第8話 紙パックジュースでゼリー

 このまま進むと白川さんと良周よしちかが、学生食堂で出会ってしまうかもしれない!

 別のルートに変更できないだろうか?


 僕は周辺を見回す。脇道はない。食堂までは一本道のようだ。


 引き返せないだろうか?


 それは無理だろう。今さら他の道にしようなどと言えば、白川さんはきっと不審がる。僕は考えを巡らせるが、良い案が思い浮かばない。


 嫌な気分だ。


 どんどん『どうにかしてやろう』という気持ちが小さくなっていく。

 白川さんが唐突に「あっ、そうだ!」と声を上げる。

 あまりに急だったので、僕は心臓が跳ね上がる思いがした。


「高橋くん。そういえば、さっきの講義の前に訊きたかったことがあったのに、まだ訊けてないや!」


 彼女が僕のほうを振り向いて言う。

 僕は動揺していて、彼女の言葉がすぐには理解出来なかった。

 彼女は僕の顔を見て、僕が理解していないことを悟ったらしく、説明を加えてくれる。


「ほら! 佐野くんに訊く前に、相談に乗って欲しいことがあるって言ったでしょ?」


 彼女はにっこり笑って言った。最初に相談があると言われた時の表情とは大違いだ。彼女は僕にだいぶ心を許してくれたらしい。

 だが、相談内容というのは良周よしちかの情報が欲しいという事のはずだ。それなら話し尽くしてしまった。これ以上、僕に話せることはない。


「そうだったね。でも僕なんか、大した相談相手になれないんじゃないかな?」


 僕は本気でそう思っていた。もう精も根も尽き果てている。白川さんと良周よしちかを良い方向へ導く力は、僕にはもう残っていないのだ。


「そんなことないよ! 今日まで話したこと無かったけど、高橋くんが話しやすそうな人だって、見てるだけで分かったよ! とっても優しそうな人だなって」


 白川さんが慌てた様子で必死に話しかけてくれる。もしかしたら僕が弱気になっていることを察したのかもしれない。


 話しやすそう?

 ……そうだろうか?


「優しそう……」


 僕は彼女が言った言葉を思わず繰り返す。


「そうだよ! それに料理が出来るところもすごいと思うよ!」


 料理上手が相談相手として良いかははなはだ疑問だが、彼女は僕について知っている知識を総動員して励まそうとしてくれているようだ。

 沈みかけていた心が、少し軽くなる。それと同時に、僕の頭にこの状況の打開策が降りてきた!

 突然、この展開は僕に有利だと気づいたのだ。


「そうかな? じゃあ、僕が最近ハマってるデザートの作り方、聞きたい?」と僕。


 僕の突然の申し出に、白川さんは「え……」と呟き、少したじろぐ。

 僕はジッと彼女を見つめる。

 僕には彼女が承諾するという勝算があった。

 気落ちしている僕を慰めようとしてくれている彼女は、きっと僕の申し出を断れない。少々話の切り替えが強引だった気もするが、料理の話を持ち出したのは白川さんだ。この程度の強引さは問題ないだろう。

 もっと気の利いた話題を提供できれば良いのだが、生憎すぐに思いつけたのは最近良く作る料理の話くらいだった。


「……そうだね。じゃあ、教えてもらおうかな……」


 彼女は若干、棒読み気味に答えた。無理もない、きっと料理の話になんて興味はないだろう。


 かかったな!


 僕は心の中でほくそ笑む。

 そして、すかさず白川さんの左隣に移動した。

 彼女は僕の動きを追って、左を向く。


 そうだ!

 このまま学食を通り過ぎるまで、僕と向かい合っていてくれ!


 何故ならこのポジションで僕の方を白川さんが見ていてくれれば、食堂でいつもサークルメンバーが陣取っている席が彼女には見えないからだ。


「白川さんはゼリーって好き?」


 僕はそう言って歩き出す。


 作戦開始だ!

 とにかく良周よしちかに会わせないようにするんだ。

 その後のことは……今のところ全く思いつかないが、とにかく今は目の前の問題を回避するんだ!


