睡眠少女は眠れない

白樺セツ

睡眠少女は眠れない


 自室の椅子に座って、私はやっと安堵する。

 わざとらしく、今更汗が後から後から噴き出しては流れていく。

 汗がにじんだ皮膚は熱を奪われて冷たくなる。


 ……静かに目を閉じれば、望んでもいないのに記憶のスクリーンが浮かび上がる

 そうして、古い時代の映画のように、白黒の風景だけが一秒間に一秒ずつ進んでいく。




 舞台は中学校。湿気た教室内は、いろんな匂いが充満している。春が終わって夏に入った。プールも始まり、今から夏休みのことを話題に出す生徒もいる。教室の中は熱気に満ちて、二箇所に取り付けられた扇風機は休むことなく首を回す。甘酸っぱいグレープフルーツの匂いの制汗スプレーは人気らしく、いたるところから臭いがした。セミの鳴き声が窓から侵入して響き渡る。


 一箇所に取り付けられた扇風機が、首を振るのをやめる。

 壁際の生徒が扇風機から垂れる長い紐を引っ張ったのだ。周りの何人かの生徒が、扇風機が向けられた方向を見てにやにやと笑う。揶揄の言葉を小さく投げかけていく。

 外でセミが鳴いている。複数のセミが体を震わせ鳴き続け、薄くてパリパリした羽が広がり、重なり、ぶつかって頭に響く。

 女子生徒がいる。十四歳という年齢に見合った標準的な体形で、背中を少し丸めて席に座っている。黒く長い髪は後頭部で一つに束ねている。先程プールの授業に出ていたためにしっとりと濡れていた。

 扇風機の風がどんどん彼女の熱を奪っていった。急激に温度が下がった体はかすかに震えている。寒いのに、何故か彼女の肌は汗ばんでいた。こめかみには汗の玉が伝っている。汗を吸わず肌に貼りつくブラウスは、動きづらい上に気持ちが悪い。彼女は両手で腕を抱いて、歯をカチカチと鳴らしていた。


 カ、カ、カ。


 黒板をチョークで叩く音が聞こえる。片手に教科書を持った教師はたまに針のような視線を彼女へ送るが、すぐに気を取り直して授業を進めていく。

 彼女の目は閉じていた。頭はカク、カクと頷くように動く。ガクッ、と大きく頭が傾くたびにはっとして目を開ける。一瞬の爽快感。しかしまた目蓋が閉じ、船を漕ぐ。


 寝てはいけない。だから彼女は、持っていたシャープペンシルでノートを取るのではなく、左手の甲へと躊躇なく先を向けた。




 ――目を開けた。息を吸い込むと肺が膨らんだ。久々に呼吸というものをしたような感覚になる。


 ああ、眠くない。今は眠くない。目を閉じても怖くない。心臓が潰れるような感覚もない。


 外ではセミが鳴き続けている。これだけの大合唱だと風流もなにもない。ただの騒音だ。エアコンのおかげで窓を開けなくてもいいのがせめてもの救いだ。


 昼夜問わず、私はいつも眠かった。

 厄介なことに眠くなるのは決まって授業中や朝礼のとき。

 給食のときもそう。試験のときにだって眠ってしまった。

 そんな私が何なのかは、私自身がよく知っている。言うまでもなく私は『怠け者』なのだ。周りもそう言っている。

 授業が始まると決まって心臓がドクドクといやに大きく打ち始める。


 そうなるともう駄目だった。

 突然眠って、急に眼が覚めて。頭が冴えたと思ったらまた眠くなって。

 頭はくらくらしていて役に立たないし、汗がどばどば出てきて気持ちが悪い。時々ガクン、と急に力が抜けてシャープペンシルを握れなくなる。体を持ち上げることができなくて、焦って焦って、気が付けば汗を吸ったノートは波打っていて、揺れる視界と途切れ途切れの意識は黒板の文字を追うことも、単語一つ書くこともできなくなる。そうして、周りのからかう声はもっと大きくなる。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。起きたい。起きたい。ノートを取りたい。授業を聞きたい。眠い。寝てしまいたい。 嫌だ。みんなみたいに普通に授業を受けたい。授業に参加したい。怒られたくない。怒られたくない。動かないのは私の意識が低いから。そう、そうだ。それほど私の居眠り癖は酷いものだ。


