第37話 白川さんのお願い

 白川さんは「でしょ」と言いながら、良周よしちかの言葉に微笑んで頷く。そして、言葉を続けた。


「じゃあ、本当にそろそろ出かけましょう! 流石にもう出発しないと暗くなっちゃうわ」


 一通り話が済んだと判断したのだろう。白川さんは腕時計を確認しながら、再度提案する。

 他のメンバーにも異論はなく、僕と良周よしちか、それに白川さんは雄太と恭平に「また明日ね」と別れの挨拶をしてサークル室を出た。


 こうして僕たちは郊外のショッピングモールにある大型書店に向かうため、最寄り駅のバス停に向かった。


 ♦


 駅にはショッピングモール行きのバスが30分おきにやって来る。料金は片道100円で、バスは学生たちの便利な交通手段の1つになっていた。


 僕と白川さんは最寄り駅のバス停で、バスが来るのを待合用のベンチに座って待っている。

 良周よしちかは小腹が空いたと言って、近くのファストフード店に行ってしまった。バスが来るまで15分もあるので、ファストフード店で買い物をするくらいの余裕はあるだろう。

 そういうわけで意図せずしばらくの間、僕は白川さんと二人きりになる事になった。

 先程の雄太と綾辻さんのいざこざのおかげで、何だかどっと疲れた気分だ。

 ベンチに座って落ち着くと、僕は急に自分がしたいと思っていたことをハタと思い出した。


 今日の白川さんの挙動不審な態度の原因を訊こうと思っていたんだった!

 良周よしちかもいないし、今がその絶好のチャンスじゃないか!


 僕はそう思い、ベンチに座って隣の白川さんを横目でチラリと見る。


 ……だが、何と切り出そうか?


 僕は話の切り出し方を思案する。


『今日の白川さん、挙動不審だね』


 これは直接的すぎる!

 有り得ない!

 失礼すぎるもの言いだ。

 では……


『今日、僕の事ずっと見てなかった?』


 これはどうだろう?

 ……何これ?

 自意識過剰にも程がある!

 これでは僕の勘違いだった時に痛すぎる!

 これも絶対にダメ!

 ああ、なんて切り出すべきなんだ……


 このように僕が考えあぐねホトホト弱っていると、白川さんの方が先に口を開いた。


「高橋くん。昨日は昼食の用意を手伝ってくれて、本当に有難う」


 白川さんは僕の方を向いてそう言った。

 僕は白川さんのその言葉に呆気あっけにとられる。こんなふうに礼を言われるなんて、思ってもみなかったのだ。


 何だ、そんなことか!


 そう言えば昨日、白川さんはアフレコに一杯一杯で、僕は帰宅時にきちんと彼女に挨拶出来ていなかった。昨日の礼が言いたくて、彼女は僕の事をチラチラと見ていたのだ。


 僕から切り出さなくて本当に良かった!


 僕は密かにホッと胸を撫で下ろす。


 もう少しでバカな質問をするところだった……。

 危ない、危ない。


「構わないよ。昨日は動画制作の現場を見学させてもらえて、僕の方こそ感謝してるんだ」


 僕は平常心を装ってそう応じ「白川さんはあの後、アフレコ上手くいったの?」と彼女に訊ねた。


「うん。何とか……ね。今晩公開予定なんだけど、昨日のうちに動画は完成したわ」


 白川さんは僕の質問に、何故か顔を赤らめながら答えた。


「そうなんだ。帰ったら観てみなきゃ! うちの弟もアプリコットの動画が大好きで、今日の動画も楽しみにしてるんだよ」


 僕がそう言うと、白川さんが急に表情を曇らせ言いにくそうに「実は……、その件でお願いがしたいことがあるの……」と言った。そして彼女は少し黙った後、ごくんと唾を飲み込むと、意を決したように僕の目を見つめ、口を開いた。


「うちの父のYouTubeの件、誰にも話さないでもらいたいの」


 白川さんは真剣な面持ちで僕にそう言った。

 僕と白川さんの間に一瞬、沈黙の時間が流れる。

 僕は彼女の言葉を理解しようと数度すうど『誰にも話さないでもらいたいの』という言葉を反芻はんすうする。


「ああ! そういうこと!」


 彼女の言葉を反芻し終えた僕は合点がいって、思わず大きな声でそう言った。


 僕の推理は間違っていた!

 白川さんは礼を言いたかったら僕を見ていたのではない。

 昨日、彼女の父親の仕事場で僕が見たことをれ回られたくないのだ!


「もしかして、もう誰かに話しちゃった?」


 白川さんが心配そうに僕の顔色を窺いながら訊ねる。


「いいや。誰にも話してないよ。家族にも話してない」


 僕は首を振って答える。僕のその言葉を聞いて、白川さんの表情がパッと明るくなった。


「本当に? もしかして、私がこんなお願いをすることがわかってたの?」


 そう言う白川さんの表情に、僕への尊敬にも似た色が浮かぶ。


「……ま、まあね。白川さん、僕に知られたく無さそうにしていたし、言わない方が良いだろうと思って……」


 僕は彼女の僕への尊敬の念を見て取って、思わず良い顔がしたくなり、思ってもいないことを口走る。


 本当は洋さんの件を奏人かなとに伝える勇気がなかったのと、サークルメンバーに話す暇が無かっただけだ。それにもし綾辻さんがサークル室に現れなかったら、きっと僕はサークルメンバーに昨日の件を話したに違いない。

 そう思うと綾辻さんがあの時あの場に来てくれた事に感謝すべきかもしれない。僕はそう思った。

 そして『ただの偶然だということは白川さんには黙っておこう』と咄嗟とっさに考えを巡らせた。

 

