第51話 遠い基地局

 奏人かなとは受け取ったスマートフォンの画面を見始める。


「どう?」


 そう言って美月みつきねえちゃんが期待の眼差しを奏人に向ける。


「……うーん。たぶん電波が弱いんだと思う」


 奏人が言いながら、スマートフォンの画面を美月姉ちゃんに見えるように持ち直す。

 美月姉ちゃんは「電波?」と訊き返しながら、スマートフォンの画面を覗き込んできた。


「ほら、ここのマークが三本だったり四本だったり安定してない」


 奏人はスマートフォンの画面をゆびさしながら言う。

 美月姉ちゃんは「うーん」と言いながら、しばらくスマートフォンの画面の奏人から示された部分を注視すると「ああ!」と声を上げた。


「ホントだ! そう言われれば、頻繁にマークが変わってる!」


 美月姉ちゃんがスマートフォンの画面を覗き込んだまま、そう言った。


「基本的にアプリは、一番人気があるこの機種で使い勝手が良くなるように開発すると思うんだよね。だからたぶん、特定のアプリが動かないって言うなら、やっぱり電波が原因かな。最近のアプリは、アプリのサービスを提供している側で色々な情報処理をして、処理し終わった情報をネット経由でスマホに送り返してきている物も多いらしいから」


 奏人はそう一気に説明しきる。


「処理し終わった情報?」


 奏人の話が一部理解出来ず、僕は思わず訊き返す。


「うん。例えば、撮影した人の顔に歳を取らせる加工が出来るアプリ。そのアプリの場合は加工したい顔写真データをネット経由でサービス提供会社に送ってるんだ。で、提供会社のAIが送られてきた顔写真データを加工した上で、ネット経由でアプリに加工済みの顔写真データを送り返してくるんだよ」


 奏人はそう僕に説明すると「スマホのCPUは使わないんだ」と補足してくれた。

 僕は「へえ!」と言って、目を丸くする。スマートフォンの性能に頼らないアプリがあるなんて初耳だったのだ。


「でも今話したようなアプリには注意も必要だから、利用する時は良く考えてから使ってね」


 僕の驚く様子を見ながら奏人がそう忠告してくる。


「どうして?」


 顔写真の加工をしてくれるだけの他愛もないアプリじゃないか。


 写真加工アプリの何が危ないのかが理解出来ず、僕は訊ねた。


「ネット経由で送った写真をからだよ。見ようと思えば、きっと見れちゃうんだ。それって自分の写真を見ず知らずの人に渡しているのも同然かも知れないでしょ?」


 僕は奏人の話を聞いて「……ふむ」と言葉にならない声を出し、今聞いた事に思いを馳せる。


 確かに、見ず知らずの人に自分の顔写真を渡している場面を想像すると、何だか気味が悪い気もする。


 僕は『顔写真を他人に渡すことに、どんなリスクがあるだろう?』と考えを巡らせ、黙り込む。

 その間、美月姉ちゃんはポカンとした顔で僕と奏人のやり取りを見ていた。話に付いて来れていないようだ。

 奏人はそんな美月姉ちゃんを見て取ると、話をインターネットへの繋がりやすさの問題に戻す。


「ちょっとわかり難い所もあったかもしれないけど、ネットが安定して繋がっていないと、スムーズに動かないアプリがあるんだ。でね……」


 奏人は僕から美月姉ちゃんに視線を戻して、そこまで話すと一度言葉を切った。そして周りを見回すような仕草をする。


「前から思っていたけど、ここって携帯電話の電波が弱い気がするんだよね。携帯電話会社の基地局が遠いのかも」


 一旦切った言葉に付け加える様にそう言うと、奏人は「周りが山ばかりだからかな?」と苦笑いしてみせる。


「基地局?」


 顔写真加工アプリの事を考えていた僕の耳に、また訊きなれない言葉が飛び込んでくる。僕は思わず写真加工アプリの事をほうって、この『基地局』という聞き慣れない新しい単語について訊き返してしまう。

 すると奏人が、僕を見上げる様に振り向いて「携帯電話会社が設置した基地局っていう無線通信の為の装置が置かれた設備が、国中に沢山あるんだ」と教えてくれた。


「何で沢山必要なんだ?」と僕。

「僕らが携帯電話を持って国中を移動するからだよ」


 奏人は『当たり前でしょ』と言いたげな口調で、僕の質問に答えた。僕はまだ理解出来ずに頭をひねる。


「例えばお兄ちゃんが携帯電話で電話をかけるとする。すると国中の基地局の中からその携帯電話に一番近い場所にある基地局が、お兄ちゃんの携帯電話の電波を受信するんだ。で、基地局は受信した電波を処理して、携帯電話会社の交換局へ渡すんだ。それから交換局がお兄ちゃんがかけた電話相手の携帯電話を探して、電話回線を繋いでくれるんだよ。だから基地局と上手く通信出来ないと、通話もネットを使用するアプリの動作も不安定になるんだ」


