雲間からこぼれ落ちたもの
澤田慎梧
雲間からこぼれ落ちたもの
――その日も、いつも通りの朝が来た。
空には薄い雲が立ち込め、陽の光はその向こう側から弱々しく届くのみ。
ここが東南アジアであることを忘れそうな、初冬のような肌寒さを感じながら、洋介はモソモソと寝袋から這い出した。
「本日も見事な曇天模様。……ああ、死ぬにはいい日和だ」
ここ数ヶ月ですっかり口癖となってしまったその言葉を吐きながら、ゆっくり伸びをする。連日の戦いがこたえたのか、体のあちこちからバキバキと嫌な音がした。
洋介も既に立派なアラフォーだ。もう体の無理がきく年齢ではない。それでも、生きている限りは戦い続けなければならない――「奴ら」と。
ある日、突然に地球は「宇宙人」――いわゆる「地球外知的生命体」の侵略を受けた。
宣戦布告も無い全くの奇襲に、各国は連携することも出来ぬまま各個撃破され……地球上の主要都市は、僅か数日の間に「奴ら」に占拠されてしまったのだ。
平和だった日本も例外ではない。
宇宙人の衛星軌道兵器から投下される人工隕石が日本中に降り注ぎ、多くの街が焦土と化したという。おびただしい数の人々が、悲鳴をあげる間もなく殺されたらしい。
洋介はその時、海外出張で東南アジアへと赴いていて難を逃れていた。
――僅かに残されていた衛星回線経由で送られてくる、故国が焼かれる阿鼻叫喚の地獄絵図を、ただ黙って見ているしかなかった、とも言える。
既に現地との連絡手段も断たれ、日本に残してきた妻子や親類の安否を知る方法も無くなっていた――。
「――やあ、洋介。今朝も早起きだね」
「おはようビル。見てくれ、今朝もクソッタレな天気模様だぜ――全く、死ぬにはいい日和だ」
「またそんなこと言って……。洋介は今や『レジスタンス』に欠かせない人材なんだ! 生き残ってくれないと皆が困るよ?」
相棒のビルが起きてきたので、いつものような挨拶を交わし合う。
ビルはアメリカ出身の白人だ。洋介と同じく出張中に故国を焼かれ、東南アジアへと取り残されていた。歳も洋介と近い。
洋介とは、宇宙人の襲撃から逃げ惑う中で偶然に知り合い、意気投合した仲だった。
「レジスタンス」に洋介を誘ってくれたのもビルだ。
――主要都市を占拠された地球人類だったが、完全に敗北したわけではなかった。
とある国家が隠し持っていた虎の子のロケットで、宇宙人の衛星軌道兵器の撃破に成功したのを皮切りに、人類の反撃が開始された。
残った航空戦力がかき集められ、宇宙人の戦闘機――残念ながらUFOではなく、極めて工学的なデザインのステルス機――に挑み、相打ちになりながらも、その殆どを撃破することに成功していた。
多くの犠牲を払いつつも、人類の中には「これで宇宙人を撃退できるかもしれない」という、僅かな希望が生まれ始めていた。だが、その希望を打ち砕くかのように、宇宙人は二つの恐るべき兵器を使用し始めた。
一つは気象兵器。どのような原理かまでは不明だが、この兵器により気候が大規模に変動し、地球上のほぼ全ての空が薄い雲に覆われてしまった。
日照不足により多くの動植物が死に絶え、地球規模の気温の低下により、南の島でも初冬のような寒さが続くようになった。
もう一つは、無人殺戮兵器。宇宙人は占拠していた生産インフラと収奪した地球産の技術を流用し、自動で人類のみを殺す大型ドローン兵器を生み出した。
大量生産された殺人ドローンは、まるで
殺人ドローンは、一体一体はそれほど強力ではないが、何分数が多い。生き残りの軍人たちだけでは、対抗できる数ではなかった。
そこで結成されたのが、民間の有志による「対殺人ドローン部隊」だった。部隊は、第二次大戦時にナチスに抵抗した人々にあやかって「レジスタンス」と名付けられた――。
「今まで銃を扱ったこともなかったのに、今や東南アジアのレジスタンス一番の
「やめてくれよ。それを言ったら、軍隊経験があるビルの方がよっぽどレジスタンスの役に立ってるだろ。知識も経験もあるし、部隊を率いることも出来れば作戦も立てられる。俺はただ、目についた殺人ドローンを撃ち落としているだけさ」
謙遜ではなく本音を語った洋介だったが、ビルは「またまた~。日本人お得意の謙虚かい?」等と言って茶化してくる。
……実際、ビルの言う通り、周囲から見れば洋介はあまりにも謙虚だった。ほんの少し前まで初心者だったにもかかわらず、ここ数ヶ月で洋介が撃破した殺人ドローンの数は、既に三桁を数える。並の腕前ではない。
「俺がドローンを一体撃ち落としたところで、『奴ら』の工場じゃその数倍のペースで新たなドローンが製造されてるんだ。焼け石に水さ」
洋介の言葉に、ビルが思わず苦笑いを浮かべる。それは確かに、洋介の言う通りだった。
レジスタンスは着実に戦果をあげていたが、宇宙人のドローン生産能力はそれを上回る。早々に生産施設を破壊しなければ、いずれは物量で圧倒されることになるだろう。
だが、殆どの装備が銃などの携行兵器であり、戦車や航空戦力を持たないレジスタンスには、生産施設を直接潰すだけの力はないのだ。
「各地で主要都市の奪還作戦やドローン工場の襲撃作戦が進んでいるとは聞いてるが、未だ『成功した』って話は聞かない。……なあ、ビル。俺達は……人類は、本当に生き残れるのか?」
洋介の瞳は虚ろであった。「そう言えば、彼の笑った顔をここしばらく見ていない」と、ビルはふと気付く。出会った頃は、よく笑う男だったのに、と。
彼が毎朝「死ぬにはいい日和だ」と呟くようになったのは、一体いつの頃からだったろうか?