 左手の甲を見てみると、予想通り赤く腫れてヒリヒリと痛かった。シャープペンシルだけでは起きられなかったから、薄皮が破れて血が滲み出した部分を爪でえぐるように引っ掻いてみたのだ。痛かったけれど、やっぱり起きられなかった。眠りというのは一種の麻酔だ。


 今日も同じだった。昨日も同じ。その前も。それなら明日だってきっと同じだ。小学校の頃からそうなのだから。

 眠りたくない。普通になりたい。普通の人みたいになりたい。見られたくない。もう見られたくない。

 『視線』がずっとついてくる。学校はもちろん、家を出れば必ずそれに見つかってしまう。

 信号待ちのときに見つかればもうどうすればいいか分からない。何もできない。ただプライドだけは高い私だから、もうどうしようもなくって近くにあるものを投げたり、壊したりしてその場を乗り切ろうとする。でもそうするともっと注目を集めるだけで、もっと変な奴だと思われるだけで、相手を怖がらせることはできない。ただ気持ち悪い、としか言われない。


 寝ないときもあるのだと。

 しっかりと授業を聞けるときも、ノートをとって、問いに答えることができるときもあるのだと。

 そう主張したらそれが当たり前だと言われてしまう。

 当たり前。当たり前だ。当たり前のことなのだから、ちゃんとそれをしないといけない。それをしない私が全部悪いのだ。起きようと努力している。なんて口が裂けても言えない。行動が全てを語っている。


 私は怠けたくて、意識が低くて、だから眠るのだ。怒られるのが嫌で、からかわれるのが嫌。だけどそれはきっと嘘なのだ。でも、やっぱり嫌だと思ってしまう。


 どうすればいい。どうすれば普通になれる。

 努力が足りないのだと分かってはいても、眠ってしまう。一体私は何のために学校へ通っているんだろう。これなら家に引きこもったほうがまだマシだ。

 人に迷惑をかけるくらいなら不登校を選ぶべきで、でもその勇気すらない。『不登校』をして、目立ってしまったらどうしよう。そんな風に思ってしまうから情けない。


 名前を呼ばれた。それは母の声だった。声はこちらに来るようにという内容だった。

 顔をごしごしとハンカチで拭ってから居間に行くと、母の手には水色や緑の、まだ値札が付きっぱなしの枕カバーが数枚あった。


「安眠できるんですって。どれか選びなさい」


 お母さんは私に枕カバーを見せた。学校での私の様子をすでに知っているからか、言葉に別の意味も含まれていることにも私は気がついたが、何も言わずに水色の枕カバーを選んだ。

 枕カバーの生地はスベスベしていて、タグには『クールな寝心地。快適・安眠』と書いあった。

 タグを取り払おうとしたとき、カバーの内側に小さなポケットを見つけた。その中にあった小さなカードを引き抜く。それは説明書だった。

 どうやら別売のアロマシートというものをこのポケットに入れれば、匂いでリラックスすることができるらしい。だけどそんなものは手元にない。


 ふと思いついて机の引き出しをあさると、小さな穴がいくつか空いた白いケースを取り出した。鼻を近づければふわりと匂いがした。ずっと昔に買ってもらった匂い玉だ。甘酸っぱい匂いや甘い花の香りがしたりして、嗅いでいるとうっとりとしてくる。

 ケースを開き、中にある白やピンク、オレンジの色をした匂い玉をティッシュにきっちりとくるんだ。枕カバーのポケットに仕込めば十分にその役割を果たしてくれそうな気がした。




 その日の晩。枕からのかすかな匂いにほっとした。アロマシートなんか買わなくてもなんとかなるもんだ。この分なら今日はちゃんと眠れるかもしれない。


 電気を消して目を閉じた。嫌なことは忘れて楽しいことを考えようとする。まぶたの裏に大好きな漫画のキャラクターのことを思い浮かべる。でも、それはすぐに消えて昨晩の悪夢を思い出して身が強張った。


 嫌だ。眠りたくない。

 夢を見る。怖い夢。悪夢を何度も何度も見る。いつも何か怖いものに追いかけられて、凶器を振り上げられる。私を殺そうとする。でも私は殺されなくって、私のせいで誰か死ぬ。目の前で何度も死ぬ。私の代わりに誰かが死ぬ。

 極めて残忍な方法で、極めて悲しい誤差で。

 

 血飛沫が舞う。悲鳴が響く。耳へ強い強い怨嗟の声と嘆く声が届く。私に向けられた『どうして』と語る目が、いくつも現れては消えて、現れては消える。

 夢の中でも私はどうしようもない。誰かに迷惑をかけてしまうだけの存在だ。

 赤い痕があるはずの手の甲をガリ、ともう片方の手で引っ掻いた。痛い。痛いけれど、こういうときには何故だかこの行為が役立つ。ここからすうっと何かが抜け出ていくような、気が引き締まるような、自分を保てるような。だから、きっと、もう眠れるはず。


 ……明日、私はきちんと起きられるだろうか? 

