白川さんの事情

第25話 スーパーへ買い物に

 日曜日の昼前、歩いて5分くらいの場所にあるスーパーマーケットに僕は来ている。


 昨晩パソコンを買うことを家族から承認された僕は、スーパーマーケットに行く途中、スーパーマーケットの隣にある家電量販店でお目当てのスペックのノートパソコンの注文を済ませた。商品を受け取れるのは一週間後とのことだ。


 あれ?

 この人、ネット通販で買うつもりじゃなかったっけ?


 そう疑問に感じた人もあるだろう。もちろん僕もそのつもりで探していた。

 なのだが、いくつかのBTOパソコンのネットショップを渡り歩くうちに、近所の家電量販店と提携しているBTOを発見したのだ。

 学校帰りにその家電量販店に寄って話を聞くと、直販とはラインナップが違うが似たような構成のBTOパソコンが注文できると言われた。カタログを見せてもらうとノートパソコンのデザインも悪くなさそうなこともわかった。カフェに持って行っても浮くことは無いだろう。故障時も購入店舗に持っていけば修理の手続きが出来るという。雄太ゆうたの言う通り、店舗に在庫は無かった。だが注文すれば、一週間程度で店舗に商品が届くらしい。たぶんネット通販で購入しても、そのくらいの時間はかかるはずだ。

 正直ネット通販で購入して故障なんかした日には、どうすれば良いのだろうと不安に思っていた。店舗でサポートしてくれるなら、そのほうが有難い。

 そのような理由から僕は結局、近所の家電量販店の店舗でBTOパソコンを注文することにしたのだ。良周よしちか雄太ゆうたに色々教えてもらっていたおかげで、とてもスムーズに注文することが出来た。


「バナナ、ちょっと高いわね……」


 パソコンの注文も済み、晴れ晴れとした気持ちに浸っている僕に、母さんが話しかける。

 一瞬、スーパーマーケットに来ていることを忘れそうになっていた僕は、その声で現実に引き戻される。そして釣られるようにバナナのコーナーを見た。高級バナナの隣の『特売品!』とポップのある棚は空っぽだ。


「安いのも有ったみたいだけど、そっちは売り切れっぽいね」


 僕はバナナのコーナーを眺めながら気のない返事をする。

 スーパーマーケットへは母さんの荷物持ちとしてやって来た。僕が家電量販店に行くために外出の準備をしていると、丁度良いから一緒に家電量販店の隣にあるスーパーマーケットに行って、荷物を持って欲しいと頼まれたのだ。

 なので、実は母さんも僕と一緒に家電量販店を訪れた。

 家電量販店で僕がパソコンの注文をするのを母さんは物珍しそうに眺めていた。それはそうだろう。今までスペックを指定してパソコンの注文をしたことなど一度も無いはずだ。


「みんな、バナナダイエットでもやってるのかしら? もしかして流行ってる?」


 母さんが割と真剣な表情で言った。


「自分がダイエットしてるからって、みんなやってるって思ってしまうその思考、どうにかしたほうが良いと思うよ」


 僕は思わず突っ込みを入れる。

 母さんは「えー、そうかしら?」と不満そうな反応を見せながら、バナナのコーナーを通り過ぎる。バナナを買う気は失せたようだ。

 そんな他愛もない会話をしながら果物のコーナーを抜け、野菜コーナーへ僕と母さんは移動した。

 母さんは葉もの野菜の棚の前で考え込み始める。今日の昼食はスーパーマーケットの総菜で済ませようという話になっていて、夕飯は母さんが作る予定だ。

 僕自身はただの荷物持ちのつもりで来ているので、気楽なものだった。僕は何気なく野菜コーナーを見回す。

 すると、キャベツを持ち上げて吟味している女性に目が留まった。なんだか見覚えがある気がする。僕と同い年くらいの女性だ。


 胸の下辺りまでありそうな長い艶やかな黒髪には緩めのカールがかかっていて、女性の動きに合わせてフワリと揺れる。

 トップスはカジュアルなライトイエローのパーカー付きの半袖シャツ。

 緑をベースカラーにした華やかな花柄があしらわれたロングスカートが目を引く。

 足元はくるぶしの下くらいまでの短いスポーツタイプの靴下にスニーカーという、ラフな出立いでたちだ。


 ぼんやり眺めていると、女性がこちらを向いた。

 女性の顔が見える。やっぱり何処かで見たような気がするが思い出せない。

 そのうち女性と僕の視線が合った。

 彼女は僕を見て驚いたような表情をする。女性のほうも僕に見覚えがあるらしい。彼女は手にしていたキャベツをそっと山積みのキャベツの山に戻すと、にっこりと微笑んで、僕に近づいて来た。