「……洋介。前にも話したと思うけど、僕の妻子も安否不明のままなんだ。
「ビル……」
「でもね、洋介。それでも僕は妻も息子も生きてるって信じてるんだ! だって……だってそうでも思わないと……僕は……」
目頭を押さえ始めたビルの姿を見て、洋介はようやく自分の浅はかさを思い知った。
自分とほぼ同じ境遇のビルだって、毎日妻子のことを思わない日は無かっただろう。「もう死んでいるんじゃ?」と、うなされない日は無かっただろう。人類がこのまま生き残れるのか、疑問に思わなかった日はなかっただろう。
それでも、ビルは今まで決して弱音を吐かなかった。洋介を、仲間達を勇気付け、そして勇敢に戦っていた。
――そのビルを泣かせてしまった。自分の弱気の虫が、彼の空元気を台無しにしてしまったのだ。
「ビル……俺は……」
謝るべき言葉も、慰めるべき言葉も、洋介には浮かばない。
妻子も、親しい人達も皆死んでしまったのだと早々に割り切ってしまった薄情な洋介には、ビルのような優しく強い人間にかけるべき言葉が見つからない。
戦いに身を投じながらも、「どうせなら流れ弾で楽に死にたい」と願う、弱い洋介には、何も……。
――そうして、二人はそれ以上ろくに言葉もかわさぬまま、その日の任務へと赴くことになった。
ビルの指示や判断はいつもより精細さを欠き、洋介の百発百中の狙撃も、この日は八割程度の命中率。朝の出来事が二人の中で尾を引いているのは、明らかだった。
やがて――。
「ビル隊長! 駄目です、周囲を完璧に囲まれています!」
隊員の一人が、絶望に満ちた叫びを上げた。
――今、洋介達がいるのは廃墟となった高層マンションの一室だ。ビルはここを拠点として、殺人ドローンを各個撃破しようと考えたのだが……それはドローン側の仕掛けた罠であった。
ビル達が建物へ侵入した直後、姿を隠していた大量のドローンが現れ、マンションの周囲をぐるりと囲んでしまったのだ。
「くっ、こんな凡ミスを……!」
悔しさに歯ぎしりするビルをよそに、ドローン達はその包囲網をじわじわと狭めつつあった。
あと数分もすれば、窓という窓から殺人ドローンが大挙して押し寄せ、ビル達は皆殺しにされるだろう。
「僕のせいだ……すまん、みんな!」
「……いいや、違うぞビル。お前は悪くない。悪いのは――」
悔しがるビルの肩に手を置き、そんな言葉をかけると、洋介は一人愛用の狙撃銃を構え、潜んでいる部屋の外へと向かい始めた。
「よ、洋介!? どこへ行くつもりだい?」
「……俺が囮になりつつ、突破口を開く。ビル達はそこからなんとか脱出してくれ」
「なっ!? 一人でなんて無茶だ! 僕も――」
「お前がいなくなったら、誰が部隊の皆をまとめるんだ。……大丈夫、俺は狙撃手だ。単独行動には慣れている――!」
自分の名を呼ぶビルの声を振り切りつつ、洋介は駆けた。
階段を駆け上がりつつ、まずはチラリと姿を見せたドローンを狙撃――命中。途端、その音を聞きつけた他のドローン達が、洋介のいる階段の付近へと集まり始める。
洋介はそのまま、ビル達が潜んでいる部屋から数階上のフロアへ陣取ると、細かく移動と狙撃を繰り返し、ドローン達の動きを牽制し始めた。
一体、また一体とテンポよく撃墜していくが……一向に数が減る様子はない。殺人ドローンの総数は、間違いなく洋介の残弾よりも多いだろう。
(――全く。死ぬにはいい日和……だ!)
