第49話 おばあちゃんの新しいパソコン

 ◆


 田倉たくら家に到着した僕らは、ひとしきり田倉家の面々と挨拶を交わす。

 祖母は「元気だったかい?」と言いながら、嬉しそうに孫の僕らの頬を両手で順々につつんでは、顔を見てくる。祖母なりの愛情表現だ。

 そんな祖母に僕らは頷いたり、逆に祖母の体調を訊ねたりして応じる。


 挨拶が終わると僕らはリビングに通された。

 食卓の椅子に、テレビの前のソファーにと、僕らは思い思いの場所に腰掛ける。僕は結衣ゆい奏人かなとと一緒にテレビの前の三人掛けのソファーに腰を下ろした。

 何度も訪れた勝手知ったる親戚の家だ。どうすれば良いかは皆、それぞれ心得ているので気兼ねする事は無い。


 現在田倉家に暮らしているのは母方の祖母、母さんの姉の亜希あき伯母さん夫婦、そして亜希伯母さんの娘の美月みつきねえちゃんの四人だ。

 亜希伯母さん夫婦には僕と同じ年の息子、俊樹としきもいる。だが彼は今、遠方の大学へ通う為に家を出ている。

 美月姉ちゃんと俊樹は僕のいとこだ。


「お姉ちゃん。今日は敏行としゆきさんは?」


 食卓の椅子に腰かけて、母さんが亜希伯母さんに訊ねる。

 母さんの言う『敏行さん』とは亜希伯母さんの夫。つまり僕の伯父さんだ。


「今日は消防団の集まりなの。せっかく恵美めぐみたちが来てくれたのにね」


 亜希伯母さんは僕たちに飲み物の渡しながら残念そうに言うと、母さんの向かいの椅子に腰かけた。どうやら今日は敏行伯父さんは不在の様だ。


「美月お姉ちゃん」


 僕と一緒にソファーに腰かけていた奏人が美月姉ちゃんに声をかける。そして奏人はソファーから立ち上がると、食卓の椅子に腰かけている美月姉ちゃんに歩み寄った。


「これ、頼まれてたもの」


 そう言って奏人は、右手に持っていた小さな何かを美月姉ちゃんに渡した。

 渡されたものを見て、美月姉ちゃんの表情がパッと華やぐ。


「流石、奏人! 覚えててくれたんだ! 後で代金を払うわね」


 美月姉ちゃんが嬉しそうに奏人に笑いかける。


「え? 何?」


 結衣が美月姉ちゃんの様子に驚いて訊く。


「あぷこのストラップ!」


 美月姉ちゃんが奏人から渡されたものを自慢げに掲げる。

 美月姉ちゃんが手にしているのは、女の子の形をしたフェルト製のぬいぐるみだ。


 アプリコットだ!


 淡いオレンジ色の長い髪、ピンク色のハートのイヤリングに袖無しパーカー。三頭身のぬいぐるみではあったが、特徴からバーチャルYouTuberのアプリコットであると僕は認識出来た。


 アプリコットが……あぷこ?


 そう言えば以前、奏人に見せてもらったYouTubeのライブチャットでも『あぷこ』という言葉を見かけた。どうやら『あぷこ』というのはアプリコットの愛称のようだと、僕は推測する。


「ああ。奏人が好きなYouTubeの動画の!」


 結衣がそう言って頷く。結衣もアプリコットだと気づいたようだ。

 まあ、時間さえあれば奏人がリビングで観ているのだから、結衣が覚えていてもおかしくはない。


「私も奏人と一緒で、あぷこのファンなの! 少し前に高橋のおうちの近くのショッピングモールで、あぷこの期間限定ショップが出ててね。奏人に私のぶんもグッズを買っておいてもらったの!」


