第50話 俊樹の陰謀

 美月姉ちゃんの手の振りに合わせて、三頭身のアプリコットがゆらゆらと揺れている。


美月みつきがかい?」


 祖母は驚いた様子で、祖母の斜め前の席に座る美月みつきねえちゃんに訊ねる。


「うん。自分の部屋でスマホを使いながら動画を観たいって思ってたから、丁度良いわ」


 屈託なく微笑んで美月姉ちゃんが言う。


 確かにアプリコットが好きだと公言する様子からも、彼女がなかなかのYouTubeフリークなのは明白だ。

 奏人も動画の視聴は出来ると言っていたし、美月姉ちゃんにはメリットのある製品なのかもしれない。


「使い道があるのかい? じゃあ、これは美月にあげるよ」


 全くの不用品にはならなくて済みそうだと感じて安堵したのだろう、少しホッとした表情を作ると、祖母はそう言った。


「駄目よ。私も働いてるんだから、ちゃんとお金は払うわ」


 美月姉ちゃんがそう言って首を振る。それから「アッ」と何かを思い出したように呟くと、祖母に向けていた視線を奏人かなとへ移した。


「でもそのパソコン、ネットに繋がらないんだっけ? もしかしてネット動画は観れない?」


 心配そうな表情になった美月姉ちゃんが、そう奏人に訊ねる。


 なるほど、YouTubeを観たいのにインターネットに繋がらないのでは話にならない。


 当然の心配だと、僕も思う。


「大丈夫、観れるよ。ネットに繋がらないのは単にネットに接続する設定をやっていないだけだから」


 奏人もパソコンの貰い手が見つかってホッとしたのだろう。表情を崩して笑いながら、造作もない様子でそう美月姉ちゃんに応じた。


「Wi-Fiなら飛んでるわよ」


 亜希伯母さんはそう言って奏人たちの会話に割り込むと、部屋の隅をゆびさす。

 そこには僕の家のリビングにある四角い機器に良く似たものが置かれている。たぶんあれが田倉たくら家の無線ルーターなのだろう。


「飛んでても接続しなきゃ使えないよ」


 困った様子で苦笑いして奏人が、そう亜希伯母さんに指摘する。


「そうなの? じゃあ、何で古いパソコンはインターネットが見れるのかしら? そんな設定をした覚えが無いんだけど……」


 亜希伯母さんは不思議そうに言うと、母さんに「どういうことかしら?」と意見を求める。母さんは「さあ?」と言って、首を捻るばかりだ。


俊樹としきお兄ちゃんがやってくれたか、インターネットの工事をした時の業者さんが……気を利かせてやってくれたのを覚えてないとか?」


 奏人が有り得そうな状況を推理して、父さんに目配せする。

 今このリビングに居る中で一番そういう事に詳しいのは、たぶん父さんだからだろう。さすがの奏人も工事の時にWi-Fiの接続までするものなのか、半信半疑の様だ。


「まあ、工事してくれる人も知り合いみたいなものだから、有り得なくはないな。本当は良くないけど」


 父さんがそう言って、奏人に頷いてみせる。

 亜希伯母さんは「うーん」と唸りながら、何事か思い出そうとしている。そして「あッ!」と声を上げた。


「俊樹だわ! あの子がどうしてもWi-Fiが使いたいって言うから、あの機械を買ったはずよ!」


 亜希伯母さんが合点が言ったと言いたげな表情で言う。そして「それまでは、ケーブルみたいなのをパソコンに接続してたもの」と、自分の言葉に自分で頷きながら言葉を続けた。

 亜希伯母さんは一つの記憶を思い出せたことで、どんどん記憶が蘇ってきているようだ。


「俊樹は僕と同じでゲーム好きだから、携帯ゲーム機をネット接続したかったのかもね」


 僕は俊樹のWi-Fiの使用目的に思い至って、思わずそう口にする。


 因みに僕のゲーム機の場合は、いつも奏人に頼んでインターネットに接続してもらっている。

 僕はその事を急に思い出して、そろそろ僕も自分でインターネット接続出来るようになるべきだなと、ふと考える。


「まあ! あれ、ゲームの為だったの?」


 亜希伯母さんが僕の言葉を聞いて、急に声を低くする。


 亜希伯母さんは、今も昔も俊樹はゲームのやり過ぎだと思っているふしがある。俊樹は亜希伯母さんの逆鱗げきりんに触れるのを恐れて、Wi-Fiの使用目的を詳しく話さなかったのかもしれない。


 しまった!

 僕、余計な事を言ってしまったんじゃないか?


 僕は急に自分の発言のまずさに気づく。

 しかし、もはや後の祭り。

 俊樹の陰謀に今更気づく事になった亜希伯母さんは、苦虫を噛みつぶすような顔をしている。


「何年も親を騙す様な事をしてッ! 今度帰って来たら、小言の一つも言ってやらなくちゃッ!」


 亜希伯母さんが不機嫌な口調でそう言った。


 俊樹、ゴメン!