建物内に侵入してきたドローン数体を、すかさず腰のホルスターから抜いた拳銃で撃ち抜く。
近距離になると、小回りがきかない狙撃銃は不利だ。威力は格段に落ちるが、拳銃の方が取り回しがいい。
自分がいる階にドローンが集中してきたと見るやいなや、洋介は再び駆け出し、更に上の階へと向かい始めた。少しでも、ビル達から引き離さなければならない。
――そのまま、一体何階くらいを駆け上がり、何体くらいのドローンを倒しただろうか? 気付けば洋介は、マンションの屋上まで辿り着いていた。
狙撃銃も拳銃ももうすぐ弾切れ。そして洋介の周囲には……おびただしい数の殺人ドローンがホバリングの姿勢をとって、彼へと銃口を向けていた。
殺人ドローンに搭載されている銃は、反動を抑える為か、口径も小さく威力は総じて低い。ピンポイントで急所を撃ち抜かれなければ、一発や二発では即死には至らない。
――逆に言えば、撃たれても簡単には死ねない、ということだ。何十発もの銃弾を撃ち込まれるという地獄の苦しみを味わいながら、ゆっくりと死んでいくことになる。
すぐには撃ってこない所を見るに、宇宙人はドローンに「ただ殺す」だけではなく、「苦しめ恐怖を与えながら殺す」という命令でも与えているのかも知れなかった。
――空を見上げる。
上空は相変わらず一面の薄い雲。時刻は既に昼を回った辺りのはずだが、太陽はその向こう側にうっすらとその姿を見せているだけだ。
「ああ……。『死ぬにはいい日和だ』だなんて、我ながら強がりが過ぎたな……。せめて、太陽をもう一度……」
最後に、そんな言葉を呟きながら洋介はそっと目を閉じた。
それを待っていたかのように、ドローン達が洋介との距離を詰め、その銃口が火を吹こうとした――その時だった。
「洋介ぇ! 伏せろぉぉぉ!!」
ふいに聞こえたその叫び声に、洋介が反射的に床へと倒れ込む。
――その刹那、何重もの機関銃の音が辺りに響き、鈍い音と共に何かが床へと次々に落下した。
洋介がそっと目を開けると、屋上の床には撃破されたドローン達が虚ろな
次に、階段の方へと目を向ける。するとそこには――。
「ビル!? 他の皆も……!」
「皆、洋介を見捨てられないってさ! ほらほら、ジャンジャン撃て撃て! 一体も逃すな!」
『サー! イエッサー!!』
ビル達は、洋介の周囲に集まっていたドローンを次々と撃破していった。
――洋介はそこまで考えていなかったのだが、彼が囮となることで、結果としてドローン達を一箇所に集めることに成功していたのだ。
周囲をぐるりと囲まれた状態では勝算が無かったが、一箇所に固まってくれたのなら、後は火力勝負である。ビル達は、そこへ賭けたのだ。
――そして数分後。
マンションを取り囲んでいた殺人ドローンの群れは、一体も余すこと無く撃破されていた。
ビル達は、絶体絶命のピンチから一転、一人の犠牲も出さずに勝利をおさめることに成功したのだ。
「やあ、洋介。……死に損なったね?」
「……全くだ。まあ……助かったよ、ビル。皆も」
立ち上がりながら苦笑する洋介の肩を、ビルが、隊員達がポンポンと叩いていく。その顔に浮かんでいるのは満面の笑み。誰もが心底、洋介の無事を喜んでいるのだ。
――どうやら、自分は自分で考えていたよりも周囲に大事にされていたらしい。洋介がようやく、そんな当たり前のことに気付いた、その時。
――ほのかに暖かい一陣の風が、マンションの屋上を通り抜けていった。
そして――。
『あっ』
洋介が、ビルが、隊員達が一斉に驚きの声を上げながら、空を仰ぎ見た。
そこには、所々に僅かだが雲の切れ間が出来ており、そこからまばゆいまでの陽光が差しこんできたのだ。
そしてその陽光は、瞬く間に周囲にぬくもりを与え始めていた。まるで、寒い冬の中にふと訪れた、暖かな日差しのように。
「ああ……まるで小春日和だな」
「ん? なんだい、そのコハルビヨリってのは?」
洋介が思わずこぼしたその聞き慣れぬ言葉に、ビルが尋ねる。
「小春日和ってのは俺の国の言葉で、初冬に不意に訪れる暖かな晴天を指すんだ。ヨーロッパじゃ『老婦人の夏』、アメリカだと確か『インディアン・サマー』とか言ったかな?」
「ああ! インディアン・サマーなら分かるよ! 本格的に冬が始まる前の、暖かで穏やかな日だね」
――そのまましばらくの間、雲間から差す陽光を眩しそうに眺めていた洋介達だったが、雲の切れ間はすぐに閉じてしまい、また元のどんよりとした空と肌寒い風が戻ってきてしまった。陽の光が差したのが、ほんの一時だけの奇跡であったかのように。
だが――。
「今まで、雲に切れ間が出来たことなんてなかった。宇宙人の気象兵器も、永遠に効果が続くものじゃないのかもしれないね!」
「ああ……。これから、まだ冬が続くんだろうが……それでもきっと、終わらない冬なんかじゃないのかもしれないな。冬の後にはきっと……春が来る」
ビルと二人語らいながら、洋介はもう「死ぬにはいい日和だ」等と間違っても口にはしまいと、心の中で誓っていた。
必ず仲間達と生き延びて、小春日和ではない、本当の春の日和を取り戻すのだ、と――。
(了)
雲間からこぼれ落ちたもの 澤田慎梧 @sumigoro
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