第30話 ごめんね、白川さん
「……別に、YouTubeをやっていることが嫌っていうわけじゃない」
「そうかい?」
僕の思考停止中も父と娘の会話が続く。
そして
「そうか! じゃあ、白川さんが言っていた『YouTubeに動画を投稿している家族』って、洋さんの事だったんですね!」
僕は自力で答えにたどり着いた達成感で高揚し、思わず声が上ずった。
白川さんは何も答えず、力なく僕に微笑んで見せる。作り笑いなのは流石の僕にもわかった。何故かはわからないが、洋さんがYouTubeに動画投稿をしていることを白川さんは僕に知られたくなかったようだ。
まあそれは、サークルに加入する際も言いたくなさそうにしていた様子から分かっていたことではあるが……
「杏のパパのチャンネルはすごい人気なのよ!」
綾辻さんがまるで自分の事のように自慢げに言う。さっきまで炊飯器の事で不機嫌そうにしていたが、いつの間にか機嫌が治ったようだ。
「ははは。まあ、ここにいる佐藤くんや野上くんの協力が無いと出来ないことだから、僕のチャンネルって言うのはちょっと
洋さんが綾辻さんの言葉を補足する。
その言葉を聞いた途端、僕は思い至る。
「もしかして、今日皆さんがしている仕事って、YouTube関係ですか?」
僕は洋さんに訊ねた。
「うん。前回の動画で月曜日に投稿するって宣言した動画が未完成なんだ。YouTubeは事務所の宣伝みたいなものだから、どうしても後回しになってしまってね。でも月曜日にと予告してしまったものだから、仕方なく休日出勤して月曜日に投稿する動画を作っているんだよ。佐藤くんと野上くんには申し訳ない事をした」
先ほどの僕と同じように、今度は洋さんが自分の頭に手をやり、困り顔で笑って言った。
「いえいえ」
野上さんが言って洋さんに微笑み返す。
「仕事が忙しくない日に振り替えで休みをくださいね!」
佐藤さんもニカッと笑いながら洋さんに答える。
「ああ。わかっているよ」
佐藤さんの振り替え休日の要求に洋さんが請け合う。そして何か思いついたような顔になると、洋さんは僕に提案をした。
「そうだ、高橋くん。お礼と言っては何だけど、下の事務所で動画制作の作業風景を見ていくかい? 君が作りたいと思っている動画とは違うかもしれないけど」
「えッ! でも、お邪魔じゃないですか?」
洋さんの突然の提案に僕は驚く。
「お父さん! 高橋くんだって忙しいわよ」
白川さんが慌てた様子で僕と洋さんの会話に割って入った。
「そうかい? 忙しいかな? じゃあ、興味と時間があれば後で見に来るといい。見学するぶんには、こちらは全く邪魔なんかじゃないから」
洋さんは微笑みながら、気さくな調子で言う。
「ありがとうございます! 是非、お願いしたいです!」
僕は洋さんの提案を喜んで受けた。
サークルで僕だけが作りたい動画や、やりたい事が定まっていない。
僕は『君も動画を作るのかい?』と洋さんに訊かれた時のバツの悪さを思い出す。
動画の作り方もまだ知らず、悲しくなるぐらいにアイデアも無い。そんな自分に若干の嫌気すら感じている。
参考になりそうなものは何でも吸収し、どんな活動をしていくか少しでも方向性を見出したい!
僕はそう思ったのだ。
その後も賑やかな昼食の時間が30分ほど続いた。
その間、白川さんは心此処に非ずといった様子で、言葉数が少なかった。たぶん僕が洋さんの仕事を見学すると言った所為だろう。白川さんがこんな様子になったのは、あの約束をした後からだ。僕は彼女のそんな様子に、洋さんの提案を受け入れるべきではなかっただろうかという気持ちになってきた。
しかし、今更後悔しても仕方がない。もう見学に行くと約束してしまったのだ。今から止めるなんて言うのは、今度は洋さんに対して失礼だ。
僕は心の中で『ごめんね、白川さん』と彼女に謝罪した。
昼食を摂り終わると、洋さんと従業員の二人は仕事に戻って行った。残った僕と白川さん、それに綾辻さんは昼食の後片付けを始めた。
白川さんはやはりまだ言葉少なだ。
空気が重い。
この状況は少し予想はしていたものの、想像以上に
「白川さん、さっきはごめん」
皿を洗っていた僕は作業の手を止め、堪え兼ねて白川さんに謝罪した。
「え? 何のこと?」
テーブルを布巾で拭いていた白川さんも手を止め、僕を不思議そうに見る。
僕が洗った食器を拭くのを手伝ってくれていた綾辻さんは手を動かしながら、キョトンとした顔で僕と白川さんを交互に見た。
「白川さん、怒ってるよね?」
僕が言うと、「え! 杏、怒ってるの?」と綾辻さんが流石に驚いたのか皿を拭く手を止め、白川さんを見る。彼女はどうやら白川さんの様子に気づいていなかったらしい。