 きちんと遅刻せずに学校へ行くことが出来るだろうか?

 変なことをせず、気持ち悪いことをせず、他の子の……からかいもしない大人しくて真面目な子たちの迷惑にならずにすむだろうか? 


 いっそ、ずっと眠れなくなればいいのに。夜中を静かに過ごすのは怖いかもしれないけれど、眠ってしまう方が怖い。嫌なことが起きるのは決まって眠ってしまったときだ。

 一生を起きて過ごせるのなら、どんなにか幸せだろう。それだけで私は普通になれる。普通の女の子になれる。普通に過ごせる。教室で笑うことができて、授業を聞くことができて、体がおかしくなったりもしない。

 私は誰よりも怠けている駄目な人間なのに、どうして眠ることを怠けないのだろう。いや、人間でもないんだ。人間じゃない何かなんだ。ちゃんとした人だったらこうは決してならない。だから周りは私を色んな動物に例えて嫌うのだ。


 人間の中に紛れ込んだ勘違いしている変な生き物。私だけが何も分かっていない。気付いていない。周りの人間は気付いている。私は気持ちの悪い怪物。彼らにはそう見える。ああ、それならどうして、どうして私みたいな怪物に脳があるんだ。本能だけで生きていればいいものを。

 そうか、だからいつも夢で何かが私を殺そうとしているんだ。こんな不気味な怪物は殺さなくてはいけない。だけど私は苦しかったり痛かったりするのは嫌だから死にたくない。はは、なんてばからしい。


 一生眠りたくなんかない。そう思っていたら、頭がクラッと揺れた気がした。ぐる、と世界が動き出す。誰もいないはずなのに、何か動くものが見えてくる。これはいつものことだけど、今日は珍しい。いつもよりとても早く眠気がやってきた。

 

 本当はもう半分夢の中に入っていたのかもしれない。

 だからか、「本当に?」という声が聞こえた気がした。




 気づけばそこは森の中だった。

 ささくれだった幹が私の周りを囲み、地面は一歩足を踏み出せば、ぐじゅりと水が足の指の間にしみた。私は寝たときと同じ格好でそこに立っていた。


 何の音も聞こえない。湿った冷たい空気だけが流れている。

 夢であると分かったが、それにしてはいつもよりもリアルだった。夢ではない、なんて思える。不思議な感覚だった。そういう夢なのだろう。

 風が木々の枝を揺らして葉を鳴らす。さわさわと、どこか頭をなでられるような優しさを感じた。柔らかくひやりとした地面の感触を楽しみながらしばらく歩くと、突然開けた場所に出て、あっと声をあげた。


 湖があった。波紋一つなく、上から差し込む光できらきらと、水面が光っている。大きさは、体育館くらいだろうか?

 湖の周りには柔らかそうな芝生があった。そこに、小さな女の子が横たわっていた。

 ふっと恐ろしい想像が頭を横切って、急いで女の子に駆け寄った。


 胸は……かすかに上下している。息をしている。生きている。生きている。ほっとする。胸をなでおろす。

 三、四歳くらいだろうか。髪は短く切りそろえられ、丸い頭の形がよく分かる。傷一つない桃色のふっくらした頬にはふんわりとした産毛がかすかに見えた。まつ毛とさくらんぼ色の唇が白い肌の上で目立っていた。

 色あせた黄色のシャツに、茶色の短いズボン。足は何もはいていない。ぷにぷにしてそうな柔らかそうな足があった。

 女の子の目蓋がぴくりと動いた。眠たそうに少しうめくと、起き上がって私を見る。


「ああ、来たね。じゃあかわるね!」


 女の子が言った瞬間、世界は急激に変化した。まばたきほどの時間だった。

 周りにはさっきよりも大きくなったように見える木々があった。さっきよりもしめった土と草の臭い強い。いや、近く感じた。その地面には私の体が横たわっていた。


 はて。私が私を見ている。それは奇妙なことだ。だけど奇妙だとは何故か思わない。

 視界が低い。目の前に横たわるは、さっきまでは着ていなかったはずの中学の制服を私だ。ぴんとくる。私はさっきの女の子になっていた。正確に言えば、小さい頃の私になっていたのだ。