 僕は心の中で俊樹に謝罪する。彼が次に亜希伯母さんと話をする機会の事を思うと、何だか嫌な汗が出て来た。


 次に俊樹に会う際にはしっかり謝罪せねばと、僕は心に誓う。


 僕がそんな気持ちでいるとは知りもしない奏人は、亜希伯母さんの様子を苦笑まじりに見る。

 そして祖母の方に視線を戻すと「おばあちゃん、新しいパソコンの使い道が出来たみたいで良かったね」と声をかけた。

 祖母は「ホントにねえ」と言って、奏人に微笑んでみせる。


「もし本当にパソコンを買い直すなら、僕がスペックのメモを作るけど……」


 奏人かなとはそこで言葉を濁すと、祖母に向けていた視線を亜希伯母さんに向ける。

 亜希伯母さんが奏人の視線に気づいて、表情を和らげる。


「どうする? メモを作ろうか? 電気屋で見せれば店員さんに伝わる程度の物は用意できるよ」


 奏人はそう亜希伯母さんに訊ねる。

 奏人はこの件の主導権を握っているのは亜希伯母さんだと判断したようだ。


「じゃあ。念のため、お願いしても良い?」


 亜希伯母さんも自分に判断が委ねられたことに違和感は感じないようで、そう奏人に依頼した。

 奏人は気軽な調子で「いいよ」と応じると「じゃあ、帰るまでには用意しておくね」と言葉を続ける。


「なんだか奏人は電気屋さんみたいね」


 この一連のやり取りを見ていた母さんが言う。

 父さんも「そうだね。奏人は本当にこういう事に詳しくなったな」と暢気のんきな調子で母さんに相槌している。


「本当ね! 流石、かなちゃんだわ!」


 そう父さんの言葉に同調する美月姉ちゃんの声が、異様に近くで聞こえた。

 父さんの方を見ていた僕は、驚いて声の方に振り向く。そこには美月姉ちゃんがいつの間にか祖母の隣辺り、奏人と僕にかなり近い位置まで移動して来ていた。


 美月姉ちゃんは祖母に顔を向け「おばあちゃん。パソコンを買い取る件は後で話そう」と祖母に提案する。

 祖母は美月姉ちゃんのその提案に「そうだね。じゃあ後でね」と言うと、奏人のほうへ向き直り「かなちゃん、ありがとうね」と言って、新しいノートパソコンを残したまま席を立った。


 席を立った祖母は、結衣ゆいの居るソファーへ移動する。そして「結衣ちゃん、勉強が大変なのに来てくれて有難うね」と言いながら結衣の両手を取り、二人で何事か世間話を始める。

 美月姉ちゃんがそんな祖母の行動を目で追う。そして祖母が居なくなる事で空いた椅子に、自然な動作で座った。


「ところでね。そんな電気屋さんの奏ちゃんに、これも見て欲しいんだけど」


 美月姉ちゃんがそう言って、ニッコリと奏人に微笑んでみせると、スッと両手を奏人の前に突き出した。

 美月姉ちゃんが差し出した手には、スマートフォンが握られている。


 僕と奏人かなとは唐突な申し出に困惑しながら、スマートフォンに向けた視線を美月姉ちゃんの顔へ移す。すると美月姉ちゃんは僕らの困惑を感じたのか、ばつの悪そうな顔で話し出した。


「なんかね、前に持ってたスマホのアプリの動きがすごく遅くて。それでも三年くらい我慢して使ってたの」


 どうやら美月姉ちゃんの話は言い訳から始まるようだ。僕がそう感じた間も、美月姉ちゃんの言い訳は続く。


「でね、使いながら文句ばっかり言ってたら、お母さんが『そんなに気に入らないなら、一番良いのを買えばいいでしょ!』って言い出して……」


 一番良いのって……


 先程のパソコンの事と言い、今日だけで亜希伯母さんの大らかさが炸裂しまくりだ。


「……もう文句を聞くの嫌だったんだね」


 僕は奏人の隣の席の亜希伯母さんに声をかける。

 一番良いのが必要かどうかは分からないが、三年も愚痴を聞かされたら嫌にもなるだろうという事は、僕にも想像がつく。


「嫌よぉ。こっちまで気が滅入るもの」


 亜希伯母さんがうんざりした顔でそう僕に応じると「ねえ?」と、僕の両親に同意を求める。

 亜希伯母さんのそんな様子を見て、美月姉ちゃんは苦笑いして「ごめんってば」と言うと、奏人かなとと僕の方へ向き直った。


「それで、奮発してコレを買ったんだけど……」


 そう言って、美月姉ちゃんは差し出した手に持っていたスマートフォンを奏人かなとの前に置いた。


「iPhoneだね。しかも最新型の最上位機種」


 美月姉ちゃんが置いたスマートフォンを見て、奏人がそう言った。


 僕もiPhoneだという事にはすぐに気づいた。だが、どこをどう見たら最新型だとか、最上位機種だというのがわかるのかは、さっぱりわからない。でも奏人がそう言うのなら、そうなのだろう。


 それにしても、最新型の最上位機種って……


 このスマートフォンよりスペックの良いものなんて、無いに等しいはず。奏人に一体何を訊く必要があると言うのだろうか。


「前のスマホみたいに動きが遅いの?」


 僕は疑問に思って推量ずいりょうで訊いてみる。

 すると美月姉ちゃんは僕の質問に首を振って「ううん。前のよりずっとサクサク動くよ! 動くんだけど……」と一瞬言葉を濁して、少し眉を顰める。それからおもむろに言葉を続けた。


「一番サクサク動いて欲しかったアプリの動作が、あまり代わり映えがしないのよね」


 基本的にサクサク動くのに、特定のアプリの動きが悪い。そんなことがあるのだろうか?


 奏人も僕と同じような事を思っているのか、不思議そうな顔をしている。


「見て良い?」


 奏人はそう質問して、スマートフォンを手に取ると「ロックを解除して」と美月姉ちゃんを促す。


「もちろん。お願い!」


 美月姉ちゃんはそう言って一旦いったん自分のスマートフォンを受け取ると、ロックを解除した上で、もう一度奏人に渡し直した。

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