山に囲まれた祖母の家

第48話 ミニバンに乗って

 良く晴れた土曜日。

 僕は今、家族と一緒に父さんの運転するミニバンに乗っている。自宅から車で1時間半近くかかる母方ははかたの祖母とその家族が暮らす家へ向かう為だ。

 ちなみに『車で1時間半近くかかる』と言うのは使だ。なかなか遠い。

 自宅を出てしばらく走った後、僕らを乗せたミニバンは一般道から高速道路に入った。先程まで街中まちなかを走っていたはずなのに、インターチェンジを抜けるとどんどんと緑あふれる野山の方へと向かって行く様に感じられる。

 この様な風景の移り変わりから察しが付くかもしれないが、これから向かう祖母の暮らす家は『田舎』と言って差し支えない場所にある。


 僕はどんどんと自然豊かな風景に変わりゆく窓の外の景色を眺めながら『何故こんな事になったのだろう?』と、今更考えても仕方のない事に考えを巡らせていた。


「残念だったね。お兄ちゃん」 


 まるで僕の考えを見透かしたかの様に、奏人かなとが後ろの席から声を掛けてきた。


「……まあね」


 僕はぶっきらぼうに相槌しながらチラリと奏人かなとに目をやる。

 奏人かなとはメガネの奥の目を眠そうに細め、僕の方を見ていた。前髪がメガネにかかって邪魔そうだ。

 僕はその気の抜けた弟の顔を見ながら『流石にそろそろ髪を切らないと、見窄みすぼらし過ぎるな』と、母親が考えそうな事を考えてしまう。


「何が?」


 僕の隣の席でスマートフォンを見ていた妹の結衣ゆいが、僕の方を向いて訊ねてきた。振り返りざま、耳の少し下で切りそろえた結衣ゆいの短い髪がふわりと揺れる。奏人かなとと違って清潔感のある見た目だ。

 その様子を見て『流石に女の子は身なりに気を付けているな。奏人かなととは大違いだ』と、僕はまた母親目線で妹を観察してしまった。


「お兄ちゃん、新しいパソコンを家で触ってたかったんじゃないかな? って思って」


 奏人かなと結衣ゆいの質問に答える。


「ああ、パソコンね。ご愁傷さま」


 結衣ゆいは淡白に応じると、視線を手にしたスマートフォンに戻した。僕と奏人かなとのやり取りへの興味を急激にくしたようだった。


 そうなのだ。

 奏人かなとの言う通り、僕は昨日新しいパソコンを手に入れた。

 なのに首を長くして待っていた入手したばかりのパソコンを自宅に残し、僕は祖母の住む家に向かっている。


 これには昨日の夕食時、家族としたやり取りが関係していた。


 ◆


 金曜日の昼間。

 僕は家電量販店から「ご注文頂いていた商品が店舗に届きました」との連絡の電話を受けた。

 注文していた商品と言うのは、もちろん先週の日曜日に注文した新しいノートパソコンの事だ。

 土曜日には店舗に届くだろうと家電量販店の店員からは言われていた。今日は金曜日、言われていたより一日早い。

 僕は予定より早い連絡に胸を躍らせ、大学の講義が済むと急いで家電量販店に向かい、品物を受け取った。


 早く封を開けたい!


