いつもはどんな状況でも飄々ひょうひょうとしている良周でさえもだ。


 皆の気持ちがバラバラになってしまったみたいだ……

 こんな雰囲気で今日のサークル活動は出来るだろうか?

 いや、今日だけではない。

 下手をすればこのサークル自体が無くなり兼ねない雰囲気だ。


 気まずい空気の所為で、僕はそんな大きな不安を感じ始める。


 せっかく皆と仲良くなれたのに……

 白川さんへの自分の気持ちにも、やっと気づけたのに……


 そう思いながら、僕は白川さんに目をやる。

 彼女は目に涙を溜めて俯いていた。

 サークルが無くなってしまえば、サークル活動だけが接点の白川さんとは、極端に会う機会が少なくなるだろう。


 こんな事で気まずくなって白川さんと離れ離れになるなんて、絶対に嫌だ!


 そう思った僕は、皆の顔を見回しながら状況を好転させる解決策はないかと、必死に考えを巡らす。


 今回の事が切欠きっかけで恭平が居づらくなれば、きっとサークルは崩壊してしまう……

 だからと言って、恭平を唯々ただただ許して受け入れるのでは、また似たような事件が起きかねない……

 だったら……


「……恭平だけが悪いわけじゃ……ない」


 僕の恭平を擁護する言葉が、静まり返った室内に響く。

 俯いていた白川さんが、驚いた様子で僕に目を向ける。

 他の皆の視線も僕に集まる。


「僕らが撮影のルールを決めていなかったのも、悪かったんだよ」


 僕は言いながら、雄太とは恭平を挟んで反対の側に膝をつく。そして気遣う様に恭平の肩に手を置いた。


 そうなのだ。

 今はサークルメンバーなら誰でも、好きな時に撮影機材を使って良いという事しか決まっていない。

 もう少しルールを足せば、リスクをもっと低く抑えられるのではないだろうか?


 僕が苦し紛れに出した答えは、恭平の身に起きたことを恭平以外の皆にも起こり得ることだと、拡大解釈する事だった。


「これからサークル室で動画撮影をする時は、一人では行わないとか……。最低限のルールを作ろうよ」


 僕は即興そっきょうひねり出した案を、一生懸命説明する。

 自分でも自分の案の説得力の足りなさを痛感している。だが、少しでも良い流れを作るには、出来るだけ早く何らかの前向きな提案が必要だと感じたのだ。


 僕が案を話し終えると、良周が「史一、お前……」と呟きながら、苦笑まじりの呆れ顔を僕に向ける。

 良周と同じタイミングで白川さんも「高橋くん……」と呟く。見ると彼女は戸惑いの表情で僕を見ていた。

 僕はそんな良周や白川さんの表情を見て、やっぱりこんな苦し紛れの言葉ではダメだったかと落胆し、思わず俯く。


「史一の言う通りだ」


 思いも寄らない言葉が僕の耳に届く。

 僕は驚いて顔を上げる。

 僕の意見を肯定する発言をしたのは、苦笑まじりの呆れ顔をしていた良周だった。


「こういう事態を想定出来ずに、曖昧なルールにしていた僕にも責任の一端がある。僕も悪かったよ、恭平」


 謝罪の言葉が良周の口から発せられる。そして良周は恭平に頭を下げた。

 恭平は良周の言動に驚いて「そんな事無い! 良周も他の皆も悪くないよ! 僕が考え足らずの行動をとったのが悪いんだ」と言って、首を振る。


「そうだね。史一の言う通り、一人で撮影をしないってルールにするだけでもだいぶリスクが低減出来そうだ」


 雄太も僕の発言に肯定的な意見をくれる。

 僕は良周と雄太の反応に、流れが変わったのを肌で感じ、なんだか体が熱くなってくる。


「でも、二人以上でも今後は早食いや大食いは絶対禁止だ。いいかい? 恭平」


 下げていた頭をヒョイと上げ、良周がそう言って、悪戯っぽく恭平に微笑んでみせた。

 そんな良周の姿に、恭平は両目に涙を溜め、何度も頷く。


 僕はその様子にサークルの空中分裂を避けることが出来そうだと感じ、ほっと胸を撫で下ろす。


 これで、白川さんとも離れ離れにならずに済みそうだ。


 そう思った僕は、何気なく白川さんに目をやる。すると彼女が泣き出しそうな顔で僕を見ている姿が、目に飛び込んで来た。


 どうしてそんな悲しそうな顔をしているの?


 僕は疑問に感じて、白川さんに話しかけようと口を開きかける。


「何だか知らないけど、話はまとまったみたいね!」


 丁度その時、綾辻さんが恭平に歩み寄りながら話し出す。

 僕は急に話に割り込んで来た綾辻さんに驚いて、言葉を飲み込む。

 そんな僕に気づかない綾辻さんは、腰に手を当て恭平を見下ろしながら「ところで、そこのデブ!」と恭平に話しかける。


「……え? 僕? な……なんでしょう?」


 急に話しかけられた所為か、怯えながら恭平が訊き返す。


「一応、病院に行くわよ! うちの車で送ってあげるから、来なさい!」と綾辻さん。

「そんな……悪いよ」


 恭平が怯えながら綾辻さんの申し出を辞退しようとする。


「もし、どこかに異常があったら、もっと皆に迷惑かけることになるのよ! それでも良いの? つべこべ言わずに、さっさとついてらっしゃい!」


 固辞する恭平を綾辻さんはキッと睨みつけ、言い放つ。言い方はキツイが至極全うな意見だ。 


「ご、ごめんなさい! わかりました! よろしくお願いします!」


 恭平はおそおののきながら急いで立ち上がる。


「良いのかい? 綾辻さん、ありがとう」


 良周が綾辻さんに礼を言う。


「べ、別に! このまま放っておくのも気持ちが悪いって思っただけよ。お礼なんていらないわ!」


 綾辻さんは良周に礼を言われ、恥ずかしそうにそう言った。そして照れ隠しするように「じゃあ。鈴木、デブ、行くわよ!」とわざとらしく尊大な態度で言い放ち、ドアの方へ向く。


 その時だ。


「理沙ちゃん! 私も一緒に行っても良い? 寺田君の事、心配で……」


 白川さんが綾辻さんに申し出た。


「もちろんよ。同じサークルの人が一緒の方が良い気がするし。あんも一緒に行きましょ!」


 綾辻さんは白川さんの申し出を快諾する。

 そうして綾辻さん、白川さん、恭平、鈴木さんはサークル室から出て行った。

 そして僕と良周、それに雄太はサークル室に留まり、室内の片づけをすることになった。


 片づけをしながらも、僕の心には引っかかるものが残った。それは先程、僕を見つめていた白川さんの悲しそうな表情だ。


 今にも泣き出しそうなあの表情。

 白川さんのあの表情は一体、どういう事だったのだろう?


 その後、僕はその理由を彼女に訊ねなかった事を後悔する事になる。

 だがそれは、今の僕には知る由も無い事だった。

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