第32話 白川さんのもう一つの秘密

「うん。別に恥ずかしがるようなことではないと思うけど、確かにうちの父親がこれをやっているところは想像したくもないし、誰にも見られたくないかな。白川さんが後悔したくなった気持ちもわからなくはないよ」


 僕は洋さんの撮影風景を見ながら答えた。

 僕が怒っていることを隠すための言い訳だと思っていたことは全て、白川さんの本音だった。僕の白川さんへの不信感はいつの間にか、きれいさっぱり掻き消えていた。


 綾辻さんは、うんうんと頷くと彼女の横に立っている白川さんに「良かったね、杏。誤解は解けたよ」と言って微笑んでみせる。


「そうね。それはホッとしてるわ。でも私は今、その姿を理沙ちゃんと高橋くんに見られてるのよ。……複雑な心境だわ」


 白川さんはため息をつくと、綾辻さんに視線だけ送って彼女に応じる。昼食の後片付けをしている時よりはだいぶ表情が緩んだが、まだ少し強張った顔をしている。


「私に見られるのは平気でしょ? もう何回も見学してるんだから」


 綾辻さんがそう言って白川さんに微笑みかける。

 僕はというと良いコメントが思いつかず、白川さんに愛想笑いをしてみせるので精一杯だ。

 それにしても僕に有らぬ誤解をされるは、父親のこんな姿を僕たちに見られるはで、白川さんにとって今日は最悪な一日になってしまったに違いない。僕はなんだか彼女が気の毒になってきた。


 その間も僕たちの遣り取りなど知る由もない洋さんはどんどんアプリコットの撮影を進めていく。体を左右にゆっくりと揺らし、右手の人差し指を口元にあてたまま、次のセリフを話し始めた。


「そうだよねえ。恋人、欲しいよね。うーん……、そうだッ! 今日はあぷこの撮影を見学に来てくれている男の子がいるから、彼にも意見を訊いてみよう! 君は質問者さんはどうすれば良いと思う?」


 洋さんが僕の方に両手を広げて見せ『どうぞ』と言わんばかりのジェスチャーをした。


「え? 僕?」


 いきなり質問を振られた僕は驚き、混乱して聞き返す。どうも洋さんのアドリブのようだ。


「そうそう、きみ! 動画を公開するときは、声は字幕で入れるから、気軽に答えちゃって!」


 洋さんがテンション高めに僕を指さし、答えを促す。


「……えっと、僕も彼女とか出来たことなくて……。アドバイスのしようが無いな」


 僕はしどろもどろになりながら答える。


「そっかぁ。料理もこなす優良物件なのに、勿体ない!」


 洋さんはそう言いながら、腕を後ろで組むようなポーズをして体を揺らす。

 僕はチラリとディスプレイ上のアプリコットを見る。なんとも可愛らしい仕草だ。


 見た目が変わると同じ動きをしていても、こんなに印象が違うのか……。


「お役に立てなくて、すみません……」


 僕は苦笑いをしながら謝る。


「そんなこと無いよ! 君みたいな料理上手の彼氏がいる女の子がいたら、絶対羨ましいもの!」


 洋さんは両手を突き出し、僕の方へ手の平を見せて手を振りながら首も振って言った。可愛らしい否定のジェスチャーだ。だが何度も言うが、目の前にいるのは髭を生やした中年男性だ。


 ジェスチャーを終えると洋さんは僕から目を離す。そして正面を向いて振っていた両手を胸の前で握ると言葉を続けた。


「だからね、まな板のネコさんも悩まないで! すごく素敵な人なのに恋人がいないっていう人、沢山いるんだよ! きっと、まな板のネコさんのことを好きになってくれる女の子も居るはずだよ!」


 画面の向こうにいる視聴者に語り掛けているのだろう。ディスプレイの中のアプリコットの表情が真剣な面持ちになる。


 この表情の変化はどうやっているのだろうか?


 時折、野上さんがキーボードで何事か入力しているようだし、表情の変化は野上さんが担当しているのかもしれない。


「そうだなあ。まずは彼女とかじゃなくて、女の子の友達を作れるように頑張ってみるのはどうだろう? 上手くいくカップルは、お互いを恋人であり親友でもあると感じているって聞いたことがあるの。だからもし女友達がいないなら、まずはそこから挑戦してみてはどうかな?」


 洋さんは胸の前で手を合わせる様な仕草をしながらアドバイスを続ける。


「なるほどな」


 いつの間にか洋さんの話に聞き入っていた僕は、洋さんの回答に思わず相槌を打つ。


「なんであんたが納得してんの?」


 綾辻さんがあきれた表情で僕を見て言った。


「いやいや、なかなか参考になる話だよ。流石、人生の先輩は言うことが違うなって思ってね」


 僕は苦笑いしながら彼女に応じる。

 綾辻さんは「まあ、確かにそうかもね。でも私は恋人にするなら友達になってくれる人より、格好良くて自慢できる人のほうが良いかな」と自分の意見を言った。そして彼女は僕の方に向けていた顔を白川さんの方に向けると「杏は?」と白川さんに意見を求めた。


