第28話 3人で昼食準備

 キッチンも冷蔵庫の中も整然と物が並んでいて、とても見やすい。

 我が家のカオスなキッチンとは大違いだ。僕の家のように料理をする人間が何人もいると、どうしても家族以外の人間には分かりにくいキッチンになってしまう。

 だが、白川さんの家のキッチンはさっと眺めただけで、必要なものが全て揃っていそうだと判断が付いた。このキッチンは基本的に白川さんのお母さんの1人のテリトリーという事だろう。一貫した統一感がある。


「白川さんのお父さんや従業員の人は、何処でお昼を食べることになるのかな?」


 僕は白川さんに質問した。


「昼食の準備が出来たら事務所にいる人たちを呼んで、このリビングで全員で昼食を摂ることになると思うわ」


 白川さんが明確に答える。


「なるほど」


 そう言って僕は頷くと「じゃあ、お父さん達には12時半ごろ昼食に来るように言ってくれる?」と白川さんに頼んだ。


「もう12時近いけど……。30分程度で昼食の準備が出来るかしら?」


 白川さんが不安そうに言う。


「うん。白川さん……それに、綾辻あやつじさんも手伝ってくれるなら。中華スープも作れると思うよ」と僕。

「スープも! 本当に?」


 白川さんの表情から不安の色が消え、驚きの色が浮かぶ。


「うん。僕の指示に従ってもらえればね。でも急がなきゃ! 話している時間が惜しい」


 僕がそう言うと、白川さんはコクンと頷き、綾辻さんのほうを見た。


理沙りさちゃん、手伝ってくれる?」


 白川さんが綾辻さんに訊ねる。


「そいつに指図さしずされるのはしゃくだけど、あんの頼みなら仕方ないわね。手伝うわ」


 綾辻さんはそう言うと、ため息をつきながら立ち上がる。


「ありがとう! じゃあ、理沙ちゃん。事務所に行って、12時半ごろ昼食を食べにに此処に来てくれるように、お父さんたちに伝えて来てもらえる?」


 白川さんが安堵の微笑みを浮かべながら綾辻さんに頼む。


「りょーかい、伝えてくる」


 理沙はそう言って、白川さんにひらひらと軽く手を振ってみせると、玄関へ向かった。

 僕はその様子を見ながらシンクの前に立ち、水栓のレバーを上げて水を出すと手を洗いにかかった。


「手はそこのタオルで拭いて」


 白川さんがシンク下の引き出しの取っ手にかけられたタオルを指さす。そして、僕が手を拭き終えると、彼女も手を洗った。白川さんは洗った手を拭き終えると僕のほうに向き直る。


「じゃあ、高橋くん。私は何をすれば良いかしら?」


 白川さんがやる気に満ちた目で僕を見た。


「出来るだけ大きめのフライパンとごま油を用意して。麺を炒め始めよう!」


 僕が指示を出す。


「いいわ」


 白川さんは同意して、先ほど手を拭いたタオルがかかった取っ手を引く。引き出しの大きな口が開く。開いた引き出しの中には鍋やフライパンが整然と並べられている。白川さんはその中で一番大きなフライパンを取り出し、僕に手渡してくれた。縁が高めで、ちょっとした煮物も作れそうな深さがある。理想的だ。


「フライパンにごま油を……このくらい入れて、火をつける」


 僕は説明しながらフライパンをコンロに置くと、白川さんから手渡されたごま油をフライパンに注ぎ、コンロに火を付けた。油を行き渡るらせるために、フライパンを回す様にクルクルと傾ける。すると、すぐにごま油の焦げる匂いがし始めた。


「じゃあ、麺を全部入れてくれる?」と僕。


 白川さんは「はい!」と元気良く言って、僕がテーブルに置かせてもらった買い物袋からチルドの焼きそば用の麺を取り出す。そして麺の外袋を次々と開けて、フライパンに買ってきた麺を全て投入した。

 僕は手近にあった箸立てから菜箸を選び取ると、フライパンに投入された麺をほぐす様に炒める。


「よし。じゃあ、麺を炒めててくれるかな?」


 麺がすべてフライパンに入ったところで、僕は白川さんに麺を炒める作業を任せる事にした。


「……沢山ね。上手に炒められるかしら」と言いながら、彼女が僕から菜箸を受け取る。6人分の麺は確かに炒めにくそうに見えた。白川さんの顔は少し強張っているようだ。

 僕が「ちょっとくらい焦げても大丈夫だよ。焦げたほうが美味しいくらい」と軽口を言うと、白川さんは表情を崩してフフフと笑い、「そうなの? じゃあ、そんなに心配しなくて良いのね」と明るい声で言い、麺を炒めにかかった。

 僕は先ほど白川さんがフライパンを取り出した引き出しを開け、「この鍋、借りるね」と言いながら、鍋を一つ取り出す。


「その鍋はどうするの?」


 白川さんが麺を炒めながら言う。


「スープ用に湯を沸かすんだ」


 僕が彼女の問いに答えると、彼女は麺を炒める手を止め、水栓の蛇口に取り付けてある器具のダイヤルを回す。


「料理用の水は、このマークに合わせてから出して。浄水器を通した水が出るわ」


 僕は礼を言うと蛇口の器具を見る。三角の矢印がダイヤルの水滴のマークを指している。このマークの時、浄水が使えるという事らしい。僕は鍋に水を入れ、空いているコンロで湯を沸かし始める。

