相棒を見つける方法
第11話 apricot
僕はサークル棟1階の廊下を歩いている。
先日、正式に大学からサークル活動用の部屋を割り当ててもらえたのだ。まだ元々備え付けられていた机と椅子以外何もない部屋だが、講義の合間や5限目後に暇さえあればこの部屋にサークルメンバーが集まるようになっていた。
廊下の両側には等間隔にドアが並ぶ。チェス、登山、テニスにビリヤード。ドアには手書き文字やプリンタ印刷でサークル名が書かれた紙が貼ってある。同じようなドアが並んでいるだけでは、どれがどのサークルの部屋か判りにくいからだろう。色とりどり、どれもなかなか個性的だ。
僕はそれらのドアを横目で見ながら目的のドアに向かう。目的のドアは廊下の一番奥、向かって左側にある。
僕は動画研究会のドアの前に到着した。
ドアには他のサークルと同じようにサークル名を書いた紙が貼ってある。A4サイズのコピー用紙に太い油性マーカーで『動画研究会』と殴り書きされている。
サークルのドアを開けようとドアノブに手を伸ばした時だった、室内から音楽が流れ始めた。
何事かと一瞬ドアを開けるのを躊躇ったが、恐る恐るドアを開ける。
ドアが開いた途端、部屋の中の音楽が廊下へと漏れる。ポップな曲調だが一緒に聴こえてくる歌声は柔らかく優しい。聴き覚えがある気がするが、思い出せない。
「
「お疲れ。この曲って、そのタブレットから聴こえてるの?」
僕が訊くと、雄太はちょっと自慢げに「そうだよ」と答えて、言葉を続ける。
「デュアルフロントスピーカー内蔵なんだ。タブレットとは思えない音質だろ?」
そう言ってタブレットを持ち上げてみせ、僕に渡してくる。
僕は思わず雄太からタブレットを受け取る。僕にはデュアルフロントスピーカーがどんなものかは分からなかったが、きっと音が良いスピーカーなのだろう。
ディスプレイに映っていたのはYouTubeだった。女の子が歌っている。良く見ると3DCGアニメーションのようだ。
「お疲れ!」
声と共にドアが開いた。
僕が振り向くと目の前に巨体が現れる。恭平だ。
彼は僕が手にしているタブレットを覗き込む。
「あ! それって、バーチャルYouTuberのアプリコットだね!」と恭平。
「知ってるのかい? アプリコット」と雄太。
「もちろん! 最近人気だよね。特に歌が良い!」
恭平は興奮気味に言った。
どうやらディスプレイの中で歌っている少女はバーチャルYouTuberのようだ。
YouTube好きを豪語している僕だが、実はバーチャルYouTuberにはあまり詳しくない。
僕の少ない知識だけで説明すると、バーチャルYouTuberとはYouTubeでの配信を行う2Dや3DCGのキャラクターのことだ。VTuberと呼ばれることもある。ゲーム実況に雑談、楽曲配信など配信動画のジャンルは多岐にわたるらしい。
「有名みたいだね」と僕。
「そうなんだ。史一は知らないかい?」と雄太。
僕はデスプレイの中で歌う少女をもう一度見た。
この曲に聴き覚えがある気がするし、どこかで見たのかも……。
しばらくディスプレイを眺めて、僕はやっと思い出した。
「名前は知らなかったけど、弟が良く観ている動画でこんなキャラクタが喋っていた気がする」と僕。
「弟くん。見る目あるね! 彼女の動画はバーチャルYouTuberの動画の中でも特におすすめだよ」
雄太が興奮気味にディスプレイに映る少女を指さす。
僕はディスプレイの中で歌う少女にまた目を落とした。
ディスプレイの中で淡いオレンジ色の長い髪をした少女は楽しげに歌っている。
頭の両サイドの高い位置でサイドの髪を少量まとめて結い、残った髪は背中側に流している。結った髪と後ろ髪が風になびいている。
肌は白く、目は大きい。瞳の色はエメラルドのように美しく深い緑だ。
耳にはピンク色のハートのイヤリング。
淡い水色のゆったりとした袖無しパーカーを着ている。パーカーの下のトップスは胸周りを最低限隠す程度のボディラインに沿ったデザインで、白い肌に良く映える群青色だ。スカートは短く、パーカーと同じ薄い水色。セーラー服のスカートのように幾重にも折ったひだのあるタイプのようだ。
スカートも髪と同様に風になびき、少女の太ももが見え隠れする様子に、不覚にも少しドキドキした。
手袋、ブーツは白く、手首と足首の部分にはトップスと同じ群青色の小さなリボンの飾りがあしらわれている。
なかなかポップな出で立ちだ。
少女はディスプレイの中を所狭しと駆け巡る。
タブレットの小さな画面であることを忘れそうになる。表情豊かに、手足を目一杯動かして楽曲の世界を表現していた。
「すごく綺麗な映像だね。これって2Dアニメーションではなくて3DCG?」と僕。
「そうなんだ。クオリティが高いだろ? これは楽曲のPVだから特にね。雑談動画とかはもう少しキャラクタの動きがぎこちなくなるかな」と雄太。