「高橋くんって、すごく気が回るのね! ご家族にも話さずにいてくれたなんて! 良かった……。本当に助かるわ!」


 僕の考えなど知る由もない白川さんは、先程から僕の行動に感動しっぱなしだ。その様子が僕の良心をチクリと刺す。

 だが、もう言ってしまったものは仕方がない。実際に誰にも話していないのだから、理由など僕の中に留めておけば誰にも分かりはしない。

 僕は「まあね」と言って作り笑いをすることで、白川さんに自分の心持を気づかれないように努める。

 そして、あることに思い至って、僕は口を開いた。


「もしかして……この大学で白川さんのお父さんの事を知ってるのって、僕と……綾辻あやつじさんだけ……」


 そこまで言って僕が言い淀むと、白川さんは頷いて「そう、高橋くんと理沙ちゃんだけよ。理沙ちゃんも言わずにいてくれてるの」と答えた。


「そうなんだ。わかったよ。誰にも言わないから安心して」


 僕はそう言いながら『僕が口走くちばしるのまで止めた綾辻さんこそ、白川さんの恩人ではないだろうか?』と考えつつ、白川さんに微笑んでみせる。


「本当に有難う。変な事を頼んでごめんね」


 白川さんはそう僕に礼と謝罪の言葉を口にすると、心底安心したという顔をした。


「良いよ。教えてあげたら雄太や恭平がすごく喜ぶと思うけど……、白川さんの気持ちもわかるから」


 そう言うと僕は白川さんにまた微笑みかける。微笑みながら、僕は昨日の出来事を思い出す。


 萌え系美少女になりきってブリブリの演技をするようさん。そして、そんな父親の姿を何とも言えない複雑な表情で見つめる白川さん。


 とても衝撃的な光景だった。僕は昨日の出来事を一生忘れることはないだろう。


 僕がそんなことをしみじみ考えていると、僕を見る白川さんの頭越しに良周よしちからしき人影がこちらにやってくるのが見えた。


「おーい! お待たせー!」


 良周よしちかが左手に紙袋を抱え、右手を大きく振りながら歩いて来る。

 白川さんもその声で良周よしちかに気づき、確認するように声の方へ振り返る。そして彼女は良周よしちかに手を振り返すと、またすぐ僕の方に向き直り、小さな声で「本当に、本当に有難う!」と僕に囁いた。


 丁度その時、目の前のターミナルにショッピングモール行きのバスが入って来た。


 僕と白川さんはベンチから立ち上がる。

 良周よしちかも駆けてきて、僕たちは一緒にバスに乗り込むことが出来た。

 良周よしちかの持つ紙袋からはハンバーガーの好い香りが漂っていた。


 ♦


 僕、良周よしちか、それに白川さんの三人はショッピングモールでバスを降りた。

 良周よしちかが、バスの中で食べ終わったハンバーガーのゴミを捨ててから書店に行くと言うので、僕と白川さんは良周よしちかと別れて先にモール内の大型書店へ向かった。


「動画編集ソフトの情報が載ってそうな本って、どのあたりにあるんだろう? 雑誌の売り場かな?」


 書店に着くと、僕は沢山の書棚が並ぶ店内をキョロキョロと見回しながら、疑問を口にする。


「少なくとも漫画や小説の売り場ではないことは確かね。まずは雑誌の売り場に行ってみる?」


 僕の隣でやはりキョロキョロと辺りを見回しながら白川さんが言う。

 僕と白川さんは連れ立って雑誌の売り場に移動する。だが、それらしい雑誌を見つけることは出来なかった。


 僕たちは仕方なく書店の中をウロウロと歩き回る。それでも思うような売り場に行き当たることが出来ない。


 目的の売り場を探しながら僕はふと思う。

 今までの人生で、書店で立ち寄る書籍の売り場はコミックスと参考書、それに雑誌の売り場くらいだったな、と。

 実を言うと、それ以外の書籍の売り場にはほとんど行ったことがない。


 僕がそのことを白川さんに話すと、彼女は困り顔をしてクスクスと笑い「実は私も……高橋くんとほぼ同じ売り場にしか行かないの。小説の売り場にも行くけど、その他はあんまり……」と正直なところを教えてくれた。


 書店内を一通り見て回り終えた僕と白川さんは、とうとう自分たちで探すのを諦めた。どこを探せば良いのか、二人とも全く見当がつかなかったのだ。

 そして僕たちは良周よしちかと合流しようと、仕方なく入り口付近に戻った。


「おーい。二人ともこっち、こっち!」


 入り口付近に移動するとすぐ、良周よしちかの声が聞こえてきた。


 声のする方を見ると、良周よしちかが少し離れた店舗奥の書棚の前で手招きしている。

 僕と白川さんは顔を見合わせホッと安堵のため息をつくと、良周よしちかのいる書棚に歩みを進めた。


 良周よしちかに近づくと、彼の左隣りにある書棚が目に入る。その書棚の側面に貼られた分類ラベルには『コンピュータ・IT』と記載されていた。


「コンピュータ・IT……。動画編集ソフトのリサーチはこの棚で出来るのかい?」


 僕は本棚に並ぶ本を眺めながら良周よしちかに訊ねる。

 先程ここも白川さんと2人でチラリと確認したが、見える範囲にはプログラミングの書籍ばかりが陳列されていて、動画関係の書籍があるようには見えなかった。


 こんなところに本当に探している書籍があるのだろうか?


 僕はいぶかしく感じた。

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