「え? 私?」


 白川さんは急に質問を振られて驚いた顔をしたが「そうね……」と言って、自分の意見を話し出す。


「私はあまり見た目には拘らないかな。話しやすくて、信頼できる人が良い」


 白川さんがそう言うと「流石、親子ね。洋さんの言ってる事と良く似てる!」と綾辻さんは言って楽しそうに笑う。


「では、今回はここまで! また次の動画でね! バイバーイ!」


 僕らが他愛もない話をしていると、目の前で洋さんが大きく手を振りながら動画の締めの言葉らしいセリフを口にした。どうやら、撮影はそろそろ終わりらしい。


「録画、停止しました。お疲れ様です」


 野上さんが洋さんに声を掛ける。

 すると洋さんはふうっと息を吐いて、振っていた手をおろし、誰にとはなく「お疲れ」と言った。


「いやあ、さっきは急に質問を振ってごめんね。ちょっと面白そうだと思いついてね。迷惑だったかな?」


 洋さんが僕に近づきながら、すまなそうに詫びる。


「いえ、大丈夫です。僕の声は使われないんですよね? むしろ良い経験になりました」と僕。

「そうかい? そう言ってもらえて良かったよ。君が話した内容は動画中に文字で表示して、声は使わない。名前ももちろん伏せるから安心してくれ」


 洋さんは爽やかに笑い、そう言った。

 先ほどまでの女の子みたいな喋り方や仕草が嘘のようだ。同じ人とは思えない。僕がそんなことを考えていると、洋さんは今度は白川さんの方を向く。


「杏。野上さんがセリフを書き出してくれてるから、今撮影したぶんのアフレコを頼むね」と洋さん。

「……う、うん」


 白川さんは頷いて、洋さんの頼みを承諾する。しかし、あまり乗り気ではなさそうに見える。

 洋さんは「いつも、すまないな」と微笑んで言うと、撮影スタジオを出て行った。

 僕は撮影スタジオを出て行く洋さんを目で追いながら、洋さんが白石さんに言った言葉の意味を考える。


 アフレコって……?


「……アフレコって、アプリコットの?」


 思ったことがそのまま僕の口をく。


「そうよ。アプリコットの声は杏があててるの」


 僕が誰にともなくした問いに、綾辻さんが頷いて素っ気なく答える。


「えええええええ! 白川さんがアプリコットの声優ってこと?」


 僕は思いもしない事実に驚いて声を上げる。


 まさか白川さんの声がアプリコットの声だったなんて!

 全く気付かなかった……。


 僕は記憶の中のアプリコットの声を思い出してみる。確かに似た雰囲気の声のような気もする。


「まあ、一応ね。少し加工もしてあるから、わかりにくいと思うけど……」


 白川さんは気まずそうに僕の問いに答えた。

 なるほど、白川さんの声をそのまま使っているわけではないのか。それなら気づかなくても当然かもしれない。


 だが、それにしても……


「気づかなかった……。すごいね! 有名人だ!」


 僕は興奮冷めやらぬといった調子で捲し立てた。


「全然すごくなんかないわ。お父さんは3DCGの技術の宣伝がしたいだけだから、声優さんまでは雇う気が無いの。私くらいしかセリフを読む人間がいなかったってだけよ。自分でもわかってるの、セリフを読むのが下手だって……」


 白川さんは困り顔で首を振って言う。謙遜しているわけでは無い様だ。本当にそう思っているらしいことが表情でわかった。


「でも、そのセリフの辿々たどたどしさが良いって雄太が言ってたよ」と僕。

「ホント?」


 白川さんはちょっと意外そうな顔で僕を見ると訊き返してきた。


「うん! 僕も白川さんが思ってるほどダメじゃないと思う。可愛い声だし、慣れてない感じが逆に新鮮! 僕は好きだよ!」


 僕は自信なさげな白川さんを励まそうと、自分のアプリコットについての印象を率直に伝えた。


「!」


 白川さんは急に顔を真っ赤にすると、口ごもる。


「ちょっと、高橋!」


 綾辻さんが腰に両の手をあて、僕と白川さんの会話に割り込む。


「杏の事、口説くのやめてよね! あんたなんかじゃ杏には釣り合わないんだから」


 綾辻さんが僕をめつけながら忠告する。


「え? 口説くって……。あ……」


 僕は一瞬、綾辻さんの意図するところが分からなかったが、思い至って赤面する。白川さんのアフレコの出来栄えについての感想を言ったつもりだったが、取りようによっては確かに口説いているように聞こえなくもない!


「……」


 白川さんは顔を赤くしたまま黙って、僕から目を逸らしている。どうやら白川さんにも誤解されたらしい。

 僕は慌てふためいた。


「ご、ごめんね! そんなつもりで言ったんじゃないんだ。あんまりアフレコに自信が無さそうだったから、自信を持ってって伝えたかっただけで……」


 僕はしどろもどろになりながら弁明する。


「そ、そうよね? 理沙ちゃん、勘繰り過ぎよ!」


 白川さんは僕の弁明を聞いてこちらを向くと、慌てた様子で僕の話に同調する。まだ顔は赤い。


「青春だねえ」


 そんな僕と白川さんの様子を腕組みしてニヤニヤしながら見ていた佐藤さんがはやし立てる。先程まで何やら手帳を開いて作業していたが、その作業は終わったらしい。手帳は閉じて小脇に抱えるように持ち直している。


「おじさん臭いわよ。佐藤くん」


 野上さんは真面目な顔で佐藤さんをたしなめた。彼女は言いながら、まだ撮影スタジオのディスプレイの前で何やら作業をしている。

 佐藤さんは野上さんの方を向き肩をすくめると「そうかい?」と言って、ハハハと軽く笑った。

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