Épilogue 「……あなたが、来てほしいなら」


 あれから三日後。

 コルマンド伯爵家の悪事は見事に暴かれ、その功労者である第一王子は、大きく新聞の一面を飾ることとなった。

「号外、号外だよ! なんとあの穏やかな領主一家が、孤児院の子供たちを非道な目に遭わせてたとさ! さあ、新しい領主はどうなる⁉︎ 気になったなら買っていっておくれ!」

 まさに事件の舞台となったノルマールだが、やはり田舎――と言って片付けていいものなのか――事件についての情報がようやく出回ったらしい。

 町行く人に、ちらほらとコート姿が交じり始めている。

「ひとつくれ」

「まいどあり!」

 片手に紙袋いっぱいのパンを抱えて、帽子を目深にかぶった男は、買ったばかりの新聞を無造作に広げた。

 そこには大々的にレオナールの顔が描かれており、ちょっとだけ男の眉根が寄る。しかしすぐに持ち直して、新しい領主について書かれた箇所を見つけ出した。

「ほう、これは面白い」

「何て書いてあるの?」

 男の横から、これまたマントのフードを目深にかぶった少女が、興味津々といったていで紙面を覗いた。

 彼女の手には、野菜や肉の詰まったかごがある。

 まるで仲のいい恋人が、二人揃って買い物に来た、その帰り道といった感じだ。

「どうやら当面の間、第一王子が拝領するらしい」

「えっ、殿下が?」

「こういった場合、普通は伯爵の縁戚が後釜に座るか、または隣接する領地と合併するんだが……」

「そうなの?」

「ああ。まあでも、俺には関係ないかな。ここがレオナールの領になろうと、君は俺が連れ去るわけだし」

 寝耳に水だ。少女は慌てて問い詰めた。

「待って。そんな話、聞いてないわ」

「言ってないからな」

 当然だろう、とばかりに頷く男を、少女はキッと睨みあげる。フードの中から、翡翠のように透き通る瞳が現れた。

「連れ去るって、いったいどこに? 私はリュカを置いていかないわよ」

「そうか。では俺とリュカ、どちらかを選べ」

 男は湖面の瞳を意地悪く細めて、少女の答えを楽しげに待つ。

 なんて意地の悪い男だろうと、頬を膨らませた。

「わかった。だったらあなたとリュカ、両方を選んでやろうじゃないの」

 少女の思いがけない返答に、男は一瞬虚をつかれる。が、すぐに元の意地の悪い顔に戻ると、少女のフードをぱさりと取り払った。

「へぇ。随分と強欲だな、俺の愛しい人は」

 軽く唇が触れる。わざとリップ音を立てた男に、少女は頬を淡く染めながらも抗議した。

「だから、何で人がいるところでするの⁉︎」

「そりゃあ、そのほうが君がいい顔をするからだ」

 いい顔ってどんな顔よ⁉︎ と訊いたが最後。どうせいじめたくてたまらなくなる顔だ、と答えるのだろう。この男――ヴィクトルという変態は。

「もう知らないっ。私はリュカを選びます。あなたなんて自分の国でもどこでも、好きなところへ行くといいわ」

「つれないな。俺がいないと生きていけないくせに」

「生きるくらいなんとかなるもの」

「本当に? この前は俺をあんなに求めてきたくせに? 頬を染めて、恍惚と人を堪能しておきながら、今さら他の男に乗り換えられるとでも?」

「ちょっと! 誤解を招くような言い方をしないでっ。だいたいあれだって、あのときの一回しかもらってないんだから」

「けどそのあと、俺は君のせいで倒れたわけだ。フランツの背中におぶされるなんて、あんな屈辱はない。生まれて初めてだ!」

「うっ」

「最初はこちらが傷つくくらい嫌がったくせに、何だかんだ言って貪り喰って……」

「く、うぅ」

「ああっ、酷いな。まったく酷い話だ。己を犠牲にして愛する女を助けたのに、その彼女に捨てられるなんて!」

「誰も捨てるなんて言ってないでしょ!」

