第26話 お昼ご飯は何にする?

「え? でも、そんな迷惑かけられません!」


 白川さんも僕と同様に、急な申し出にかなり驚いた様子だ。買い物かごを持っていないほうの手を前に突き出して、拒否するようなジェスチャーをする。無理もない。これが普通の反応だろうと僕も思う。


「いいの、いいの。どうせ暇なんだから」


 母さんは白川さんの拒否のジェスチャーにひるむことなく、ニコニコしながら言う。

 僕が今日は暇だとは初耳だ。


 まあ、当たっているが……。


「でも……」


 白川さんは、料理の手伝いに息子を貸し出すという母さんの突拍子もない申し出をどう断ろうかと考えあぐねている様子だ。

 僕が困らせているわけではないのだが、申し訳ない気持ちになって来た。


 母さんを止めたほうが良いだろうか?


「大丈夫よ。うちの息子、草食系男子って言うんだったかしら? それだから! 家に連れて帰っても危なくないわよ」


 母さんが食い下がる。どうしても白川家の昼食の準備の手伝いを僕にやらせたいらしい。


「草食って……それ料理するのに関係ある? それに、危険って何がさ?」


 僕が不服そうに母さんに訊ねと、母さんはそんな僕の様子を見て何も答えずにニコニコと微笑む。そして、白川さんのほうを向くと、白川さんに話しかける。


「ほらね。どう危険かも思い当たらないくらいには危険じゃないわよ」


 母さんのその言葉に、白川さんが毒気を抜かれたようにクスクスと笑い出す。今の遣り取りのどこが面白かったのか、僕には分からない。


「じゃあ、高橋君が嫌でなければ……」


 あんなに固辞していた白川さんだったが、母さんとのやり取りの中で少し心を許す気になったのか、ついに母さんの提案を受け入れてしまった。


「構わないよ。5人分ならいつも家で作っている量だし」


 僕も白川さんが受け入れるなら、自分の母親がごり押しした手前、嫌とは言えない。


「ありがとう。どうせなら、高橋君もうちでお昼を食べて帰って」


 白川さんはそう言って微笑えんだ。

 こんな具合で僕は、何の因果か白川さんの家で昼食を作る手伝いをすることになってしまった。


「決まりね! じゃあ、母さんは奏人に電話かけよっと。史一ふみかずあんちゃんの買い物も手伝ってあげなさい。夕方までには帰ってらっしゃいね」


 そう言うと母さんはカートに乗せたまだ何も商品が入っていない買い物かごの中に、自分のバックを置いた。そしてバックの中に手を入れると、何か探し始めた。5秒ほどして「あった!」と声をあげるとバックからスマートフォンを取り出し、「じゃあね」と僕と白川さんに手を振ると、せわしなくスーパーマーケットの入り口のほうへカートを押して行ってしまった。他の買い物客の邪魔にならない場所を探して奏人に電話するのだろう。

 僕がそんな母さんの様子を無言で見送っていると、隣で白川さんが「お母さん、元気で明るい人ね」と楽しそうに言う。


「うちの母が押し付けがましいことをして、ごめんね」


 僕は心の底から白川さんに謝罪した。きっと迷惑に違いないと思ったからだ。すると白川さんは首を横に振って「ううん、実際助かるわ。5,6人ぶんの昼ご飯なんて作ったことなくて……。困ってたの」と恥ずかしそうに上目遣いに僕を見て言う。

 僕は彼女のそんな様子を見て、心臓のあたりがドキリとするのを感じた。


 見慣れない白川さんの格好の所為かな?


 一瞬そんな考えがよぎったが、そんなことより今は白川家の昼食の方が近々の課題だ。僕は気を取り直すと白川さんに質問する。


「……えっと、昼ご飯には何を作る予定なの?」


 僕の言葉に白川さんは、手にした買い物かごの中身に目をやり「チャーハンの予定だったの」と答える。そして急に困惑した表情になると、言葉を続けた。


「でもね、何だかベトベトになっちゃって……。そのことに気を取られながら味付けしようとしたら、塩の代わりに砂糖を入れちゃって……」


 おや?


 僕の心に不安がよぎる。

 そんなことには気づきもせずに、白川さんは更に言葉を続ける。


「味を変えようと思って塩を入れたら、今度はしょっぱくなって。どうにかしなきゃと砂糖を入れたら……」


 おやおや?


 僕の不安は今や確信に変わった。そして、僕が予想していた言葉が白川さんの口から発せられた。表情だけでなく、声色にも彼女の困惑しきった感情がにじみ出ている。


「何故か……、もう食べ物ではなくなってしまっていたの」


 でしょうね、と僕は心の中で呟いた。


「なるほど……」


 僕は予想通りだと思ったことを顔色には出さないように気をつけながら相槌を打つと、頷いてみせた。


 大変だッ!

 彼女は料理のど素人だッ!

 彼女が6人ぶんの食事を作るのは、厳しい気がする!


 僕は早くも焦りを感じ始めた。


 ……どうしよう、僕が全部作ってしまうしかないだろうか?

 それならご飯さえあれば、30分もかからずにチャーハンくらいなら出来るだろう。

 ん?

 待てよ……、ご飯?