「怒るだなんて、有り得ないわ! 昼食を作ってもらって、片付けまで手伝ってもらってるのよ? 怒るどころか、感謝してるわ!」
白川さんは目を見開いて否定する。
「でも、僕が白川さんのお父さんの事務所を見学に行くことを良く思ってないんじゃない?」
白川さんの否定の言葉に、僕は思い切って食い下がる。
本当はこんな風に食い下がってまでこの話をしたくはないが、言わないことで遺恨を残すべきではないと思ったのだ。
明日大学で会った際に気まずい思いをするなんてごめんだ。
「ああ……」
白川さんは合点がいったらしい表情をする。そして「私、顔に出てた?」と僕に訊いた。
「出てたし、あの後から口数も少なくなってる。だから、僕が洋さんの提案に乗ったことを怒ってるって思ったんだ」
僕がそう言うと、「違うの。そうじゃないの」と白川さんが困り顔をし、首を振る。
綾辻さんは黙って僕らの遣り取りを興味深げに見守っている。
白川さんは少し考える様な素振りをしてから観念したようにふうっとため息を付くと話し出した。
「怒ってるわけじゃないの。正直に言うとね、高橋くんを家に呼んだことを少し後悔してたの。お父さんが見学の提案をしそうなこと、予想が付いたのにって……」
白川さんの口から思いがけない言葉が出てきて、僕は胸のあたりにズキンと痛みを感じた。
後悔してたなんて……
怒っていると言われるほうがまだマシだ!
「僕、来ない方が良かったかな? 何だかごめんね」
僕は沈んだ
「違うの、違うの、違うの! 高橋くんは何にも悪くない!」
僕が気落ちしたのを見て取って、白川さんは慌てて否定する。そして、そのままの勢いで「私の問題なの! さっきはお父さんがYouTubeをやっていること、嫌じゃないって言ったけど、本当はちょっと恥ずかしいなって思ってて……」と言って言葉を濁す。
しかし、白川さんの言葉は僕には言い訳にしか聞こえない。
父親がYouTubeをやっていることがそんなに恥ずかしい事なのだろうか?
中年のYouTuberなんて大勢いるし、珍しくもない。むしろ大学生の娘がいるほどの歳の人が、こういうツールを使いこなしている姿は羨望にすら値する。
僕には白川さんが恥ずかしがる気持ちが理解できない。
やっぱり白川さんの機嫌が悪い理由は、もっと他にあるんじゃないだろうか?
僕は白川さんに否定されても、不信感を拭い去ることが出来なかった。そんな考えを巡らせて僕は黙り込む。
白川さんはそんな僕を心配そうに見つめた。
数秒の沈黙の
「高橋、心配しなくていいわよ。杏はあんたに怒っていないし、この家に来たのを迷惑とも思ってないわ」
綾辻さんが軽い調子で言う。
白川さんは心配そうな表情のまま、うんうんと綾辻さんの言葉に一生懸命頷いた。
「そうなの?」
僕は
「うん。おじ様たちがどんな動画を撮ってるかを見てみれば、杏が後悔したくなる気持ちも少しは理解できるはずよ。私はおじ様の動画、面白くて良いと思うけど」
そう言うと、綾辻さんはふふんと意味ありげに笑ってみせた。
「理沙ちゃん!」
白川さんが咎めるような口調で綾辻さんを
「杏。おじさまと高橋の間で決まったことなんだから、杏がクヨクヨしても仕方ないわよ。高橋も杏の気持ちを誤解してるみたいだし。もう覚悟を決めて、おじ様たちの撮影を見てもらおうよ。そうしないと、誤解されっぱなしだよ」
綾辻さんは白川さんの顔を見据え、言い含めるように話をする。
白川さんは言い返す言葉が見つからないらしく「そうかもしれないけど……」と言葉を濁した。
「そうなのよ! こんなことで
綾辻さんが楽しそうに、そして強引にそう言うと、僕と白川さんに片付けの再開を促す。
僕はまだ納得がいっていなかったが、綾辻さんの『見てみれば理解できる』という言葉を信じ、渋々片付けを再開することにした。
白川さんも表情はまだ晴れないが、それ以上反論する言葉が見つからないのだろう、黙ってテーブルを拭き始めた。
それにしても、見れば後悔した理由がわかるなんて、一体どんな動画だというのか?
僕は後片付けをしながら俄然、洋さんたちの動画撮影に興味が湧いてきた。
僕たち3人はその後も黙々と片付けをし、10分ほどで全ての作業を終わらせた。
「よし! 片付けは一通り終了ね。じゃあ、おじ様たちのところに行きますか!」
綾辻さんはリビング全体を見回し、片づけ忘れがない事を確認すると、元気良く言う。
僕は「うん」と頷いて同意する。
白川さんも「そうね」と相槌したが、やはり気乗りはしていないようだ。
そうして僕ら3人は連れ立って、1階の事務所に向かった。
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