「高橋君、奇遇ね!」


 声を聞いて僕はやっと誰だか気が付いた。


「白川さん? いつもと格好が違うから、気が付かなかったよ!」


 僕は驚いて言った。今日の白川さんは、いつもの赤い縁のメガネをかけていない。メガネをかけていない白川さんの顔を見たのは初めてだ。


「そうかしら?」


 そう言うと白川さんは、自分の体を見回すように視線を巡らす。


「服もいつもよりカジュアルだとは思ったけど、メガネかけて髪を纏めてるイメージだったから、随分印象が違ったよ」と僕。

「そうか、今日はコンタクトだから。いつも私、メガネだものね。大学は講義室のホワイトボードを見てる時間が長くて、目が疲れるの。メガネのほうが大学では楽だから」


 納得したように白川さんが言う。


「あら、史一。そちらのお嬢さん、知り合いなの? お母さんにも紹介してちょうだい」


 母さんが僕と白川さんが話をしていることに気が付いて、僕のほうに歩み寄りながら言った。


「同じサークルの白川さんだよ」


 僕は簡単に母さんに白川さんを紹介し、「白川さん、僕の母です」と白川さんにも母さんを紹介した。


「初めまして、白川しらかわあんと言います」


 白川さんがニッコリとして軽くお辞儀をしながら、母さんに挨拶する。


「こちらこそ、初めまして」


 母さんは白川さん以上にニコニコしながら、同じように軽くお辞儀をしながら挨拶した。


「お母さんとお買い物?」


 白川さんは僕に向き直り、小首をかしげて僕に訊ねる。


「荷物持ちに駆り出されたんだ」


 僕が白川さんの質問に答えると、母さんは口元に手を当てて、ホホホと笑った。


「白川さんこそ、家の手伝いとか?」と僕。

「うん。田舎のお婆ちゃんが調子を崩して、お母さんはお婆ちゃんの家に出かけてるの。だから、今日はお昼ご飯を私が作ることになったんだ」


 ちょっと困った顔をして、白川さんが答える。


「まあ! 大変ね。お婆様、ご病気なの?」


 母さんは口元に手を当てたまま言うと、心配そうに眉を寄せる。


「いえ、ぎっくり腰になってしまって動くのが難しいみたいで……。それで母が手伝いに行ってるんです」


 白川さんはそう言って「2・3日安静にしていれば、良くなるだろうってお医者様は言ってくださってるんですよ」と微笑んで言葉を続けた。


「そうなの、大事でなくて良かったわね。でもお母さまがいない間、大変ね」


 母さんは少し安堵した様子で言った。

 そんな二人の遣り取りを見ていた僕は思いがけず、白川さんが下げている買い物かごの中身が目に留まる。


「なんだか買い物、多そうだね? 夕飯のぶんまで買うの? 何人分?」


 昼食を作るとのことだったが、それにしては量が多い気がする。

 リンゴ、ヨーグルト、はちみつ、たまご、人参、玉ねぎ、ベーコンそれにドレッシング。


 ……カレーだろうか?

 でもカレーにたまごは必要ない気がする。

 付け合わせ用ということなら、無くはないか?

 でもカレー用の肉は見当たらないな……。


 そういえば、僕と話し出す前はキャベツを見ていた。買い物かごの中身から、僕は白川家の昼食の献立が想像しきれなかった。


「お昼だけよ。父さんが今日は休日だけど仕事なの。父のやってる事務所で働いてくれてる人も2人出勤してくれてるから、その人たちの分のお昼も作らないと行けなくて……。お父さんと私と従業員の人が二人、それに私の友達も遊びに来ているから、5人分ね。家で友達がサラダの準備をしてくれてると思う」


 白川さんが僕の質問に答える。


 成程、5人か。

 それでも多い気がするが、まあ理解できなくはない量だ。

 だけど……


「そうなんだ。でも、もう11時過ぎてるけど。料理、間に合うの?」


 僕は自分の腕時計を見ながら訊いた。何を作るつもりなのかは分からないが、この量の食材を調理して昼食に間に合わせるのは、今の時間に買い物に来ているのでは難しい気がした。


「うん、実は……。本当は昨日、昼食の材料を買ってたんだけど、失敗しちゃって……。買い直しに来たんだ」


 白川さんが恥ずかしそうに僕から目を逸らして言った。


「まあ……」と母さん。

「そうなんだ。大変だね」


 僕は相槌を打つ。こんな時間に昼食の材料の買い物に来ている理由に、僕は納得した。白川家の昼食は少し遅めになりそうだ。


「ちょっと、史一」


 その時、僕の背中を指でつつきながら母さんが小声で僕を呼んだ。


「何? 母さん」


 思わず釣られて僕も小声で訊き返した。


「あなた、昼食を作るのを手伝ってあげたら?」


 母さんが突拍子もない事を言い出す。

 僕は思わぬ提案に目を丸くした。

 そんな僕の様子にはお構いなしに、母さんは話し続ける。


「このお嬢さんの指、絆創膏だらけよ。きっとお料理、不慣れなんじゃないかしら? お母さまも居ないみたいだし、心配だわ」


 僕は母さんが指摘した白川さんの指先を見る。確かに怪我をしているようだ。

 白川さんは僕と母さんがボソボソと二人で話しているのを小首を傾げて、不思議そうに見ている。


「でも、荷物持ちは?」


 僕は疑問を口にする。そうなのだ、僕は母さんに荷物持ちを頼まれて此処にいる。僕がいない場合、母さんはどうする気なのだろう。


奏人かなとでも呼ぶわ。アイスを買ってあげるとでも言えば、飛んで来るわよ」


 母さんはそう言って、またホホホと笑うと「あの子、まだまだ子供よね」と楽しそうに言葉を続けた。

 ずいぶん安く見られている。僕は少しだけ奏人に同情した。だが、アイスを買ってやると言われれば、奏人はいそいそとやってくるに違いない。


「杏ちゃん。うちの息子を昼食作りの手伝いに、お宅に連れて帰らない?」


 母さんは白川さんにニッコリと微笑んで提案した。

 僕は会ったばかりの息子の知り合いを早くも『杏ちゃん』呼ばわり出来る母さんの神経が理解出来ず、また目を丸くした。

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