危険な動画撮影

第53話 もう一人の女子学生

「休日のうちに初期設定を全部終わらせて、動画編集ソフトもインストールしたんだ」


 新しく買ったノートパソコンの入ったバックをかかげる様に持ち上げ、僕は歩きながら言った。


「へえ! 動画編集ソフトまで? すごいじゃないか!」


 僕の左隣を歩く雄太ゆうたがそう言って「会ったばかりの頃は、何にも分からないって様子だったのに」と感心したように言葉を続ける。


「まあね」


 僕は少し誇らしい気持ちで雄太に応じた。そして掲げていたバッグをゆっくりと降ろす。

 持ち上げてみて分かったが、この新しいパソコンは思った以上に重い。少し掲げただけなのに、腕がプルプルと震えている。

 今時のノートパソコンは薄くて軽いイメージだ。だが、僕のこのノートパソコンは重くて、それなりに厚みがある。若干、時代に逆行した印象だ。


「本当に一人で出来たのかい? 動画編集ソフトのインストールも?」


 右隣から疑わし気な目を僕に向けながら、良周よしちかが言う。


「……まあ、ちょっと弟に手伝って貰わなかった……こともない」


 僕は良周の視線に負けて、正直な所を吐露とろする。

 すると雄太が「なんだ。感心して損したな」と言って苦笑した。

 良周も『やっぱりな』とでも言いたげな表情でニヤニヤしている。


 今日予定していた全ての講義が終わって、僕はサークル棟に向かった。

 途中、雄太と良周に合流した僕は、こんな他愛も無い会話を三人でしながら大学の廊下を歩いていた。


 僕たち三人は廊下を抜け、広い空間に出る。

 学生食堂だ。

 そこにはくつろぐ学生たちの姿が、チラホラ見受けられた。彼らも僕たち同様、午後の講義を終えたところなのだろう。

 そんな学生たちの姿を僕は何気なく眺めながら歩く。


「佐野くーん!」


 突然、聞き覚えのある甲高い声で、誰かが良周を呼んだ。

 僕らは驚き、三人して立ち止まって声の主を探す。

 すると学生食堂の座席スペースでくつろいでいる学生たちの中に一人、こちらに向かって手を振っている女子学生の姿が目に入った。どうやら彼女が良周を呼んだ声の主らしい。

 手を振る女子学生の隣の席にはもう一人女子学生がいて、彼女もこちらを見ている。


 誰だろう?


 僕は目を凝らすが、彼女たちとは距離が有る。ここからでは僕には顔の判別がつかない。


「うげッ! インスタ姫!」


 本当に嫌そうな声でそう言って、雄太が僕の後ろに隠れる様に後ずさる。


 そう言われればポニーテールにした明るめのブラウンの髪と背格好から、綾辻さんに見えなくもない。

 そう思うと、何だか声も綾辻さんのもののような気がしてくる。


 僕らが気づいた事を見て取ると、綾辻さんらしき女子学生は横に振っていた手を縦方向に振り始める。どうやら『こちらに来い』と言いたい様だ。


 僕と良周は顔を見合わせる。そして手を振る女子学生の方へ歩き出す。

 雄太は僕らの背後で「行くの?」と不満げだ。だが僕らが歩みを進めると、渋々後をついて来た。


 僕らは女子学生たちの方へ近づいて行く。近づくことでだんだん顔が判別出来るようになってくる。手を振っていたのは雄太の予想通り、綾辻さんだった。

 雄太の人物判別能力に、僕は心の中で思わず唸る。


「綾辻さん。それに……」


 良周は綾辻さんに向けていた顔を彼女の隣の女子学生に向け、言葉を濁す。良周はもう一人の女子学生に見覚えがないらしい。

 僕も良周につられる様に、綾辻さんの隣の席でこちらを見ている女子学生に目をやる。

 胸の下辺りまである艶やかな長い黒髪。その髪には緩めのカールがかかっている。

 少し緊張した面持ちで女子学生が僕を見上げる。彼女の動作に合わせてフワリと髪が揺れた。揺れる黒髪と肌の白さ、血色の良い頬と唇の赤とのコントラストが美くしい。こちらを見つめる大きな瞳も印象的だ。


 まるで童話の白雪姫みたいだ……。


 そう思った瞬間、僕は女子学生が誰であるかを理解する。


「白川さん!」


 僕が驚いて彼女の名前を口にした。

 すると女子学生は緊張していた表情を緩め、ニコリと微笑んだ。


 目の前の彼女は、先日の日曜日にスーパーマーケットで出会った時の白川さんだったのだ。


「え? 白川さん?」


 僕の言葉を聞いてもまだ半信半疑な様で、良周は『何を言っているんだ?』と言いたげな表情を僕に向ける。そして視線をおもむろに白川さんに戻すと、まじまじと彼女を眺めた。

