第33話 バーチャルYouTuberのお値段

「……でも、そうか。こうやってキャラクタを使ってYouTubeの動画を作ることも出来るんですね! これって僕にも出来るんでしょうか? 友人にはバーチャルYouTuberをやってるのは企業が多いように聞いたんですけど……。やっぱり個人では難しいんですか?」


 僕はこの雰囲気に居た堪れなくなり、無理やり話題を変えにかかった。


「まあ、個人でも出来なくはないよ」


 有難いことに佐藤さんは僕の話に乗って来てくれた。

 だが僕の予想とは違う答えが返ってきて、僕は驚く。


 個人でバーチャルYouTuberが出来る?


「え? 本当ですか? 出来るの?」


 僕はまた、先ほどとは違った意味でしどろもどろになりながら訊き返した。どうせ無理だろうと思って話を逸らすために訊いたのだが、思いも寄らない話になってきた。


「まあね。個人でやっている人もいなくはないよ。ただ、オリジナルのキャラクタを作る所から始めると、それなりにお金がかかると思う」


 佐藤さんは僕の問いに頷いて答えた。


 資金さえあれば個人でもなれるということか。

 それって……


「……それって、ちなみに費用はどのくらいかかるんですか?」


 僕は俄然興味が湧いてきて、詳細が知りたくなった。


「高橋君はキャラクタデザインや3Dモデリングの経験はあるかい?」と佐藤さん。

「いいえ。全く無いです」


 僕がきっぱりと答えると、佐藤さんはうーんと腕を組んで唸り、天井を見ながら言葉を続けた。


「そうか。じゃあ、3Dモデリングのキャラクタを用意するだけで、安くても30万円は必要かも……」


 佐藤さんが視線を天井から僕に移しながら、苦笑いをして言った。


「30万円!」


 僕は驚いて声を上げる。今日は驚くことが多い日だ。


「ちなみに、アプリコットは未だに手を加えながら使っているから、かかった費用はもう100万円は軽く超えているはずだ。もしかしたら……300……」


 何やら頭の中で計算しているのだろう。佐藤さんがそこまで言って言葉を濁す。


「300って……、僕みたいなしがない学生には絶対無理。30万でも高すぎですよ」


 僕は意気消沈し、ため息をついて言った。


「まあ、高いよね。でも、そこまで現実離れした値段ということもないだろ?」


 確かに、30万円くらいなら個人で出せる人もいるだろう。頑張ってアルバイトでもすれば手が届くかもしれないくらいの値段だ。だがパソコンも購入したばかり、家事を担っていてアルバイトも出来ない僕に、そんな資金はない。

 一瞬、僕もバーチャルYouTuberとして動画配信できるかもしれないと考えた。だが、今の僕にはなかなか難しそうだ。


「バーチャルYouTuberとして活動するのって、思った以上にお金がかかるのね」


 白石さんも口元に手を当てて、僕ほどではないが驚いた様子で言った。


「そうね。個人にはなかなか3Dは手が出ないわよね。だから大抵の個人バーチャルYouTuberは2Dのキャラクタで活動しているらしいわ」


 僕たちの話を黙って聞いていた野上さんが話に加わる。


「2Dって絵の事?」


 綾辻さんが野上さんに訊ねる。

 野上さんが「そうよ」と言って、頷いた。


「2Dだともっと安いんですか?」と僕。

「ええ。簡単な2Dキャラクタなら、インターネットで作成を請け負ってくれる個人に3万円くらいからオーダーメイドで発注できるって聞いたことがあるわね」


 野上さんが頷いて答える。

 しかし、僕には疑問が浮かぶ。


「そうなんですか? 3Dが動くのはわかります。でも2Dってことは綾辻さんの言う通り、絵ですよね? 絵ってことは、アニメなのでは? アニメって沢山の絵が必要って聞いたことがあるんですが……。沢山の絵が必要となると、2Dでもそれなりにお金がかかるんじゃないんですか? 3万円って安すぎませんか?」


 僕は思いついた疑問を次々と口にする。

 以前テレビで観たアニメ映画の製作現場のドキュメンタリーでは、キャラクタを動かすために途方もない数の絵を描いていた。それを思い出したのだ。


 もし、あれと同じ作業が必要なら3万円では安すぎる!


「1枚のイラストを立体的に動かせるソフトウェアがあるのよ。テレビや映画のアニメよりは動きに不自然さがあるし、絵を描く際にコツも必要らしいけど、3Dよりは手軽にキャラクタを動かせるって人気なんですって」


 僕は野上さんの答えに納得する。


 なるほど、絵は1枚で良いのか。

 それなら3万円という価格もあり得なくはないな。

 でも1枚とはいえ3万円でオーダーメイドの絵を描いてもらえるなんて、矢張り安すぎはしないだろうか?


 僕がそんなことを考えていると、野上さんは「それから……」と言って話を続けた。


「2Dで人気が出ると3D化を検討するみたいな動きもあるのよ。うちにもそういう案件がいくつか来たことがあるの。最初は2Dから始めたほうが、ダメだった時に資金的な痛手が少ないって事みたいね」


 そう言って、野上さんが微笑む。

 僕はその説明に「へえ!」と感嘆の声を上げる。

 バーチャルYouTuberはみんなアプリコットみたいな3Dキャラクタばかりだと思っていた。しかし3D以外ものも存在し、しかも人気が出ると3Dへアップグレードする事があるなんて、僕は全く知らなかった。


 2DバーチャルYouTuberってどんなものなんだろう?

 家に帰ったら早速検索して動画を観てみたい!