「まあ、好きな方かな」と白川さん。

「何味が好き?」と僕。

「……コーヒーとか、オレンジとか」

「それって、スーパーとかお店で買うんだよね?」


 僕はまた質問する。


「そうね。スーパーで買うわ」


 白川さんが頷いて答える。


「僕もゼリーが好きなんだけど、スーパーでは買わないんだ」

「作るのね?」


 流石にそれは分かると言いたげな表情で白川さんが僕を見る。当然だろう。デザートの作り方について話すと僕自身が先に述べたのだから。


「うん。うちは両親と僕、妹、弟の5人家族で、市販のゼリーやプリンじゃあ、いくつあっても足りないんだよね。それに冷蔵庫の空きにも限りがあるし」

「でも、作っても冷蔵庫がいっぱいにならない?」

「僕の作り方なら、スペースも節約できるよ」


 白川さんは意味が分からないという風に小首をかしげる。言葉には出さないが、どうして? と言いたいらしい。


「紙パック入りのジュースで作るんだよ」

「パックジュースって1リットルくらいの量だっけ? 確かにその量なら大量のゼリーが出来そうね。でも、そのジュースを使うとどうして冷蔵庫のスペースが節約できるの? 1リットルぶんも作ったらゼリーのカップが沢山並んじゃうんじゃない?」


 白川さんは納得できない様子だ。思った以上に食いつきが良い。

 その時、彼女の頭越しに学生食堂が僕の目に入った。

 廊下を抜けると大きな広場のような空間に出る。この広場が食堂だ。

 まるでショッピングモールのフードコートのようにオープンで、学生は四方八方からやってきて思い思いに食事をしている。食事スペースの中央に横切るように通路もとられており、食事を目的としない学生の往来も活発だ。通路の幅は4人が悠々と並んで歩けるくらいで、すれ違いもスムーズに行える。

 僕と白川さんはこれからその通路を進むのだ。

 僕は普段良く使う席の辺りに目を向ける。すると男子学生が3人座っているのが見えた。たぶんサークルメンバーだろう。

 思った通りの位置関係だ。このまま白川さんの注意を僕が引いておけば、問題なく学生食堂を通り抜けることが出来そうだ。


「カップは使わないんだ。どうすると思う?」と僕。

「うーん。どうするんだろう……」


 白川さんは右手を軽く握って顎に当て、考え込んでいる。

 僕たちは食堂の通路を進む。


 早くこの通路を通り抜けたい。

 通路を通り過ぎるまでは、白川さんにはゼリーの問題に取り組んでいてもらおう!


史一ふみかず!」


 突然、僕を呼ぶ声がする。

 僕は声のする方向を見る。そして落胆した。

 何故ならその瞬間、僕の苦労が水の泡と化したことを悟ったからだ。

 そこに立っていたのはりにって良周よしちかだった。


 さっきまでいつもの席にいたのに!


 僕はサークルメンバーらしき人たちが座っていたテーブルに目をやる。テーブルには2人しかいない。

 僕が彼らを見つけたすぐ後、良周よしちかは席を立ったようだ。


「白川さんと一緒だったのか。次の講義、僕と同じだったよな。僕も一緒に行くよ」


 良周よしちかほがらかに僕と白川さんに笑いかけながら、こちらに歩いてくる。

 白川さんも僕から目を離し、良周よしちかの方へ振り向く。彼女は良周よしちかを見るなり僕の背後へ移動する。良周よしちかの突然の登場に驚いたようだ。


「さ、佐野くん……」


 白川さんの声に緊張が混じる。


 白川さんと良周よしちかが出会ってしまった。

 計画は失敗だ!