「でも君はリュカを選ぶんだろう? ということは、俺とは一緒に来てくれないと」

 二人の痴話喧嘩を、すれ違う町の人たちが微笑ましく見守っている。この三日、彼らのそんな姿を、色んな人が目撃していた。

 そしてフードを目深にかぶった少女が、森の中でひっそりと暮らすユーフェであることは、町民全員が知っていることだ。

 あの人見知りのユーフェがついに好いた人を見つけたと、実は町中で噂になっているなんて、彼女は知る由もないのだろう。

「べ、別に、行かないとは、言ってない、わ」

「じゃあ来るな?」

「……あなたが、来てほしいなら」

「ほしい。来い、ユーフェ。俺のところに」

 強い眼差しに、ユーフェはとうとう負けた。ぎこちなく頷いて、「じゃあ、行くわ」と小さな声で了承する。

 もちろん、それを聞き逃すヴィクトルではない。照れて俯いてしまったユーフェは気づかなかったが、彼の目がキランと怪しく光った。

「よく言った、ユーフェ!」

「ひっ」

 いきなり身体を持ち上げられて、ちょっとばかり恥ずかしい悲鳴をあげる。

 急になに⁉︎ と言外に問えば、彼はにぃんまりと、いつも以上にこちらが逃げ出したくなるような悪い顔で笑った。

「取り消しは不可。今の言葉はリュカも聞いた。これで君は俺のものだ!」

「え、え? どういうこと? リュカも聞いたって、何を⁉︎」

 なんだか嫌な予感がしてきて、ユーフェはだんだん慌て出す。悲しいかな、ユーフェにとって一番油断してはいけない相手が、好きな人ヴィクトルなのである。

「こうなったらちんたら歩いてる場合じゃない。急いで帰るぞ!」

「ちょ、だから何っ。説明してってば!」

 ヴィクトルは満面の笑みでユーフェの手を引く。

「ああそうだ。でも国に帰る前に、もう一度フィナンシェを作ってくれ。君が初めて俺にくれた、あの世界一甘くて美味いやつをな」

 そうしてまた、彼は恥ずかしげもなくキスを落とす。

 彼女の人生最大の不運は、間違いなくこの男に見つかってしまったことだろう。

 けれど。

 彼女の人生最大の幸運は、この男と出会って、互いに恋をしたことである。







 王子の愛しい魔女殿へ


 まずは謝罪を。本当は私とリュカ殿も一緒にアルマンドへ同行する予定でしたが、我が主人が邪魔だと言って聞かなかったため、我々は先に行かせていただきます。あれと二人きりは大変かと思いますが、どうかお二人で国にいらっしゃってください。

 その代わりと言ってはなんですが、国王陛下と王妃殿下への根回しは完璧にさせていただきます。ええ、このフランツ。主人の右腕の名にかけて、あなた様が国に来たらすぐにでも結婚式を挙げられるよう、完璧に整えておきましょう。ああ、礼なんて必要ありませんからね。

 そしてここで一つ、我が主人の取扱説明書なるものを記させていただきたく存じます。

 一、おはようのキスは欠かさずに。

 一、食事はあなた様が作ってください。

 一、他の男性に余所見は禁止。

 一、もし余所見をしたら、あなたも男のほうも、諸々を覚悟すること。

 一、おやすみのキスも忘れてはなりません。

 とまあ、ここまでが主人に無理やり書けと脅されたことです。頑張ってください。

 そんなことより、私が本当にお伝えしたいのは――――お願いですからなんとしてでもその人を国に連れ帰ってきてください‼︎


 主人のわがままに心底疲れ果てて円形ハゲができそうな従者より





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

王子の愛しい魔女殿へ 蓮水 涼 @s-a-k-u

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