血気の勇を戒むること

 これで最後になります。

 最後に少し神秘主義的な方向に行ってしまいますが、ご容赦ください。


 とても人間とは思えないほど強靭であった武道家が、晩年には病に苦しんでいたりする事が多い事を、以前から気になっていました。

 若いうちから身体に常人とは異なるレベルの負荷をかけているから神経や肉体がボロボロになってしまうのだろうか、そう考えてました。

 これから述べるのは、あくまでも私個人の意見であります。このような場所で述べるべきでは無いかもしれません。不快に思われる方がいるようでしたら申し訳ありません。


 最初に、私の警備員としての体験談を話します。

 8年勤めていたビルでの事です。

 ある時人員補充で60歳の警備員がやってきました。大手証券会社で長年警備員として勤務していたというその人物は、私の目で見ても基本が全くできていませんでした。

 そして何より、パソコンの操作ができないのです。

 そのビルでは重要な機械設備が何種類もあり、入館手続きもその分の数があり、その都度違うパソコンで入館処理をする必要がありました。

 彼はこれを覚えられず、2週間の研修が終了した次の日に、キレて勝手に荷物持って帰ってしまったのです。バイトの学生じゃないんだからと、その時はみな呆れてしまいました。

 その数年後、元自衛官だらけの部署に転勤して「使えないオジサン」化した私は、あの時の60歳の警備員の事をすぐに思い出して「もっと優しく丁寧に指導してやればよかった」と反省しました。

 自分が得意とする環境に長くいると、自分でも知らないうちに傲慢さが身についてしまうのだと実感しました。


 身体が弱く運動神経も鈍かった私は、自分で言うのも変ですが、空手も柔道も子供に分かりやすく教えるのは得意でした。自分が出来なかったから、その子がどこでつまずいているのかがよく分かりましたから。


 人はこの世に生まれてくる前に、あらかじめ自分の人生のスケジュールを組んでいるのかもしれません。

 使命を持ってこの世にログインし、今生こんじょうをログアウトしてもまた使命を果たすために来世らいせでログインしてくるのであれば、始めから次を見越してプログラムを組んでいる可能性はあります。


 来世でも今生と同様に、数百数千数万の人を指導し、運命を変え、命を救うという使命がその人にあるとすれば、自分の人生の最後に「自分の思い通りに動かない自分の身体を背負う」苦行を課すようプログラムを組んで生まれてくるのではないでしょうか。

 自分が傲慢にならず、自分より遥かに下のレベルの人間も見捨てず、その人の気持ちを理解し否定せずに叱咤激励し、ある水準まで引き上げる。そのためにも武術指導者の多くはこれまでの人生で全く経験していない「不自由な身体で過ごす」事を最後に行い、自分の精神に焼き入れをする事で、今生での修行を完成させて次へ向かうのではないでしょうか。


 骨と皮だけになった市原先生のご遺体を目の当たりにしてからずっと、私にはそう感じられてならないのです。


 神秘主義のついでですが、また私個人の話を書きます。

 実は私の母方の血筋は霊能者の家系でして、代々長女にその能力が受け継がれています。亡くなった祖母も、母の姉つまり私の叔母も、叔母の娘つまり私の従姉妹もその能力があります。叔母は高齢ですが現役で霊媒やってまして、従姉妹は看護師ですがやはり「見えてしまう」そうです。

 私は母と同様、あまりその手の方面には縁がなかったのですが、市原先生が亡くなってから3度、先生の声が聞こえました。

 最初は「2018年の父の日のこと その2」でも書いた、訃報を聞いたその日。その時は偶然かなと思いましたが、このエッセイを書き進めていたら2度目が起きました。

 剛柔兼ね備えた金澤弘和宗家と市原先生の対比で「空手の剛の部分だけを集めて煮詰めて固めて人の形にしたような」という表現を思いついた瞬間、「うっせーよ!」という苦笑混じりの声が聞こえてきました。その時は制服着て立哨中だったのですが慌ててしまい、あやうく挙動不審な行動をとってしまうところでした、警備員なのに。

 そして、このエッセイも最後が近づいてきた時に3度目が起きました。自宅で入浴中の時です。

 私がこのような形で市原先生の事を書いて残す、これも供養だよなあ、と思ったら「供養とかいいからさっさと書け!お前だってやる事あるだろ!」という、明らかに自分とは異質な思考が脳内に流れ込んできてこれまたびっくりした。

 このエッセイをリアルタイムで読んでる人は、後半いきなり更新速度が上がったのに気づかれたと思いますが、これが理由です。

 だってヒドイんですよ。せっかくこうやって書いて記録に残してあげているのに怒られるんですから。

 なんて言うと「頼んでない!」と雷が落ちるでしょうから言わないでおきます。


 こうして書いてきましたが、ホント大変な人でした。

 人格完成にはほど遠いし、誠と言ったら新選組だし、努力は気合いで何とかなると思ってるし、礼儀は押忍で通していたし、血気の勇を知らしめることを本分にしていたような人でした。


 こんな人が会社の上司だったり肉親だったりしたら私は全力で逃げ出します。実際空手の稽古だって週に2回でお腹いっぱいだったし、いろいろと困った人だし、付き合うと面倒だし、協調性はカケラも無いし、理不尽大魔王だったし……。


 それでも、それでも、いつまでも元気でいて欲しかった。


 最後に、空手というメソッドと道場という空間の有益性は、もっと世間に知られるべきと思います。

 私のようなひ弱だった人間には、生き物が本来持っているくせに身体の奥底で眠りこけている生命力と闘争本能を、往復ビンタ喰らわして尻も蹴り飛ばして目覚めさせてくれます。自分でも想像もしていなかったところまで肉体と精神を鍛え上げてくれます。

 そして市原先生のような、生命力と闘争本能が野生動物レベルに旺盛な人に関しては、より強く恐ろしい存在が型にはめて厳しく鍛える事で、そのままだと反社会的な存在になってしまう面々に社会性を取り戻す役割を果たしてくれます。


 実際、私の人生は、空手以前と空手以後で全く変わりました。

 なんたって2020年9月現在、私は警備会社を辞めて友人「Y」の会社で働いているくらいですから。このエッセイを書き始めた時には想像もしてなかった。


 全てはあの日あの時、四谷の総本部道場での出会いがあったからです。


 次はいつどこになるか分かりませんが、必ず見つけますのでご指導願います。

 そしてまたみんなで一緒に汗を流して酒を飲みましょう。押忍!

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