第24話 カミングアウト

「じゃあ、あとは史一ふみかずのパソコンの件ね!」


 母さんが胸の前でポンと軽く手を叩いてみせる。話を変えるぞという合図だ。

 僕は母さんのその言葉を聞いて、定額制サービスについての考えを振り払う。


 まずは僕の相棒を手に入れる了承を得るのが先だ。

 一つ一つ片付けていこう。

 二兎追うものは一頭も得ずだ。


「さっき動画だの、YouTubeだのって結衣ゆい奏人かなとが言ってたけど。一体何の話なの?」


 母さんは少し眉をしかめると、僕を再度問いただす。


 僕は家族にパソコンを買いたいと思った理由を話した。

 大学で動画研究会というサークルに入ったこと。そのサークルで動画を作るのに必要なパソコンのスペックを教えてもらったけれど、父さんのパソコンではスペックが足りていないこと。教えてもらったスペックを満たせるパソコンを購入するには十数万円かかるが、自分の貯金で賄えそうであること。

 パソコンのスペックについては良周よしちかがくれたメモを持ち出し、僕が自分で調べた父さんのパソコンのスペックの話も盛り込みながら、新しいパソコンの必要性を説明した。

 良周よしちか雄太ゆうたに詳しく教えてもらっていたおかげで、父さんや母さんのパソコンについての質問にもしっかりと答えることが出来た。

 僕がいきさつを話すのを腕組みしながら聞いていた父さんが口を開く。


「動画をパソコンで作りたいということは分かったし、それにはパソコンが新しく必要だということにも納得した」


 父さんはそう言うと、組んでいた腕を解いて膝に手をつくと僕に訊ねる。


「それで? どんな動画を作りたいんだ? 結衣が言っていたように作った動画をYouTubeに投稿するのか?」


 僕は返答に詰まる。


 どんな動画を作るのか……。

 そういえば、まだ決めていなかった。


 サークルのみんなは何がしたいのかが、はっきり決まっているようだった。

 でも僕はまだ何がしたいのか具体的な考えがない。

 良周はガジェット紹介、雄太はゲーム実況、恭平はグルメ関係。白川さんは動画の作り方自体に興味があるということだったから、YouTubeに動画を投稿する気はないのだろう。だが、彼女には家族の動画制作の手伝いがしたいという目標がある。


 僕はどうしたいんだ?


 サークルに加入した当初から時々頭をもたげては消えていた疑問がまた頭をもたげた。

 新しい知識を消化するので精一杯で、サークルで何がしたいのか、どんな動画を作りたいのか、そこまで深く考えられていなかった事に改めて気づく。


「動画をYouTubeに投稿してみたい気持ちはあるよ。……でも実は、まだどんな動画を撮るか決めきれてないんだ」


 僕は気まずさを感じながら答えた。


「そんな曖昧な気持ちで始めるものに十数万円も使おうって言うの?」


 母さんが言う。母さんの顔に益々困惑の色が浮かぶ。

 仕方のない事だろう。

 何がしたいかも決めきれてないような状態で購入するような額の買い物ではないかもしれない。


 でも……


「確かにちょっと高い気もするよ。でもサークルに入って数か月だけど、知らないことを沢山知れたんだ。ちゃんとパソコンを買って、サークル活動をしていけば、きっともっと僕の世界が広がる。そんな気がするんだ……」


 僕はサークルに入って感じた正直な気持ちを打ち明ける。


「ちょっとなんてもんじゃないわよ。史一、あなたねえ……」


 まくし立てる母さんの前に手を伸ばし、父さんが母さんの発言を制止する。


「まあまあ、落ち着いて。恵美めぐみさんの気持ちはわかるけど、史一はもう大学生なんだ。思った通りにやってみれば良いと僕は思うよ」


 父さんはそう言い、「それに」と言いながら僕のほうを見ると「自分の貯金で買うんだったな」と僕に念を押した。

 僕は頷く。


「そういうことだ。僕たちに購入代金を用立て欲しいと言っているわけでもない。大学生にもなる息子が、こうやってちゃんと報告してくれたことを評価しても良いんじゃないかな? なかなか居ないぞ、こんな男子大学生」


 父さんは母さんに向き直ると、なだめるように語り掛ける。

 でも僕は何だかモヤッとする。


 何かけなされたような気が……。


「……でも」


 母さんは父さんの言葉でだいぶ落ち着きを取り戻したが、まだ納得しきれていない様子で呟く。


「それに今日、僕は史一に驚かされたんだ」


 父さんが先ほど母を宥めた時のままの声色で話を続ける。


「パソコンについて詳しく説明できていたと思わないかい? この間『父さん、喫茶店でパソコンを使おうと思ったらインターネットに繋がらないんだけど?』なんて言ってた史一がだよ? 今日はうちのパソコンがどうやってインターネットに繋がっているのかも分かってるようだったし……」


 父さんの声が上ずる。何やら感動さえ覚えているようだ。

 僕はと言うと、そんな風に思われていたのかと軽くショックを受けている。


「確かにそうね……。テレビ番組の録画も奏人に手伝ってもらわないと真面まともに出来ない子が、今日は私やあなたも知らないようなことを知っていて、私も少し驚いたわ」


 母さんが頷いて言う。


 母さんもそんな風に思っていたのか!