 僕は言い知れない倦怠感に襲われた。 


史一ふみかず、さては昼飯は白川さんと食べてたのか? お前も隅に置けないな!」


 白川さんの緊張は良周よしちかには伝わっていないらしく、彼は僕を肘で小突いてからかってきた。楽しそうだ。その様子に何だか腹が立ってくる。

 僕が今日、色々と苦労をしているのは良周よしちかの為だ。だが彼は僕の苦労など知りもせず、ヘラヘラと笑っている。

 そんなことは良周よしちかのあずかり知らぬところだと解っている。それでも腹が立つのは止められない。


 もう成る様に成れば良い!

 僕は無関係なんだ。

 良周よしちかも少しは苦労すれば良い!


 僕はそう思い始めた。


「そうだよ。でもお前が思っているようなことじゃない。勘ぐりすぎだ」


 僕が答えると良周よしちかは「なんか機嫌悪いな。邪魔したからか? 悪かったよ」と謝ってきた。


 違う、そんなことで怒っているのではない。


 僕はそう思ったが、もう訂正する気力さえ無くしていた。僕は「もういいよ」と言ってため息をつく。


「そうか? まあ良いっていうなら良いか! 二人とも行こうか」


 良周よしちかはそう言うと僕と白川さんの前を機嫌よく歩き出した。

 僕と白川さんは良周よしちかと道連れになることを承諾した覚えはないのだが、良周よしちかはそんなことは気にしないようだ。何ともさっぱりとした性格だ。彼は僕みたいに些細なことをうじうじとは考えないらしい。

 良周よしちかのそのような様子に少々呆れ、僕の怒りはりをひそめてしまった。


「そういえば僕が話しかける前、何か話してたろ? 何の話をしてたんだい?」


 先を歩く良周よしちかが僕と白川さんのほうに振り返って訊いた。


「そうだ! 忘れてた、ゼリーの話!」


 白川さんは言いながら、胸の前で軽く手を合わせる仕草をする。


「ゼリーの話?」と良周よしちか

「紙パック入りのジュースでゼリーを作る話だよ」


 僕は良周よしちかに情報を補足してやる。


「何の話かと思えば! ゼリーの作り方なんて僕でも知ってるよ」


 良周よしちかは呆れ顔でそう言った。

 僕は良周よしちかと料理の話なんてしたことがなかった。彼がゼリーの作り方を知っているとは意外だ。


 本当に知っているのだろうか?


「そんなこと言って大丈夫か? じゃあ、どうやって作るのか言ってみろよ」


 僕は俄然興味が湧いて良周よしちかに訊ねた。

 良周よしちかは自信満々な様子で「いいよ」と言うと言葉を続ける。


「まずゼラチンを水でふやかす。それから固めたい液体、この場合ジュースだな。それを温める。それで、ふやかしたゼラチンを温めたジュースに入れて溶かす。それを冷やせば出来上がりだ!」


 良周よしちかは指を折り、手順を数えながら答える。


「正解。良く知ってたね」と僕。

遠子とおこさんが美容用に大量のゼラチンを買ってね。たまにそのゼラチンでコーヒーゼリーを手作りしてくれるんだ」と良周よしちか


 唐突に『遠子』という名前を良周よしちかが口にしたものだから、僕はドキリとした。

 遠子さんというのは良周よしちかの奥さんだ。白川さんの前でその名前は不味い。


「どうして……ゼラチンが美容用なの?」


 白川さんがおずおずと良周よしちかに訊いた。まだ良周よしちかが居る状況に慣れないのだろう。それに『遠子』という名前と良周よしちかの奥さんとが同一人物だと気づかなかったのだろうか。奥さんの名前を聞いても、目に見えて取り乱す様子はない。


「僕も良く知らないけど、コラーゲンの代用らしいよ」


 白川さんの問いに良周よしちかが微笑んで答える。


「コラーゲン! それなら分かるわ。ゼラチンが代用になるの?」


 良周よしちかの気さくな様子に安堵したようで、白川さんは表情を明るくして言った。


 ゼラチンは分かる。

 でもコラーゲンって聞いたことはあるけど何なんだ?


 僕は二人の会話についていけない。僕は良周よしちかの奥さんの名前が二人の会話に登場したことに冷や冷やしながら成り行きを見守った。

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