 もちろん僕はそう感じていた。

 だが、運悪くその日の夕食の当番は僕。

 僕は泣く泣くパソコンの入った箱を自室の机の上に置き、夕飯の支度に取り掛かった。

 そして、そのままの流れで家族と夕食を摂ることになったのだった。


 食事中、僕は嬉しい気持ちをおさえきれず「今日、新しいパソコンが手に入ったんだ。夕飯の後、早速使ってみるよ」と、何気なく家族に報告した。


「いいな! 後で僕にも見せて」


 奏人が目を輝かせてそう言った。

 母さんも「そう。良かったわね」と応じてくれる。そして母さんはそのまま言葉を続けた。


「それはそうと、みんな明日は家に居る予定?」


 母さんはそう言いながら、食卓の面々の顔を見回す。


「まあ。パソコンを触りたいから、そのつもり」


 僕が一番にその質問に答える。


「私は自分の部屋で勉強する」


 僕に続いて結衣ゆいが答えた。


「僕も特に予定は無いよ」


 結衣ゆいが答えるのを待って、奏人かなとも答える。

 母さんは僕らの回答を聞き終わると、自分の隣の席の父さんの方を向く。


正弘まさひろさんは?」


 母さんが父さんに改めて訊ねた。


「明日はゴルフの誘いも無かったし、家に居るつもりだよ」


 父さんはそう応じる。


 どうやら明日は家族全員、家で過ごすことになりそうだな。


 僕がそんなことを考えていると、奏人かなとが「何でそんなこと訊くの?」と母さんに質問の意図を訊ねる。


「実はね、田倉たくらのおばあちゃんから電話があったの」と母さん。


 田倉たくらのおばあちゃんとは母さんの母親の事だ。つまり僕の母方の祖母である。


「おばあちゃん、何だって?」


 僕は祖母がどんな用件で電話を寄越したのかを母に訊ねる。

 すると母さんは「遊びに来て欲しいみたいなの」と言って、祖母との電話の話を続ける。


「新しいパソコンを買ったけど、使い方が分からないんですって。奏人かなとに見て欲しいって言うのよ」


 母さんはそう言うと「新しいパソコンを買ったなんて、史一ふみかずと一緒ね」と言って笑う。


「じゃあ、奏人かなとだけ……」


 僕がそう言いかけると、母さんがかさず「史一ふみかず結衣ゆいの顔も見たいって言ってるの。パソコンは孫の顔を見る為の口実よ」と言って、僕の言葉を遮った。


「おばあちゃんは、お前たち皆に会いたいみたいだね」


 父さんが笑って、そう口を挟む。


正弘まさひろさんにもね」


 母さんはそう言うと、父さんに笑いかけた。

 そんな母さんの様子を見て、父さんは「そう思って貰えていたら嬉しいな」とハハハと笑って応じる。


「明日は皆、外せない用事は無さそうだし、たまには家族全員で出かけるのも悪くないでしょ?」


 母さんはそう言って僕らを見回す。

 確かに最近、家族みんなで行動する機会が減っているのは事実だ。


「そうだな。ドライブがてらお邪魔しようか」


 父さんが母さんの意見に賛同する。両親がその気になってしまったという事は、我が家ではその事柄はほぼ決定事項と言って良い。

 それに僕も祖母が会いたそうにしていると聞いては無下むげには断れない。パソコンを触りたい気持ちはあったが、僕は「良いよ。行く」と母さんの提案を受け入れた。


「私も良いよ」

「僕も行ける」


 結衣ゆい奏人かなとも僕と同じような心持ちなのか、それぞれ祖母の家に行くことに同意した。


 じゃあ今晩、頑張ってパソコンの設定作業を終わらせなきゃな。


 僕は明日の予定が決まったことで、今晩のパソコン設定作業への意欲が増すのを感じた。

 そう感じた直後。

 奏人かなとがリビングの壁に掛けられた時計にチラリと目をやった。そして「お兄ちゃん」と僕に声を掛けてくる。

 僕は「ん?」と言って奏人かなとの呼びかけに応じる。


「さっきは言わなかったけど、パソコンの設定には時間がかかることがあるんだ。おばあちゃんの家に行くなら、今日はパソコンを触り始めない方が良いと思うよ」


 そう言って奏人かなとが憐みの視線を僕に向ける。


「そんなに時間かかるのか?」と僕。

「大丈夫かもしれないけど……。大丈夫じゃない事態になった時には、今晩中に作業が終わらないかも。そうしたら明日1日中、途中止めの状態でほうっておく事になる……」


 奏人が困ったように眉を寄せ、考え考え僕の質問に答える。


「……」


 僕は奏人かなとの答えを聞いて、黙り込む。買ったばかりのパソコンをトラブらせたまま放置しておく勇気は僕には無い。


 しかも、そう言ってきたのが奏人かなとなのだ!


