第27話 白川さんの友だち

「行ってらっしゃい。人様のお家に行くんだから、お行儀良くね」


 母さんはニコニコして僕を見ると、小さな子供にするような忠告をした。母さんにかかると未だに僕も奏人と同じように小さな子供扱いだ。

 僕は「はいはい、じゃあね」と生返事をすると、母さんのそばを離れた。


 僕が白川さんのところに戻ると、白川さんは丁度お会計が済んだ食材を布製のバックに詰め終わるところだった。


「荷物は僕が持つよ」


 僕はそう言って、彼女が詰め終わったバックを持つ。そして母さんが居るのとは反対側の出入り口からスーパーマーケットを後にした。

 白川さんは歩きながら、彼女の家がこの近所にあり、歩いて来たのだと僕に話して聞かせた。

 そんな話をしながらスーパーマーケットの敷地から公道に出たとき、僕は自宅への帰り道である公道の左手を何気なく見た。小さく人影が見える。ああ、奏人かなとだなと僕は思った。

 母さんの買収は上手くいったようだ。

 僕の代わりの荷物持ちが来たことに安堵して、僕は白川さんの後に続いて公道を右手に進む。

 どうやら彼女のうちは、僕の家とスーパーマーケットを挟んで真反対にあるらしい。


 白川さんの家はスーパーマーケットから10分ほど歩いたところにあるという。僕の家の倍くらいの距離あるなと思ったが、それでも大した距離ではない。


「こんなに近くに住んでいたのに、大学に入るまでお互いの事を知らなかったなんて、不思議だよね」と僕。

「そうね。ぎりぎり学区が違うみたいだから、その所為せいかしら?」


 白川さんも不思議そうに首を傾げて、僕に応じる。

 確かにこの地域には学区制度が根強く残っている。白川さんの読みにも一理あるなと僕は思った。

 僕と白川さんは白川家への道すがら、サークルで使うノートパソコンの準備について、お互いに報告し合った。

 僕はスーパーマーケットに寄る前に、スーパーマーケットの隣の家電量販店でパソコンを注文した事を彼女に話す。


「結局、最初に言っていた家電量販店で買うことになるなんて、ビックリね」


 白川さんがそう言って笑う。


「うん。まさか結局行きつけの家電量販店で買うことになるなんて、僕も思いもしなかったよ」


 僕も彼女に釣られて、笑いながら言った。


「私はお父さんにパソコンのスペックを話したら、ちょうど良いくらいスペックのノートパソコンが余ってるって言われて。それを借りることにしたの」


 僕は白川さんの言葉に少し驚く。

 良周よしちかのメモに記載されているスペックは、それなりに高い性能を要求していると今の僕は理解出来ている。


 あんな要求に答えるパソコンが使われずに転がっているなんて、一体どういう家なんだろう?


 僕が疑問に思って首をひねっていると、彼女が僕に呼びかける。


「高橋君、うちはそこよ」


 彼女はそう言いながら1軒の建物をゆびさす。

 僕は彼女の示すほうを見る。5、6台は駐車できそうな砂利のスペースに車が3台とまっている。その砂利のスペースの奥にモダンな3階建てのビルのような建物があるのが見えた。白川さんが指さしているのは、この建物のようだ。


「ここが白川さんのうちか……。何だかいえっていうより、ちょっとしたビルみたいな建物だね」と僕。

「そうかもね。1階がお父さんが仕事に使っている事務所になっているの。居住スペースは2、3階なのよ」


 白川さんはそう言うと、「右端に階段があるでしょ? あそこから、2階にある玄関に行けるの」と建物の説明を続ける。


「なるほど」


 僕はそう言いながら、ビルの壁面を見る。そこには『白川メディアグラフィクス』と文字が立体的なパーツとして設置されていた。しかも、よく見ると光るタイプのものらしい。きっと夜になると文字が光るのだろう。洒落たサロンの様な体裁だ。なかなか凝っている。


 僕たちは先ほど白川さんが説明してくれた建物の右端にある階段を昇る。階段を昇り終えると、踊り場のようなスペースが有り、鉄製の頑丈そうな扉があった。表札には『白川』と書かれている。ここが玄関のようだ。

 白川さんが玄関の扉を開け、「どうぞ、入って」と言って、僕を家の中へ招き入れる。


「ただいま! 理沙りさちゃん、遅くなってごめんね!」


 白川さんは玄関の扉を閉めると、大きな声で呼びかけた。理沙というのが白川さんの言っていた遊びに来ている友達だろうか。


あん! 遅いよ。もうすぐ12時だよ。みんなにお昼ご飯は遅れそうって言う?」


 パタパタとスリッパの音を立てて、髪を明るめのブラウンに染めたポニーテールの女の子が玄関に小走りでやって来た。彼女は白川さんを安堵の表情で出迎える。だが、白川さんの後ろに居る僕を見るなり眉を寄せ、「何? こいつ?」と怪訝な顔をした。


「同じサークルの高橋たかはし史一ふみかず君よ。スーパーで会ってね、お昼ご飯を作るのを手伝ってくれることになったの」


 白川さんがポニーテールの女の子に僕のことを紹介した。


「高橋史一です。よろしく」


 僕はポニーテールの女の子に挨拶する。


「高橋君。彼女がさっき遊びに来てるって話した、友だちの綾辻あやつじ理沙りさちゃん。彼女も私たちと同じ大学に通ってるから、もしかしたら会ったことあるかも」


 白川さんが僕のほうを振り返り、手のひらをポニーテールの女の子のほうに向けて僕に紹介してくれた。

 僕は促されるまま綾辻さんの顔を直視した。

 小さな顔に黒目がちの大きな目、小ぶりだがふっくらとした唇、頬には健康的な赤みが差し、整った顔立ちをしている。体系もモデル並みの細さで、こういう人を美人というのだろうなと僕は思った。芸能人だと言われても疑わないだろう。