「……白川さん。訊きたいことがあるんだけど、良いかな?」と僕。

「何?」と白川さん。

「チャーハンを作る時、もちろんご飯を使ったよね。ご飯って余ってる? もしくは新しく炊いてある?」


 僕は怖ず怖ずと訊く。

 白川さんは僕のその質問を聞くと「あっ、急いで出てきたから……」っと小さく呟いて、口元に手を当てた。


「ご飯、無いんだね……」


 僕は彼女のリアクションで全てを察した。

 白川さんは僕の言葉に深刻な表情で頷いた。


 やっぱりそうか!


 僕の嫌な予感は当たっていた。


 いや、でも僕らがスーパーマーケットで買い物をしている間に家にいる人に炊飯を頼めば、僕らが白川さんの家に着くまでには炊きあがっているのでは?


「電話で家にいる人にご飯を炊くように頼めたりする?」


 白川さんは僕の言葉に首を振る。


「友達は私以上に料理の経験が無くて……。炊飯器を使うのは難しいと思う。それにお父さんたちは仕事の追い込みがあって忙しくしていると思うから、頼めない……」


 白川さんが申し訳なさそうに言った。


 そうか……

 どうしようかな……


 僕はスーパーマーケットの天井を見上げながら思案した。


 総菜コーナーで白ご飯を人数分買って、チャーハンに仕立てるか?

 でも、それじゃあ作るのを諦めて、総菜コーナーのチャーハンを買ってしまえば良い気もする……


 僕はうーんと唸りながら天井から目を離すと白川さんのほうを見た。

 彼女は両手を軽く握るように胸元に添え、不安そうにこちらを見ている。左手の指の絆創膏が目にまる。きっと、母親の代わりを務めようと奮闘したのだろうことが、その手の状態から見て取れた。


 母さんは目ざといな。


 僕は母さんの目の付け所に舌を巻く。


 総菜にしようなんて事は言うべきじゃない。

 白川さんの気持ちを考えるなら、彼女の手も借りながら昼食を作るべきだ!


 僕は総菜にしてしまおうかという考えを振り払い、自分たちで料理を作ることにこだわることにした。


 まあ、そうでないと僕が手伝いに行く意味もないしね。


 僕はそう自分に言い聞かせ、考えを巡らせる。


 ……どうせなら次に同じような状況になった時、僕がいなくても彼女だけで作れる簡単なもの。

 ……人数が多少変わっても必要な量を計算しやすいほうが良いはず。


 そうやって考えるうち、僕は1つのレシピに思い至った。


「よし! ご飯を炊くのが無理なら、チャーハンは諦めよう!」


 僕は悪い空気を吹き飛ばすようにポンと手を打つと、元気良く言い放った。

 白川さんが「え?」と戸惑いながら、目を丸くして僕を見る。


「僕が今考えている料理なら、多分失敗しないし、すごく速く6人ぶんの昼食を作れると思うよ! もちろん、白川さんが手伝ってくれるならだけど」


 僕はそう言って、白川さんと目を合わせる。


「!」


 白川さんは丸くしていた目をさらに見開き、口をキュッと結んで顔を赤らめる。


「私も一緒に料理出来るの? 高橋君の足手まといになったりしない? 私、本当にほとんど料理したことないのよ?」


 白川さんは期待と不安が入り混じった、嬉しそうな、それでいて困ったような複雑な表情で僕に問いかける。

 僕はそんな彼女に笑いかけ「心配ないよ、とっても簡単だから! 今日一緒に作ってみれば、きっと次からは白川さん一人でも作れると思う」と安心させるように言葉を続ける。

 白川さんは僕のその言葉に、目を輝かせる。


「本当? すごいッ! とっても助かるわ。何を作るの?」


 白川さんが僕に期待の眼差しを向けて、質問する。


 女の子に自分のすることが、こんなに喜ばれるなんて初めてだ。


 僕は彼女の期待を感じて、高揚感が増してきた。


 これは是が非でも白川家の昼食の準備を成功させねば!


「昼ご飯は、麻婆まーぼー焼きそばにしよう!」


 僕はこの場の勢いを損なわないよう、元気よく提案した。


「麻婆焼きそば? ……なんだか……難しそう」


 白川さんの顔に一瞬不安の色が差す。


「そうでもないよ。必要なのは人数分のチルドの焼きそば用の麺、麻婆豆腐の素と豆腐。これだけなんだから。すごく簡単なのに結構美味しいんだよ。うちの家族の好物なんだ」


 僕は不安がる白川さんに、明るく微笑んでみせる。


「本当にそれだけで出来るの? とっても助かるわ。じゃあ、その材料を買って帰りましょう!」


 彼女は僕が言った材料が思った以上に少なくて驚いたようだ。そして彼女は自分が持つかごの中を見て呟く。


「……こんなに買う必要なくなっちゃった」


 僕もつられて彼女の買い物かごの中を覗く。

 そして昼食の献立がチャーハンだったと聞いた今、このヨーグルトとはちみつは何に使うつもりだったのだろうかと声には出さずに考えた。だが訊くのが恐い気がして、その疑問をそっと心のうちに仕舞い込む。


 そうして僕らは目当てのものを買い、不要と思われる商品を陳列棚に戻した。

 白川さんが「お会計をしてくる」と言ってレジに向かう。

 僕も彼女の後に続いてレジに向かうと、スーパーマーケットの入り口の近くに居る母さんと目が合った。

 母さんが僕に手を振る。

 僕は母さんと話してくると白川さんに断りを入れ、一旦会計をする彼女から離れた。


「じゃあ、行ってくるから」


 僕は母さんに駆け寄って告げた。

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