 良周に見られている白川さんは、また緊張したように体を固くして「こんにちは、佐野君」とぎこちなく微笑んで挨拶する。


「……本当だ。白川さんだ!」


 良周は目を丸くしてそう言うと、自身が言った言葉に数度頷く。


「メガネが無いと、だいぶ雰囲気が変わるね! すごく良いと思うよ!」


 僕の背後からチラリと顔をのぞかせ、雄太が絶賛する。彼も良周同様、白川さんの変わりように驚いている様だ。


 無理も無い。

 このスタイルの白川さんにスーパーマーケットで出会った時は、僕もとても驚いた。


「そうだね。メガネをかけてない白川さんなんて見たことなかったから。全く分からなかったよ。もちろん僕も、メガネじゃない白川さんも良いと思う」


 良周がそう言って、雄太の発言に同意する。そして良周は僕に「史一ふみかずもそう思うだろ?」と話しかけてきた。

 良周の言葉に一瞬、白川さんの表情が硬くなる。


『うちの父のYouTubeの件、誰にも話さないでもらいたいの』


 白川さんの硬い表情を見た僕の脳裏に、以前僕に頼みごとをしてきた際の白川さんの言葉が浮かぶ。


 僕は「そうだね」と良周よしちかに短く相槌し「僕もとっても良いと思うよ」と言って白川さんに微笑みかける。


 本当はこの姿の白川さんを見るのは二度目なので『僕はメガネをかけていない白川さんに会ったことがあるんだ』と言えば良いのかもしれない。だが、その話をすると『どこで会ったんだ? スーパーで出会った後、どうしたんだ?』などと質問を浴びせられ、芋蔓式いもづるしきに白川さんのお父さんの事に話が及び兼ねない。


 白川さんのお父さんがバーチャルYouTuberのアプリコットの中の人であるという事実。

 それを誰にも話さないと白川さんと約束したのだ。

 もちろんアプリコットの声を担当しているのが白川さんだという事も。

 ここは初めて見たようなリアクションを取っておくほうが賢明だろう。

 白川さんが表情を硬くしたのも、その事に思い至ってに違いない。


 僕はそう考え『僕もとっても良いと思うよ』という短い発言のみに留めることにした。

 僕がこれ以上言及しないと感じ取ったのだろう。白川さんは硬くしていた表情を緩め、僕に安堵したような微笑みを向ける。やはり彼女も僕と同じことを危惧していたらしい。


「でしょ? あのメガネ姿も好きだけど、こういうあんも良いわよね! 前からこうすれば良いのにって言ってたのよ。ようやくその気になってくれたみたい」


 何故か綾辻さんが自慢げに言う。だが友人の事を自分の事の様に褒めるその姿を僕は好ましく感じた。

 それにしても綾辻さんも僕がメガネをかけていない白川さんを見たことがある事を知っているはずだ。だが彼女がその事に言及する様子はない。

 白川さんを思っての事か、それとも僕に興味が無いだけか。後者なら少し悲しい気もするが、今は好都合だ。


「そんなに違うかな?」


 ピンチを乗り切った白川さんは、自分の見た目への感想に戸惑いながら発言する。


 その時だ。

 僕は戸惑う白川さんの背後の席に、見知った女性が居る事に気づいた。

 彼女も僕の視線に気づき、こちらを見て会釈する。


「えっと……、あなたは確か……」


 僕がそう声をかけると、その場に居た全員の視線が白川さんの背後の席の女性に集まる。


鈴木すずきです。職務中ですので、私にはお構いなく」


 鈴木さんは素っ気無くそう言って、手に持ったスマートフォンに視線を落とした。


 そうだ、彼女は鈴木さん。

 綾辻さんのボディーガードだ。


 どうやら鈴木さんは綾辻さんが大学に居る間中あいだじゅう、綾辻さんの傍にいるのが仕事らしい。


 僕らは一瞬面食らったように黙り込む。

 ボディーガードがいる知り合いなんて初めて出来たのだ。ボディーガードとして仕事中の人とどう接するべきなのかなんて、見当もつかない。

 戸惑いながら僕は綾辻さんに目を向ける。すると彼女は対応に困る一般庶民のリアクションを見る事に慣れているのか、気にする様子は全くない。


 どうやら『お構いなく』という鈴木さんの言葉通り、彼女は居ないものとして振舞うのが、この場ではベストな選択みたいだ。


 そう結論付けた僕は「そうですか。わかりました」と、僕から当の昔に目を離し、スマートフォンを見つめる鈴木さんに短く返答する。

 そして気持ちを切り替えると、鈴木さんに向けていた視線を白川さんに戻した。


「白川さんはこれからサークル棟に行くの?」


 僕は鈴木さんとのやり取りが無かったかの様に振る舞い、白川さんにこのあとの予定を訊ねる。


「ええ。そのつもり」


 白川さんも一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐ表情を緩め僕の質問に答えた。

 白川さんは綾辻さんとは友人同士だし、こんな異常な状況に慣れるなんて事が出来るのかははなはだ疑問だが、僕らよりは友人にボディーガードがいるという状況に免疫があるのかもしれない。

 

「綾辻さんはこれからテニスサークルかい?」


 今度は良周が綾辻さんに質問する。良周も僕同様、ボディーガードの存在を気にせず、いつも通り綾辻さんに接するという選択肢を選んだようだ。

 綾辻さんは良周の質問の言葉に、表情をサッと曇らせる。僕と鈴木さんのやり取りを見ていた時の興味無さげな表情からの突然の変化に、僕は内心驚いた。


「……ううん」


 歯切れ悪く否定の言葉を口にすると、綾辻さんは首を横に振った。


「え? でもそのラケット……」


 そう言って良周が綾辻さんたちの席のテーブルの上に目をやる。

 僕も彼と一緒になってテーブルの上を見た。

 そこにはテニスラケットの入ったラケットケースとスポーツバッグが置かれていた。


 どう見ても、これからテニスに行く様にしか見えない。


「あのね……理沙りさちゃんは……」


 僕たちの視線と疑問に気づいたらしく、白川さんが慌てた様子で口を挟もうとする。


「辞めたの」


 白川さんの言葉と重なるようなタイミングで、綾辻さんが発言した。

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