「雑談動画の動き、僕は好きだな」
恭平が夢見がちな表情で言った。恭平は言葉を続ける。
「雑談の時の動きも女の子らしくて、めちゃくちゃ可愛いよ! 表情も豊かだし、指先までしっかり動きがついてて凄いよ! あと、センシティブな内容でも角が立たない言い方をちゃんと選んで話せるコミュニケーション能力の高さも魅力だね。まあ、ちょっとしゃべり方が棒読みな感じが気になるけど……」
「ああ。確かに雑談の時のしゃべりは棒読みっぽいね。でも、そのギャップがまた良いんだよな」と雄太。
「これって、どういう人たちが運営してるんだい?」
僕は疑問を口にする。
このクオリティのCGは素人の手によるものではないだろう。
「3DCGの制作会社が自社技術のプロモーションのために動画配信してるらしいよ」と雄太。
「そうだよね。このクオリティはプロの仕事だよね。それにしても良く出来てるね」
僕は納得して言った。
僕はアニメやゲームも好きな方だ。こういう3DCGもそうした作品で観る機会が多い。それらと比較しても、このPV映像はクオリティの高い部類に属していると思う。
「うん。アプリコットが有名になって、この制作会社には企業からバーチャルYouTuberのCG制作依頼が結構来てるらしいね」
雄太が情報を補足してくれた。
「企業? ゲーム会社とかじゃなくて?」と僕。
「そうさ。最近はYouTubeにチャンネルを持ってる大手企業も多い。そこで商品やサービスをバーチャルYouTuberに紹介してもらおうってことみたいだね」
雄太がそう言うと、恭平が透かさず「バーチャルYouTuberは不祥事を起こさないしね」とニカッと歯を見せて、悪戯顔で言った。
雄太が頷く。
「そうだね。不祥事は起き難いよね。それに融通も利く。CMを撮ろうと思ったらスケジュールが埋まってたなんてことも起きない。企業側の思い通りに動かせるのもメリットなんだろうね」
雄太は腕組みしてそう言うと「3DCGはもうゲームや映画の世界だけで使われる技術では無くなってきているね」と続けた。
バーチャルYouTuberなんてアニメやゲーム好きの人たちが楽しんでいるだけだと僕は思っていた。まさか企業もバーチャルYouTuberを活用しているなんて、全く知らなかった。YouTubeには詳しいほうだと思っていたけれど、まだ僕の知らないことが沢山あるようだ。
僕たちがタブレットのディスプレイを眺めていると、ドアが開く音がした。
僕たちはドアの方を振り返る。
部屋に入って来たのは白川さんだった。
「お疲れ様」
彼女はニッコリと僕たちに微笑みかけた。
僕らも「お疲れ」と彼女に挨拶を返す。
「みんなで集まって何してるの?」
白川さんが僕らの方を不思議そうに見る。
僕が持つタブレットを僕の肩越しに細くて小さな雄太と背が高く大柄な恭平が覗き込んでいる。確かに端から見ると、ちょっと可笑しな光景に映るかもしれない。
「これを観てたんだよ。最近人気のバーチャルYouTuberらしいよ」
僕はそう言うと、白川さんに歩み寄ってタブレットを手渡す。
「……バーチャルYouTuber」
彼女は小さな声でそういうと、僕からタブレットを受け取った。
「アプリコットっていう名前のキャラクタなんだって」
僕は彼女にディスプレイに映る少女について説明する。
「すごくクオリティが高い映像だよね。バーチャルYouTuberにはあまり詳しくないんだけど、ビックリしたよ。今度、他にはどんなバーチャルYouTuberが居るのか探してみようかな?」
僕は雄太と恭平の方へ向き直って言った。
「お! 史一もバーチャルYouTuberの良さが分かってきたかい?」と雄太。
「うん。なかなか面白そうだね」と僕。
「可愛い女の子だけじゃなくて、おじさんのキャラクタも居るんだよ」と恭平。
「おじさん? 何それ? 変なの。 ねえ、白川さんもそう思わない?」
僕はケラケラと笑いながら、白川さんに同意を求めた。
「……」
白川さんから返事がない。
僕は不思議に思って雄太と恭平から目を離し、彼女の方を向いた。
そこには無表情でタブレットの画面を観ている白川さんの姿があった。どう見ても動画を楽しんでいるようには見えない。
僕は思いもしない白川さんのリアクションに焦りを覚える。
何か白川さんの気に入らない事でも有ったかな?
もしかして、彼女はこういうゲームやアニメに近いジャンルが苦手な人だったのかも!
美少女キャラクタが露出多めのコスチュームで歌っている映像を見ながら男3人がキャッキャしているのを見せられて、白川さんは呆れている?
いや、もしかしたらそれを通り越して軽蔑されてしまったのかも……。
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