 実は一人で上手くパソコンの設定を出来なかったら、奏人かなとに手伝ってもらうつもりだった。

 我が家で一番こういう事に詳しいのは奏人かなとだからだ。

 その奏人かなとからこんな事を言われてしまっては、今日の作業は諦めたほうが良いのかもしれない。


 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、母さんが僕と奏人かなとの会話に口を挟み、僕の不安な気持ちにとどめを刺した。


「パソコンを触るのは日曜日にすれば良いじゃない。今日は明日に備えて、二人とも早く寝なさい」


 ◆


 そんなやり取りがあって今、僕は購入したパソコンを自室に置き去りにし、此処ここに居るのである。


史一ふみかずのパソコンの事は、日曜日にって決めたでしょ? 今日はおばあちゃんに元気な顔を見せてあげて。おばあちゃん、アンタたちが来るのを楽しみにしてくれてるわよ」


 物思いに耽っている僕に向かって、丁度僕が思い出していたのと似たような発言を助手席の母さんが口にする。


「わかってる。僕もおばあちゃんに会いたいし」


 僕は思い出していた言葉をもう一度本人から聞く羽目になり、多少うんざりしながら応じる。


 別に祖母に会いたくないわけでは無い。むしろ定期的に元気にしているか確認したいくらいだ。

 ただ祖母の家に行くのと、新しいパソコンを入手するタイミングが重なってしまった事が悔しいだけだ。


 祖母には子供の頃から世話になっている。

 うちの両親は共働きなので、車で1時間半かかるとは言え、有事の際に両親が頼るのは昔から田倉の祖母のところだった。母も実母には子供を預けやすかったのだろう。

 小さな頃は田倉の家と自宅、それぞれ同じくらいの時間を過ごしたかもしれない。そう思えるくらい僕たちきょうだいにとって田倉の家は馴染み深い場所だ。

 だから田倉の家の人々、とりわけ一番世話を焼いてくれた祖母には家族同様の愛着を感じている。


 会いたくないわけがない。


 僕はそんなことを考えながら、何気なく隣の席の結衣ゆいを見る。ふとスマートフォンの画面に目がいった。その画面には英文字が大きく表示されているのが見えた。英単語の暗記アプリを見ているらしい。


 結衣ゆいは高校3年生。大学受験を控えた正真正銘の受験生だ。

 そんな結衣ゆいは、他の予定を蹴ってでも田倉家に行くことを優先する程の『おばあちゃん子』でもある。僕も自分の事を『おばあちゃん子』だと思っている。だが結衣ゆい程ではない。妹は『筋金入りのおばあちゃん子』なのだ。

 僕が受験生だった頃、僕は田倉家への訪問を何度も辞退した。だが結衣ゆいは今のところ一度も誘いを断っていない。

 本当は勉強で忙しいはずだ。それでも結衣ゆいは祖母の喜ぶ顔見たさにこの車に乗っているのだろう。

 忙しい結衣ゆいも来ているのに、僕だけ自分の楽しみを優先しようなんて、とても出来ない。


 僕がそんなことを考えながら結衣ゆいの方を見ていると「お兄ちゃん」と、また奏人かなとが僕を呼ぶ。


「日曜日、パソコンの設定手伝って上げるから」


 奏人かなとが慰めるように、僕にそう言う。


「……ありがとう」


 僕は奏人かなとからの有難い申し出に本気で感謝した。


 妹も弟も人の気持ちをおもんばかれる良い子だ。

 

 そう感じて僕は不覚にも涙が出そうになった。


 その後、僕らは一度サービスエリアで休憩をとり、目的地に一番近いインターチェンジから一般道にりた。


 そして十数分後、目指す目的地である田倉家に到着したのだった。

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