 ニコニコしながら美月姉ちゃんはそう言うと「可愛いでしょ?」と目をトロンとさせながら言葉を続けた。

 どうやら美月姉ちゃんもなかなかのアプリコットフリークの様だ。


 昔から美月姉ちゃんが漫画やアニメ、ゲームを好きなのは知っていた。


 でも、まさかバーチャルYouTuberも守備範囲に加わっていたとは……。


 僕は意外とまでは思わないが、少し驚いた。


 楽しそうな美月姉ちゃんの様子を見ながら、洋さんの事務所の見学をさせてもらった時のことに、僕は思いをせる。

 そして、従業員の佐藤さんの『YouTubeでモデリング技術の宣伝をしてるんだ』という言葉が脳裏に浮かぶ。


 グッズ販売とは……。

 宣伝の為なんて言っていたが、しっかり人気にあやかって商売もしているんだな。


 僕は洋さんの商魂たくましい面を見た気がして、舌を巻く。


かなちゃん」


 アプリコットの話をしていた僕らの所に祖母が歩み寄り、奏人に声を掛ける。

 見ると祖母は手に、小ぶりなノートパソコンを持っている。僕らが他愛も無い話に花を咲かせている間に持って来たらしい。


「この新しいパソコンの使い方が分からないのよ。教えてくれるかい?」


 早速、祖母はパソコンについて訊きたいようだ。母さんは口実だと言っていたが、どうやら祖母は本当に困っているらしい。


「いいよ」


 そう気安く応じ、奏人は祖母からノートパソコンを慎重に受け取った。この慎重さはノートパソコンの上にマウスが乗っていたからだろう。

 奏人はマウスを落とさないようにパソコンをそっと食卓に置く。そしてノートパソコンにマウスを接続し、画面部を動かしてノートパソコンを開くと電源を入れた。

 その一連の動作をしながら奏人は、亜希伯母さんの隣にある食卓の空いた椅子に腰掛ける。

 僕はソファーから立ち上がると、祖母の為に奏人の席の斜め前にある椅子を引き、祖母に座るように促した。


 祖母に席を勧める為に立ち上がった僕は、ソファーに結衣を残し、奏人の背後に移動する。そして奏人の作業の様子を見守る事にした。

 自分のパソコンを明日設定したいと思っている僕は、奏人がどんな確認作業をするのか興味があったのだ。


「自治会の広報誌の編集をしたいの。でも貰ったデータが開かないのよ。それにインターネットにもつながらない。古いパソコンは繋がってるんだけど……」


 祖母は僕の引いた椅子に腰かけながら、パソコンの使用目的について話す。


 なるほど、たまに編集を頼まれているチラシの事か。


 僕は祖母の言う広報誌に心当たりがあった。


 祖母は昔、事務関係のパートをしていた時期がある。

 その為、当時仕事で使っていたエクセルやワードなどはある程度使えるのだ。同じ年代の人の中では、祖母はパソコンを使いこなしている方に違いないと僕は思う。

 その事は近所の人も知っている。その為、回覧板で回すような数枚写真を掲載する程度の簡単なチラシの作成を、自治会の人から祖母は時々頼まれるのだ。


 いつもの頼まれ仕事を新しいパソコンでやろうとしたら、上手くいかなかったという事か。


「ああ。これ、オフィスが入ってないね」


 起動した祖母のノートパソコンをマウスで操作しながら、奏人が言う。


「オフィス?」


 祖母が訊き返す。祖母には馴染みの無い言葉だったらしい。


「……えっと、ワードやエクセルが入ってないって事」


 奏人かなとが言い換える。祖母は「ああ。ワードね」と奏人かなとの言葉に頷いてみせる。

 祖母はワードやエクセルは知っていても、それらの総称であるオフィスという言葉は知らないのだなと、僕は二人の様子を見ながら思った。


「パソコンなのに?」


 そう訊いてきたのは美月姉ちゃんだった。

 僕は奏人の向かいの席の美月姉ちゃんを見る。まだアプリコットのストラップをゆらゆらさせて遊んでいるが、顔には驚きの色が浮かんでいる。

 僕は美月姉ちゃんの言葉で『オフィスはメーカーがサービスで付けてくれてるわけではないよ』という良周よしちかの言葉を思い出す。

 そして美月姉ちゃんは少し前の僕と同じだなと感じた。


 安いパソコンだったからオフィスが入っていないんだ。


 サークルで色々教えてもらった今の僕には、そう想像がついた。


「うん。最近はそういうのもあるんだよ。どうしても必要ならソフトウェアだけ買えるけど……」


 そう言いながら奏人は、手際良くパソコンの操作を続ける。そして一瞬手を止めると「セレロンか……」と呟いた。

 奏人は呟くと同時にパソコンから目を離し、祖母の方を向く。


「広報誌の編集をするのは、このパソコンには荷が重いかも……」


 そう言って、奏人は申し訳なさそうな表情をした。


「あら。そうなの? すごく安くて良い買い物したと思ったのに」


 祖母はショックというよりは、驚いたという様子でそう応じると「税込みで五万円もしなかったのよ」と言葉を続ける。


「たぶんだけどね。ワードをインストールしても、古いPCより動作が重くなる気がする」


 奏人は表情を曇らせたまま、そう祖母にアドバイスして「このパソコンの為にワードを買うのは勿体ないかも」と言葉を付け加えた。


 祖母が以前使っていたパソコンは、デスクトップパソコンだった記憶がある。

 今まで広報誌の編集に困ったなんて聞いた事が無い。だから古いパソコンとはいえCPUの性能は、新しいノートパソコンよりは期待出来るという事なのだろう。


「新しいのにかい? そんなことがあるんだね」


 祖母が頬に手を当て、軽いため息を付くとそう言った。

 祖母のそんな様子をソファーから結衣が見ている。僕と結衣は何んとなく顔を見合わせる。

 自分の事では無いのに結衣の表情は曇っていた。祖母が買い物に失敗したことに心を痛めているのだろう。


「……うん。新しいけど、とっても安いから、安いぶん動きも遅いんだ」


 祖母にも理解できるように、奏人は簡単な言葉を選んで説明する。

 そう話す奏人の表情は結衣同様、曇っている。きっと心持こころもちも結衣と同じなのだろう。


 重い沈黙が一瞬、リビングを包む。


「お母さん。どうしても広報誌の編集に使う新しいパソコンが必要なら、また一緒に買いに行きましょうよ。私がプレゼントするから」


 沈黙を破ったのは亜希伯母さんだった。僕の両親とお茶を飲みながら、祖母と奏人のやり取りを聞いていたのだ。

 それにしても、なんともおおらかな提案だ。


「そうかい? でも何だか勿体ないねえ」


 祖母は亜希伯母さんの突然の提案に、あまり乗り気でない様子だ。

 新しいパソコンを買ったばかりだというのに、買い直すなんて勿体ないと感じる気持ちは、僕にも理解出来た。


「ネットや動画を観たり、簡単な文章作成をするのに使うくらいなら、問題ないんだけどね」


 奏人が祖母と亜希伯母さんを交互に見ながら、祖母のノートパソコンについて説明を補足する。


「じゃあ。そのパソコン、私が買い取るわ」


 そう気軽な口調で話に割り込む声がした。

 急な申し出に驚いて声のする方を見ると、それはアプリコットのストラップを持った手を振って、自分の存在をアピールする美月姉ちゃんだった。

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