 僕はまたもショックを受けた。


「Wi-Fiって言葉の意味も知ってたよね。僕もちょっとビックリした。理解が足りてなかったけど」


 奏人が口を挟む。どうやら奏人は僕がWi-Fiのことなど知らないと思っていたようだ。

 父さんがその言葉に頷いて同意し、言葉を続ける。


「あと数年もすれば社会人だって言うのに、余りにも機械音痴で実は心配していたんだ」

「……そうね。今の時代、若い人は機械に強くないとやっていけないと私も思うわ……」


 母さんが神妙な顔をして言う。

 そんな母さんの隣で、結衣が素知らぬ顔で保存容器からプリンを皿に装っている。妹は僕の機械音痴ぶりにはあまり興味がないらしい。


「そうだろ? それが大学に入って数か月で僕らよりパソコンの事を詳しく知るようになったんだよ? このまま興味があるうちに挑戦させてみても良いんじゃないかな?」


 父さんが言う。

 母さんは父さんに向けていた視線を僕に移す。そして目を伏せ、ふうっとため息をつくと「わかったわ。好きになさい」と言って、僕がパソコンを購入することに同意してくれた。


「僕も賛成! 援護射撃したんだから、たまに新しいパソコン貸してね!」


 奏人がプリンの入った保存容器を自分のほうに引き寄せながら言った。


 なんだよ、その恩を売るような言い方は……


 僕はそう感じたが、確かに父さんのパソコンのスペックでは僕がやりたいことは出来ないことやWi-Fiについての奏人の発言も母さんの心を動かした要因の一つだろう。僕はしぶしぶ奏人の頼みに頷いてみせる。


「えー? 奏人、ずるい! 私も借りたい!」


 結衣が言う。


 お前には何の借りもない。


 僕は聞こえなかったふりをして、結衣の発言を無視した。


「でもな、YouTubeへの投稿には注意しろよ」


 父さんが急に真面目な顔をして言う。

 僕は父さんの声のトーンが急に変わったことに驚いて、父さんのほうに向きなおった。


「父さん、会社の研修でYouTubeやTwitterの研修を最近受けたんだよ。そこで実際にあった実例の話も聞いたんだ」


 そう言うと、父さんはこんな話を始めた。


 ある会社員が仕事場に娘を連れて来ていた。会社員は娘に発表前の新製品を見せたそうだ。そして娘はその新製品を操作している動画を撮って、SNSにアップしてしまった。動画撮影には一部、会社員が撮影をしたと思われる箇所もあったらしい。

 娘が発信した情報はSNSを通じて世界中を駆け巡る。新製品の情報は外部流出してしまったのだ。そして会社員は責任を取って会社を辞めさせられることになった。

 事件後、娘はSNS上で父親は悪くない、悪いのは自分だと泣いて訴える動画を投稿している。

 そんな話だった。


 「まあ、僕も母さんもお前たちを職場に連れて行ったりはしないから、こんなことにはならないと思うが……。それでもSNSに投稿するということは、少なからず家族にも影響することがあるのは確かだと思う」


 父さんはそう言うと僕の目を見据えて「それはいつも肝に銘じておくんだぞ」と父親らしい威厳のある声で言った。

 僕は父さんの言葉に頷いて同意した。


「結衣も奏人もだぞ。インターネットは気を付けて使ってくれよ」


 父さんが言うと、二人は「はーい」と軽く返事をする。

 僕はそのやり取りを横目で見ながら、父さんが教えてくれた情報流出の話を考えている。


 娘さんはどんな気持ちだったろう?


 自分の所為で父親が仕事を失くしたと、きっと責任を感じていることだろう。

 だが会社員のほうにも落ち度がなかったとは言い切れない。家族であっても社外秘の情報を動画に撮らせるべきではなかったのだ。だから会社も彼にペナルティを与えたのだろう。


 僕がYouTubeを始めることで父さんや母さん、結衣や奏人に迷惑をかける。

 そんなことが起こりえるかもしれない。

 僕は背筋が少し寒くなるのを感じる。


 家族に迷惑をかけのは嫌だ。

 一体、どんなジャンルの動画ならその条件を満たして活動できるだろうか?


 僕は答えの出ない迷宮にでも迷い込んだ心持こころもちになった。

 その時だ。


「おにいちゃん、良かったね」


 僕の隣でプリンを頬張りながら奏人がそう言って、ニッと笑った。


「まあな。でも、父さんの話を聞いて、少し恐くなったよ」と僕。

「確かに、ちょっと恐いよね。でもさ今のお兄ちゃん、ちょっと前の機械音痴で何にも知らない頃のお兄ちゃんより、ずっと良いと思うよ」


 奏人はそう言うと一口プリンを頬張り口をモグモグさせながら「悩めるだけの知識が付いたってことでしょ?」と続ける。


「生意気なこと言うな」と僕。

「まあ、ちょっと転んでも良いってくらいの気持ちでやってみれば? 失敗は成長の糧って言うじゃん」


 奏人の言葉に「そうだな」と言いながら、その言葉が僕の心を少し軽くしてくれたのを感じた。

 まだ、何も始めてもいないのに悩んでばかりいても仕方ない。まずは、相棒を購入する許可を家族から取り付けることが出来たことを喜ぼう。そう思った。


 そして、僕は食卓の上の保存容器に目を移す。

 プリンは一欠片ひとかけらも残っていない。


「……食べ損ねた」


 僕は空になった保存容器を覗き込んで、小さく呟いた。

 まあ、プリンのおかげか父さんの機嫌も比較的良く、奏人の援護も受けられた。プリンが僕の口に入らなかったくらいの事は我慢すべきだろう。

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