 すうっと思い出す。そういえば小さい頃は髪が短かった。落ち着きなく動き回るから、生傷が絶えなかった。膝や肘、手の平をすりむくのは日常茶飯事で。ああ、そのときは、とても、しみたなあ。「何が?」うん。えっとね。消毒液が、しみたんだ。絆創膏をぺたって、貼って貰うのが、うれしかった。貼りつく絆創膏が傷をおおってしまうのが、たのしくてうれしくて。

 中学生の私と目が合う。彼女――私はぎこちなく小さく笑った。細くした目はすぐに閉じられた。途端に全ての力が抜けたように、その顔から一気に色がなくなった。表情を司る筋肉が動かなくなった。すうすうと寝息が聞こえたが、肌は青白くて生気というものが感じられなかった。まるで死んでいるみたいだった。


 ぶるりと体を震わせた。

 このまま起きなくなったらどうしよう。でも、起きたら、どうしよう。それで、また眠ってしまったらどうしよう。どうしよう。どうしよう「――どうするの?」

 急に近寄りたくなくなって、横たわる私から私は後ずさりをした。子どもにしては数歩分の距離が空くと、まずは、と改めて今の小さな体を観察した。 


 手は白くてまるくてぷにぷにしていた。爪はうすくて桃色だ。かおをさわってみるとふわふわしたうぶ毛の感触があり、ニキビの存在などどこにもかんじられなかった。


 一歩、足をふみ出した。もう一歩。さらにまたいっぽ。

 ふとももをあげて、手をおおきくふって、きづけばわたしははしりだしていた。体がかるかった。

 よぶんなものがまだ体についていない時期だからとう然だ。走るのにじゃまなものは何もない。

 しめった空気はくちからきかんに入り、肺をめいっぱいふくらませる。

 ふいにつまづいて、ころぶ。とっさにだした両手の平にはちいさなスリキズがあって、ひざがいっぱいすりむいてちがたくさんにじみでていた。

 

 てもあしも、ズキズキと、ジンジンと、ヒリヒリとしていた。いたい。とてもいたい。

 わたしはいま、いたいのだ。


 ぼろりと涙がこぼれて、私は大声をあげて泣き出した。




 気づけばもう朝だった。目覚まし時計はもう止まっており、時刻は今日の遅刻を知らせていた。


 夢が終われば現実がある。楽しかったのに、一気に嫌なことを思い出させる。

 不安がまた胸の中でしこりになってその存在を知らしめて、胃のあたりがむかついてきて、お腹も痛くなってくる。しまいには腸がねじ切られるように痛む。


 うずくまって、今の時刻をぼうっとした頭の中になんとか叩きこむ。必死に叩きこんでから、支度をして家を出るまでの時間を計算する。計算するといっても、そこから出てきた数分刻みのスケジュールは憧れにも似た希望的な幻想でしかない。どうせ二倍、三倍時間がかかるのだ。どうやっても私はのろい。怠け者だから。


 今日もきっと同じ。嫌なことがある。息を詰め、ぜんまい仕掛けみたいな自分の体を呪いながら、ブリキのおもちゃよろしくぎくしゃく動く。すると恭しく盛大に慇懃無礼な拍手の嵐が降ってくる。

 なのに私は何故か今夜もまたあの夢を見られると確信して、どこか安心していた。確証もないのに、おかしなことだ。


 時間は止まらない。時間は過ぎる。

 怠け者で何の役にも立たず、何もできない自分ではあるが、それだけは理解できるし、理解できた。そこにいるだけで時が過ぎるだなんて、なんて素晴らしいことだろう。ただその場をやり過ごしさえすればいいのだから。




 私の勘通り、あの不思議な夢はまた見ることができた。それも毎日。

 小さい私が中学生の今の私と代わってくれて、私は小さい私の体を思いきり使うことができる。体は軽いし、なにより常に胸の内にあった大きな不安がそのときだけはすっかりなくなる。