 その時だった、玄関が開く音がして聞き覚えのあるパタパタと廊下を歩く音がした。


「ただいま。伝えてきたよ」


 綾辻さんがリビングのドアを開けて、部屋に入って来た。


「おかえり。ありがとう!」


 白川さんが麺を炒めながら礼を言う。


「さあ! 私も手伝うわ。何をすれば良い?」


 綾辻さんが指示を仰いできた。事務所への往復が彼女の気持ちを切り替えさせたのだろうか。お昼の時間を事務所に伝えに行く前は、渋々といった様子に見えたが、リビングに戻って来た綾辻さんはなかなかのやる気を見せている。


「じゃあ、手を洗って。サラダのレタスの3分の1くらいをこの湯を沸かしている鍋に入れてくれるかい?」


 僕の方へ近づいて来た綾辻さんに、先ほど火にかけた鍋を指さしながら指示を出す。鍋の中の水はすでに沸々と小さな泡が立ち、湯気が出始めている。


「なるほど、レタスをスープの具にするのね。いいわ! 私もちょっとサラダを作りすぎたと思ってたのよね」


 綾辻さんはすんなり同意すると、レタスを取りにテーブルへ向かう。


 意外だ。


 僕は『私の作ったサラダに文句付ける気?』くらいのことを言われると覚悟していたが、拍子抜けした。白川さんの言う通り、根は『素直で良い子』なのかもしれない。

 僕は綾辻さんに意図が伝わるのを見て取ると、白川さんの炒めている麺に目を向ける。麺は所々茶色く良い色になり始めていた。


「だいぶ炒められたね。じゃあ、交代だ。麻婆豆腐まーぼーどうふの素の封を開けて、ボールにとろみ粉を3袋ぶん入れて」


 僕はそう指示して、フライパンと菜箸を白川さんから受け取る。

 白川さんは「はい!」とまた元気良く返事をして、買い物袋から麻婆豆腐の素と書かれたこげ茶色の厚みの薄い箱を2箱取り出す。こげ茶色のパッケージは辛口だ。白川さんは箱の封を開け、小さな銀色の袋を取り出した。


「1袋で2、3人前なんだ。麻婆豆腐が多いほうが美味しいから、1袋2人前と考えて、3袋使おう」と僕。


 白川さんが僕の指示に従って、調理台の上でボールに3袋ぶんのとろみ粉を入れる。そして彼女は「完了!」と言って、僕のほうを振り返って微笑む。次はどうするのかと言いたけだ。


「了解。次はそこの箸立てにある大さじで、とろみ粉1袋に対して大さじ3の水をボールに入れて混ぜて。僕のほうは麺が炒め終わったから、麺を皿に盛っていくね」


 僕は白川さんに指示を出しながらコンロの火を止めると、背後にある食器棚のほうに目をやる。


「3袋使ったから、大さじ9杯ね!」


 白川さんは調理台の前で確認するように僕に話しかけながら、目の前の一段高くなっているスペースに置かれた箸立てから大さじを手にする。先程僕が麺を炒めるのに使った菜箸が入っていた箸立てだ。

 僕は「正解」と相槌を打ちながら、食器棚から深めの器を取り出す。都合良く6皿ある。皿を調理台の空いている場所に置き、僕は綾辻さんに任せている中華スープ用の鍋を見た。


「綾辻さんの鍋のレタス、良さそうだね。じゃあ、この中華スープの素を小さじ山盛り3杯加えて。それが終わったら買い物袋からたまごを3つ出して、ボールで溶いてもらえる? あと、残ったたまごは冷蔵庫に入れておいて」


 僕は次々に指示を出しながら箸立てから今度は小さじを、箸立ての隣にある数種類の調味料が入ったかごからは顆粒タイプの中華スープの素を手に取ると、綾辻さんに渡した。


「いいわ。小さじ山盛り3杯…。たまご3個…。余ったたまごは冷蔵庫へ……」


 受け取りながら綾辻さんがブツブツ呟いている。そして、テキパキと中華スープの素を鍋に投入し始めた。

 僕は綾辻さんの様子を横目で見ながら、皿に炒めた麺を分け入れる。そして、白川さんに声をかけた。


「白川さん、フライパンが空いたから、具入りソース3袋をフライパンに入れて」


 僕はやはり、調理台の前の一段高いスペースに置いてあった計量カップを手に取る。必要なものが必要な時に見つけやすい配置になっていて、とても使いやすいキッチンだ。白川さんのお母さんの整頓能力の高さに、僕は改めて感心した。

 僕は蛇口のダイヤルが浄水になっていることを確認して水を計量カップに注ぐ。僕が計量カップに水を注いでいる間に、白川さんは僕の指示に従って具入りソースをフライパンに入れてくれた。


「具入りソースが3袋だから、水を3袋分入れるよ」


 僕は言いながらソースの入ったフライパンに分量通りの水を灌ぐと「よし! じゃあ、火をつけて、ソースと水をおたまで混ぜて。沸騰したら教えて。僕は豆腐を切るね」と白川さんに伝える。

 白川さんは「ええ」と同意して、コンロに火を付けた。

 僕は綾辻さんのほうを目を移す。彼女は鍋の前に立ち、たまごをボールで溶かしているところだ。


「綾辻さん。スープを少しかき混ぜながら、溶かしたたまごを鍋に流し入れて。たまごが固まってきたら火を止めてね」


 僕がそう声をかけると、綾辻さんは「オーケー」と応じた。

 本当は混ぜ過ぎないようにと念を押したかったが、やめておく。多すぎる情報は混乱を招きやすい。混ぜ過ぎはたまごをスープに溶かし込んでしまい、たまごの食感を味わえなくしてしまうが、多少出来栄えが変わる程度の些細な事だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る