第47話 気づいた人だけが得をする?

「うん。うちの父さんも同じような事を言ってたよ。国のサービスにしっかり乗って、保証が薄いと思う部分を民間の保険で補うんだって。だから良周よしちかは貯蓄型の保険に入るお金があるなら、まずはしっかり国のサービスに入っておくのが良いのかなって思ったんだ」


 僕はそう言って、何気なくコーヒーのマグカップを手にする。そしてカップの中に目をやった。いつの間にかマグカップの中のコーヒーは半分以下になっていた。


「なるほどね。それで史一は年金について訊いてきたのか!」


 僕とのやり取りに合点がいったらしく、良周よしちかが大きく頷いて言う。


「そう。あと、年金を払ってないと確定拠出年金かくていきょしゅつねんきんっていう個人向けの年金制度も使えないから気になってって言うのもある」と僕。

「かくてい……きょしゅ……。って、何?」


 意味が分からないという表情で、良周よしちかが訊き返す。



 僕はもう一度ゆっくりと単語を口にする。


「それ……何だい?」と良周よしちか

iDeCoイデコとも言うんだけど、個人が任意で加入出来る老後資金の作る制度のことだよ」


 僕はそう説明すると「ちゃんと年金を払っているなら、保険で貯蓄する前に検討すべきなのはこれじゃないかな?」と言葉を続けた。


「保険会社のやってる個人年金のこと?」


 白川さんが僕に訊ねる。


「違うよ。国の制度。証券会社に口座を開いて資産運用するんだ」


 僕は読んだ本の内容を思い出しながらそう答えると、説明を続けた。


「似たようなものに確定拠出年金の企業型っていうのが有るんだけど、企業型は会社が退職金制度として導入している場合に加入するんだ。iDeCoイデコはそういう制度が勤めている会社に無かったり、自営業だったりする人が、同じように積み立て出来るように作られた制度らしい」


 僕は一気に説明しきる。


「退職金?」


 良周よしちかは興味あり気に身を乗り出して訊いてきた。

 YouTuberを仕事にしたいと考えている良周よしちかなら興味を持って当然かと、僕は良周よしちかのその反応に納得する。


 自営業者には、退職金なんて無いもんね。


「うん。一部の企業では将来従業員に支払う退職金をこの制度を使って従業員自身に運用させているケースがあるんだって」と僕。

「運用って……株を買うってこと」


 白川さんが眉をひそめて言う。

 僕は白川さんのその様子に、嫌悪にも近い感情を感じた。

 もしかしたら白川さんは『株』という言葉に対して悪い印象を持っているのかもしれない。


 まあ確かにドラマなんかに出てくる『株』には、胡散臭いストーリーが付きまとう。ステレオタイプな『株』のイメージを彼女が持っていたとしても、何の不思議も無い。


「株を直接買うわけじゃないらしいよ。投資信託っていう株や債券をプロが運用する金融商品なんかを買うんだって」


 僕は説明を補足する。


「ふーん。でも株が含まれてるなら、それって価値が下がったりもするんでしょ?」


 白川さんはまだ納得しきっていない様子で、質問を畳みかける。


「うん。でも積み立てに回したお金には所得税がかからないんだ。それに利益が出た場合、その利益にも税金がかからない。元本保証の商品もあるから節税効果だけを得るってことも出来るみたいだよ」


 色々思う所はあるが、これ以上話を広げると閉店時間までショッピングモールから出られなくなりそうな気がした。仕方なく、僕は『株』に不信感を持っている彼女でも納得が出来そうな事だけ補足する。


「へえ!」


 白川さんではなく、良周よしちかが僕の説明に感嘆の声を上げる。


「あと取り扱ってる商品の手数料も安いらしいね。安いものを揃えるように、国から言われてるんだって」


 良周よしちかの興味を見て取って、僕はさらに情報を追加する。


「手数料を取られるの?」


 一気に良周の声のトーンが下がる。『手数料』という言葉が引っかかったようだ。


良周よしちかが入ろうとしていた外貨建て保険に比べたら、確実に安い手数料のはずだよ」


 僕は透かさず反論する。

 そう、保険商品だって手数料はかかる。それを大きな声で言わないだけだ。


「……うう。……耳が痛い」


 良周よしちかがわざとらしく耳を塞ぐ仕草をしてみせる。外貨建て保険の出来事について、余程恥ずかしく感じているのかもしれない。


 本当に今日はいつも見ない良周よしちかの姿ばかり見る。

 大人な落ち着いた雰囲気を見せることが多い良周よしちかだが、彼もまた僕と同じ普通の学生なんだな。


 良周よしちかの様子を見ながら、僕は彼への親近感が増すのを感じた。


「因みにちょっと厄介なのが、確定拠出年金として積み立てると60歳まで引き出せないってこと」


 良周のそんな様子を見ていた僕は、デメリットも話しておいた方が良いように感じ、また説明を補足した。


「退職金的なものだから?」と白川さん。


 僕は「退職金というか……年金というか……。老後に備える資産作りのための制度だからかな?」と考えながら白川さんに答えてみせる。そして言葉を続けた。


「あと、資産作りっていう意味ではNISAニーサっていう投資関係の税金優遇制度もあるから、そっちも検討してみるのも良いかも……」


 資産作りという言葉を口にすることで、知っておいた方が良さそうな事をもう一つ思い出した僕は、情報を追加した。


「……うへえ」


 良周よしちかは僕からの新しい情報の追加に堪り兼ねたのか、悲鳴とも言えない声を弱弱しく発した。


「高橋くん……詳しすぎる……」


 そう言う白川さんの表情には驚きと戸惑いが入り混じっていた。

 僕はそんな二人の様子に少々困惑しながら「そう? 家族で話すでしょ? こういう事」と言う。


「話さないよ」「話さないわ」


 すぐさま良周よしちかと白川さんが、ほぼ同時に僕の発言を否定した。


「……え? うちはこういう話するんだけどな」


 僕は言いながら益々困惑を深めた。


 普通……話すよね?