 綾辻さんは上から下へ、下から上へと僕の全身を探るような視線で見ると、小さな声で「……よろしく」と愛想のない表情で挨拶を返してくれた。

 どうやら僕は彼女にあまり歓迎されていないようだ。

 まあ、知らない男が友人の家とはいえ急に現れたのだ。警戒されても仕方ないかもしれない。

 僕は少し居心地の悪さを感じた。


 でもまあ、今日を乗り切れば明日は他人。

 気にしないように努めよう。


「会ったことはないかな。たぶん」


 僕は気を取り直して、白川さんににこやかに応じる。


「そっかあ。理沙ちゃん、有名人だからもしかしたら知ってるかもって思ったんだけど」


 少し残念そうに白川さんが言う。


 有名人?

 やっぱりモデルか何かをしている人なのかな?

 女性向けのファッション誌では一般人がモデルを務めることもあるって聞いたことがあるけど……


「そんなことより、まずは昼食の準備でしょ! こんな人連れて来て。もしかして、この人もここで昼食を食べる気なの? そうでなくても全然準備できていないのに、人数が増えるなんて……絶望的……」


 語気荒く綾辻さんは主張を始めたが、だんだん怒りよりも不安が勝ってきたようだ。言葉の最後のほうでは俯いて、弱弱しく消え入りそうな声になっていた。相当、気を揉みながら白川さんの帰りを待っていたのだろう。


「大丈夫よ、理沙ちゃん。高橋君はね、料理を手伝いに来てくれたの。彼、お料理とっても上手なのよ!」


 白川さんが励ますように綾辻さんに声をかける。

 俯いていた綾辻さんはおもむろに顔を上げると、僕を睨みつけるように見た。

 その氷の様な冷たい視線で、僕は背筋がゾクゾクとするのを感じた。


「こいつが? 料理?」


 顔に似合わない棘のある綾辻さんの疑問の言葉と声に、僕は少し身を縮める。

 初対面の女の子に睨まれるは、こいつ呼ばわりされるはで、僕の精神力のポイントは早くも0に近づいている。風前の灯といった状態だ。

 綾辻さんは見た目はとても綺麗な人だが、温厚でどちらかというと大人しい印象の白川さんとは対照的だと感じた。


こんな二人が友人同士なんて……ちょっと驚きだ。


「……僭越せんえつながら、お手伝いさせていただきます!」


 僕は綾辻さんの気持ちを逆撫さかなでしないように、出来るだけ丁寧な口調で言った。


「ふん」


 綾辻さんが口となく鼻となく息を漏らす。そして彼女はもう一度、僕の全身を目にいれるように見る。

 彼女のその様子に、僕は緊張してゴクリと唾を飲み込む。


「そういうことなら、まあ良いわ。今は本当に時間が無いし。早く上がって手伝いなさいよ」


 玄関の上り口に仁王立ちになっていた綾辻さんはくるりと踵を返し、僕と白川さんに背を向けると廊下を奥へと歩き出した。

 どうやらお邪魔しても良いという事らしい。綾辻さん自身もただの訪問者であって、白川さんの家に入るのに彼女の許可など必要ないはずなのに、僕は彼女の許可が下りたことに何故か安堵した。


「高橋君、ごめんね。私が男の人を連れてくることなんて滅多に無いから、心配してくれたのかも。理沙ちゃん、ちょっと尊大な態度をとってしまう所があるけど、親しくなればとっても素直で良い子なのよ」


 白川さんが申し訳なさそうに僕に言った。


 が良い子?

 今のところ、顔だけは綺麗な鬼娘にしか見えない。


 僕は白川さんに「気にしてないよ」と作り笑いを向けつつ言うと、靴を脱ぎ「お邪魔します」と言って家の中へと入った。

 色々言いたいことはあるが、先ほど綾辻さんが言った通り僕らには時間が無い。まずは昼食の準備を1分でも早く始めるべきだ。


 白川さんに促されて入った部屋は対面キッチン付きのリビングだった。

 リビングのテーブルでは、先に部屋の中に戻って来ていた綾辻さんが頬杖を突いて椅子に座っている。彼女は僕が部屋に入るのをジトっとした目で見てくる。

 僕は気づいていないふりをして、綾辻さんが頬杖を突いているテーブルの上を見た。

 綾辻さんの目の前には山盛りのレタスとトマトが無造作に皿に盛られている。スーパーマーケットで『家で友達がサラダの準備をしてくれてる』と白川さんが言っていたのは、これを指していたのだろう。なかなか豪快な盛り付けだ。5人ぶんとはいえ、この量の野菜を生で食べる切るのは少し難しそうに感じた。6人でも食べきれるか分からない。


「じゃあ、どうしようか?」


 白川さんが僕に声をかける。

 僕は「そうだね」と白川さんの言葉に相槌を打つと「ちょっと何があるか確認したいからキッチン周りと冷蔵庫の中を見ても良い?」と尋ねる。

 白川さんがコクンと頷く。

 僕は彼女の同意を得ると、必要なものが揃っているかの確認を始めた。

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