 奏人が僕に詳しく説明すると「災害が起きてスマホが全く使えなくなる場合は、この基地局がダウンしてしまっているケースが多いらしいよ」と情報を補足してくれた。


 僕は奏人の携帯電話についての説明を聞いて、先程奏人が言った『携帯電話会社の基地局が遠いのかも』という言葉に納得する。

 確かに、この家に来ると自分のスマートフォンがインターネットに繋がりにくいと感じることが、僕にもあったのだ。


 何故だろうと思ったりもしたが、長く居てもても二、三日。この家にいる間はスマートフォンばかり眺めるという事も無いので、理由に思い至るまでに田倉家を辞していた。

 その為、この家に居る際にスマートフォンが繋がり難いと感じはするが、突き詰めて考えたことは無かった。


 まさか、僕が感じていた事が美月姉ちゃんの問題の原因だったとは……


「ええ!? でも昔から問題なく使えてたのよ」


 僕は納得したが、美月姉ちゃんは奏人の説明に不満の意を示す。

 長年居住している家の問題点を居住者でもない人間に指摘されたのだ。不満の一つも言いたくなって当然かもしれないと、僕は美月姉ちゃんの動揺する姿を見ながら考える。


「うーん。昔からって……もしかして、ガラケーの事?」


 奏人が首をひねりながら、美月姉ちゃんに訊ねる。


「そうそう! ガラケーは全然問題なかったの!」


 美月姉ちゃんはコクコクと頷いて主張した。


 ガラケー。

 最近は携帯電話ショップでもほとんど見かけなくなった製品だが、少し前まで奏人も使っていたし、僕の周りでは未だに時折聞こえてくる名称だ。

 ガラケーとはガラパゴス携帯の略称で、主にスマートフォンが登場する以前に日本で広く使われていた携帯電話の事を指す言葉だ。世界標準とは異なる日本独自の進化をしてしまった携帯電話が、まるでガラパゴス諸島の生物の独自進化に似ているという事で、こう呼ばれていると聞いた覚えがある。


「ガラケーが受信するデータ量なんて高が知れてるから、気づかなかっただけじゃない? スマホに替えて一回のデータ受信量が多くなったから、通信の不安定さに気づいちゃったのかも」


 美月姉ちゃんの感情の高ぶりをなだめる様に、奏人が語りかける。


「……なるほど。確かにこの家、ラジオの電波も届きにくいのよね」


 美月姉ちゃんは一瞬考え込むように黙ると、奏人の説明に納得した様にそう言った。だが、すぐに顔を曇らせ「でも……それじゃあ、どうしようもないの?」と絶望感のこもった声で言う。


 美月姉ちゃんが不安がるのも無理はない。


 僕はそう感じた。

 基地局との通信が不安定だなんて、個人にはどうしようもない事だと思ったからだ。


 基地局を作ってくれと携帯電話会社に要望したところで、それが叶うのはいつになるか……。


「大丈夫だよ! このスマホ、おばあちゃんのノートパソコンと同じでWi-Fiの設定をして無さそうだから。家ではWi-Fiを使うように設定すれば、ネット環境が良くなるはず。そうすれば家の中では、美月お姉ちゃんの問題は解決できると思う」


 奏人が美月姉ちゃんのスマートフォンを操作しながら、美月姉ちゃんの不安を吹き飛ばすような明るい声で、解決方法を提案する。

 奏人のその提案に「そうなの! え? でもそれって私のスマホもおばあちゃんのパソコンと同じ状況ってこと?」と美月姉ちゃんは希望と驚きが入り混じった表情をする。

 解決法があった事に喜びは感じるが、祖母のパソコンの件が自分のスマートフォンにも言える事だと分かって戸惑ってもいるのだろう。

 そしてすぐに自分の中で状況が整理できたのか、今度は急に不満げに眉を顰めると、美月姉ちゃんは声を低くして疑問を口にする。


「携帯電話会社はWi-Fiの設定をやっておいてくれないの? スマホを買った時に設定してくれれば、こんなに困らなかったのに」


 奏人は美月姉ちゃんの発言を聞くとスマートフォンからパッと目を離す。そして真面目な顔で忠告した。


「携帯電話会社が個人の家のWi-Fiのアクセス方法を知ってたら、大問題だからね! 他所よその人に訊かれても絶対に教えちゃだめだよ!」


 奏人の言葉は小さな子供に言い聞かせる時のような口調だが、語気は強い。

 美月姉ちゃんは「ええ? そういうものなの?」と奏人の真剣な様子に驚きながら訊き返す。


「そういうものなの! 悪い人に悪用されちゃうことも有るんだから! 絶対にダメ! お兄ちゃんもお姉ちゃんもダメだからね!」


 奏人は美月姉ちゃんに向けていた視線を僕や結衣ゆいにも向けて、そう警告して来た。


 まさか、僕らまで注意されるとは……。


 僕も結衣も意表を突かれ、奏人の言葉に無言で頷く。

 父さんはうんうんと頷いて、奏人の言葉に同意の意を示している。

 母さんと亜希伯母さんはというと、二人して「そうなのね」と美月姉ちゃんと大差ない反応をしていた。


 奏人は僕らにWi-Fiの注意点が伝わったと見て取ると「じゃあ、今から美月姉ちゃんのスマホのWi-Fi設定をしようか」と言って立ち上がり、亜希伯母さんが先程場所を教えてくれた無線ルーターに歩み寄った。

 奏人は美月姉ちゃんを自分の方へ手招く。そして彼女にWi-Fiの使い方を説明しながらスマートフォンのWi-Fi設定を済ませた。

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