「そんな話をする家庭は稀だと思うぞ?」


 僕の感情を読みとったかのような発言を良周よしちかがした。


「私もそう思うわ」


 白川さんが苦笑いしながら、良周よしちかに同意する。


 どうやらこの場では、僕の意見の方が少数派のようだ。

 僕は急に気恥ずかしさを覚える。


「とにかく、良周よしちかも新しく保険に入る前に本でも読んでみなよ! お金の本と保険の本!」


 僕は恥ずかしく思っていることを隠すように、良周よしちかまくし立てるように言う。

 僕の言葉に良周よしちかは頭を左手でかきながら、苦笑いをしてみせた。


「私も今度読んでみようかな? ……でも何だか複雑な気持ち」


 僕と良周のやり取りを見ていた白川さんが、ボソリとそう呟いた。


「何が?」


 僕は彼女の言った『複雑な気持ち』の意味が解らず、訊き返す。


「だって今日高橋くんに聞いた話、私全然知らなかったんだもの。それって気づけずに社会人になっている人がいるって事じゃないの?」


 白川さんはそう言いながら眉をひそめる。


「基本的に行政は税金はしっかり取るけど、税金の控除なんかの優遇策があることはこっちから情報を取りにいかないと対象になるのかすらも分からない事が多いよね」


 白川さんの言葉を受けて良周が発言する。流石は家族持ち、実感のこもった発言だ。


「学校で習いもしないのに……気づける? ……何だか知っている人だけが……得をするみたい」


 白川さんが僕と良周の顔を交互に見ながらそう言った。

 良周が「そういう側面は否めないね」と頷いて、彼女に同意する。

 僕は白川さんの言葉にドキリとして、黙り込む。


 白川さんの言う通りかもしれない。


 自営業者であるYouTuberには、三人で話したような情報が特に必要なのではないか、と思ったのだ。


 会社員ならば先程話した国民年金に厚生年金が上積みされ、源泉徴収で知らぬ間に給与から天引きされる。そして会社によっては企業年金にも加入することになる。そういう待遇の人ならば、たぶん多少情報に疎くても老後は何とかなるのだろう。

 だが自営業者には国民年金しかない。もしかしたらこの状況を緩和するために自営業向けの優遇制度があるかもしれない。でも僕はそれについての知識を持っていない。

 何故なら、僕の読んだ本は基本的にサラリーマン家庭をモデルとした設定で話が進むものばかりだったからだ。

 自営業者は企業に入って働くという選択肢から外れる事で自由な反面、色々な公的制度からも離れてしまいがちになるのではないだろうか?

 しかも少数派の為、優遇策の情報も入り難い……。

 専業YouTuberになるということは、そういうたぐいのリスクを伴うことなのかもしれない。


 僕はそう感じ、白川さんが感じているであろう『複雑な気持ち』の正体を少し理解出来た気がした。


「……保険関係の本、買って帰ろうかな」


 そう言う良周よしちかの声で、僕は現実に引き戻される。そして、良周のその発言に応じようと「それも良いと思うけど……」とおもむろに口を開く。


「何だい?」


 まだあるのかとでも言いたげな表情で、良周よしちかが訊き返してきた。


「僕が言った本はソフトウェアの本と違って、図書館で借りるのでも大丈夫だよ」


 僕はそう言うと「まあ、あんまり古すぎる本は国の制度が変わっていたら役に立たないけど」と説明を補足する。


「まずは図書館で借りてみればってこと?」


 白川さんがそう言って小首を傾げてみせる。


「うん。お金は大事に使ったほうが良いよ」


 保険や年金も大事だが、まずは普段の生活での支出の管理も大切だと思った僕は、わざと真面目な顔を作って発言した。


「……そうだな」


 僕の言葉に若干引きつった笑顔で良周よしちかがそう応じる。『そこまで節約しなくても』とでも言いたげだ。

 そんな僕と良周よしちかのやり取りを見ていた白川さんが、可笑しそうにクスクスと笑い出す。

 彼女のその様子につられて、僕と良周よしちかもひとしきり笑うのだった。


 その後、僕たちは閲覧しようと持ってきた本をそれぞれ見ながら、カフェでの一時ひとときを満喫した。

 良周は僕の持ってきた無料動画編集ソフトの本の内容を一緒に確認してくれた。そして「動画編集に必要な情報はほぼ載っていそうだね。この本があれば、使ったことが無いソフトだけど僕もアドバイス出来ると思う」と言って、お墨付きをくれたので、僕は良周よしちかが勧めてくれたこの本を購入することに決めた。


 こうして僕はパソコンを手に入れる前に、動画編集のためのソフトウェアを決めることが出来た。


 これでパソコンの入手と同時に、動画編集も可能になる!


 つい先日まで観て楽しむだけだったYouTubeに、僕ももうすぐ動画を投稿出来るようになるのだ。


 そう考えると、僕はなんだかフワフワとしと不思議な気分になる。

 良周よしちかに『YouTuberになりたい! って思わない?』と訊かれた時には『何て夢みたいな事を言うんだろう』と、僕は全く現実感が持てなかった。

 しかし今は保険や年金など現実的な問題はあるものの、その『夢みたいな事』に手が届くかもしれないと感じ始めている。


 ……僕は本当にYouTuberになれるのかもしれない。


 そう思えた。

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