 身軽な体を使って思いきり遊ぶことができた。大声を出したり、走ったり、跳ねたりと、それだけで楽しく思えた。けれど湖を泳ぐことだけはできなかった。

 湖は底が見えるくらい透明できれいだったが、湖の中心に行くにつれて深くなっているらしく、奥は暗くてとてもじゃないが泳ぐ気にはなれなかった。


 夢が覚めてしまうと、いつも不安のどん底に落とされた。眠るのが怖い。だけど今は夢を楽しみにしている。

 矛盾していた。夢しか楽しみがない。これが良いことなのかどうなのか、私には分からなかった。

 その日も学校のチャイムが鳴って、HRも終わった。やっと今日も一日が終わった。

 楽しそうにおしゃべりをしながら部活へと向かう生徒たちをやり過ごし、一歩一歩家への帰路を歩いた。

 だけど今日は不運だった。いつも通る道に、よくからかってくる連中が自販機の前でたむろしていたのだ。


「よお」


 私に気がつくと、連中の一人が空き缶を私の足元に投げ付けた。こぼれ出た小さなしぶきが私の前に細い線を引いた。


「なー、お前なんで寝んの?」


「よく眠れてホントうらやましいわ~」


「夜何時に寝てんだよ」


 にやにやしながら吐き出される言葉を無視して、いつも通る道を今日は左へまがった。遠回りになるが、あいつらの横を通るよりまだマシだった。

 うるさい声をやりすごし歩いていくと、今度は子どもの、だがさっきのやつらと同類の声が聞こえてきた。


「しろぶたー、お前なんで寝んだよー」


 赤いランドセルを背負った女の子の後ろに三人の男の子がいた。


 三年生くらいだろうか。私が早歩きで男の子たちの前に立ち、睨みつけると蜘蛛の子を散らすようにさっさと逃げて行った。所詮、中学生が立ちはだかるくらいで怖気づくようなものなのだ。

 ふと見ると、女の子が私を見ていた。白くてふっくらした頬に、涙が伝っていた。ずっと泣いていたのか、目元がとても赤かった。


「あ、ありがとう、おねえちゃん」


 女の子は慌てて涙をぬぐった。


「でも、ごめんなさい。あたしが悪いの。あたしはずっとなまけものだから、みんなに迷惑かけてるから……ごめんね、ありがとう」


「しんどいよね」


 咄嗟に声に出ていた。女の子がはっと顔をあげた。

 私は一体何を言い出すんだろう。だけど、さっきこの子が言われていたセリフは、私も受けたことがあるのだ。


「起きようとしても、起きられないんだよね。努力してるよね。頑張ってるよね。でも、眠っちゃうんだよね。私は、知ってるよ」


 早口でまくしたてる。怒っているように聞こえたかもしれない。だけど言わなきゃ気が済まなかった。


「あり、が、とう」


 はっと女の子の顔を見ると、また涙を流していた。ぼろぼろと涙は地面に落ちて行った。だけど、女の子は笑顔だった。くしゃくしゃな顔になっていた。


「ありがとう」


 もう一度言うと、女の子は走って行ってしまった。

 嬉しそうだったと思う。ほっとしていたと思う。どうしてだろう。それは女の子が、という意味のはずなのに。





 その日の晩、また例の夢を見た。


 小さな体になった私は、思い切って湖に飛び込んだ。


 怖かったけれど、中心に向かって潜っていった。途中で坂になった地面に足が付いた。体は浮かぶことなく、そのままゆっくりと歩いて行くことができた。


 歩き続けた。底が暗くなっても歩き続けた。どんどん湖の深いところまで行って、視界の全てが沈んでいった。


 最後に暗い底についた。すると、自分の足の先がくっきりと見えて、驚いた。


 私はもう中学生の自分に戻っていた。




 目を覚ますと、まず枕カバーを取り外して中から匂い玉を取った。しかしティッシュにくるまれていたはずの匂い玉は見つからなかった。不思議とそれに納得している自分がいた。


 今日もまた大嫌いな学校へ向かった。嫌な一日が終わると、そのまま病院に行った。小さい頃からお世話になっているお医者さんがそこにいる。


 心臓がうるさいくらいドキドキしていた。親に内緒で保険証とお金を持ってきていた。


 先生に全部話した。学校でのこと。私が、どうしようもなく、どこでも眠ってしまうこと。怖かった。だけど、これは本当のことなんだ。私はもう私のことを信じるんだ。


 先生は全部聞いて、そして考えられる病名と、もう一つ言った。


 今までつらかったね、と。




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