 僕はそう思い始めていた。


 その後も暫く事務所の見学をさせてもらったが、アプリコットのアフレコが始まり、邪魔をしてはいけないと考えた僕と綾辻さんは見学を終わることにした。

 まあ邪魔をしてはいけないというのは建前で、白川さんが僕や綾辻さんの前でのアフレコをあまりにも恥ずかしがったからというのが本当のところだ。

 僕たちがいる間中あいだじゅう、白川さんは顔を真っ赤にし、緊張で声も震え、全くアフレコが進まなかった。

 しまいには一緒にアフレコを見学をしていた綾辻さんが気を利かせ「杏の仕事の邪魔になるから、私たちは見学を終わりましょ」と提案する事となり、その提案に僕も同意した。


 洋さん、佐藤さん、それに野上さんに見学の礼を言い、僕と綾辻さんはそそくさと事務所を後にした。


 事務所を出ると、僕はリビングに戻るという綾辻さんと別れ、家路につくことにした。

 白川さんのアフレコはしばらくかかりそうだし、彼女のいない白川家にこれ以上居座る理由も無かったからだ。


 願わくば、僕らがいなくなったことで白川さんの緊張がほぐれ、アフレコが順調に進んでいて欲しい。


 帰る道すがら、僕はそう願わずにはいられなかった。


 ♦


 家に帰ると母は夕食の準備をしていた。


「母さん、ただいま」


 僕は母さんに声を掛ける。


「お帰り! 昼ご飯は無時に作れた?」と母さん。

「まあね。麻婆焼きそばを作ったんだけど、みんな喜んでくれてたと思うよ」


 僕がそう言うと、母さんは嬉しそうに「あら、良かったわね! あの焼きそば、美味しいものね」と料理をしながら上機嫌で言い「疲れたでしょ? しばらくリビングで休んだら?」と僕に休息を促した。

 その言葉で僕はとても疲れていることにハタと気づく。初めての場所、初めて会う人、知らなかった情報、そして友人の秘密の真相。


 今日は色々なことが在り過ぎた。


 僕は母さんの言葉に甘え、リビングでしばらく休むことにした。


 台所と食卓のを抜け、リビングに足を向ける。

 リビングでは奏人かなとがテレビでYouTubeを観ていた。しかも土曜日にライブチャットをやっていた時に観ていたのと同じ動画だ。


「それ、昨日も観ていた動画だろ?」と僕。

「お兄ちゃん、帰って来たんだ。お帰り」


 奏人はソファーに座ったまま僕の方を見るとそう言い「明日、新しいアプリコットの動画が配信される予定なんだけど、またライブチャットがあるんだ。だから最新の動画を復習してるんだよ」と僕の質問に答える。

 僕は奏人の応答で、洋さんの『月曜日に投稿するって宣言した動画が未完成なんだ』という言葉を思い出す。奏人が言っている明日配信される新しい動画とは、このことに違いないと僕は思った。

 僕はテレビの中のアプリコットに目を移す。そして動画を眺めていると、僕の中にある一つの疑問が沸き上がった。


 果たして奏人が好きなのはアプリコットのどの面なのだろう?

 見た目?

 性格?

 それとも……。


 僕は心が何故かざわめくのを感じる。


「お兄ちゃん? ぼんやりして、どうしたの?」


 僕が黙ってテレビ画面を見つめるのを不思議に思ったらしく、奏人が訊ねた。

 僕はテレビから目を離すと奏人に向き直り、口を開いた。


「奏人はアプリコットのどういう所が好きなんだ?」


 僕は何気ない調子で奏人に質問してみる。

 奏人はそんな事を訊ねる僕を特に不審がるでもなく「うーん。そうだなあ……」と言うと、真剣な面持ちでジッとテレビに映るアプリコットを見つめる。そして僕のほうへ向き直るとおもむろに答えた。


「……会話と……仕草かな?」


 そう答えた奏人は、顔をほころばせて言葉を続けた。


「お便り動画とかで、いつも誰も傷つかないように配慮して話してくれるんだ。そこに彼女の優しさが滲み出てる気がするんだよね! それに仕草もすごく女の子らしくて、何をやっても可愛い! ……完璧だよ」


 僕はうっとりと話す奏人に「そうか」と淡白に応じた。そして何だか居た堪れなくなって、そそくさとリビングを離れた。


 休憩は自室でとることにしよう!


 僕は自室へ向かうために廊下へ出て、階段を昇る。

 階段を昇りながらも僕は考えてしまう『まさか全部洋さん要素とは!』と。一体どんな顔で弟と顔を突き合わせば良いのだろう。

 混乱した僕は逃げ出すことしか出来なかった。


 僕はどさっという音をさせて自室のベットに仰向けに寝転んだ。そして自室の天井を何気なく見ながら心を落ち着かせ、これからどう行動すべきかを考えた。


 アプリコットの中の人が大学生の娘のいる中年の男性だと知ったら、奏人がどんなにショックを受けるか……。

 僕には想像もできない。


 しばらく考えを巡らせた後、僕は決意する。


『アプリコットの制作陣と知り合いになったという事実を家族にはしばらく伏せておく!』と。


 この事実を奏人に知らせるには良いタイミングを見計らったほうが良い。

 よって、家族から情報が漏洩するのを防ぐためにも、家族にも伝えない方が良い。


 僕はそう結論付けた。


 世の中には知らない方が幸せなこともあるはずだ!

 ……それにしても、奏人が好きなのは全て洋さん要素なのか……


 天井を眺めながらふうっと息を吐き、僕は何気なくその事実を反芻する。


 リビングで感じていた心のざわめきは、知らぬ間に消えていた。

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