魔神殺しよ時渡れ(参)


 何度、殺されたであろうか。


 ――鋭い爪に体を引き裂かれ。

 ――長く伸びた牙で喉元を食い破られ。

 ――壁に打ちつけられた衝撃で頭がかち割られ・・・・・た。



 その度に澪丸は「時渡り」によってよみがえり、漆黒の鬼へと刃を向けた。その覇気はおさまることを知らず、それどころか、体に傷が生まれるほどに、少年はより洗練された剣技を見せる。死地において鋭敏に研ぎ澄まされた澪丸の「鬼界天鞘流」は、いままさに、漆黒の鬼の首へと届きつつあった。



「……ッ!! 小賢こざかしい……人間、ごときがッ!!」


 澪丸の踏み込みに対して後退する動きを見せながら、「厭土」が怒りをあらわにする。鎧のように固い皮膚には、数十もの刀傷が見てとれた。それはすべて、長い長い戦いの中で、澪丸が彼に負わせたものである。少年が血反吐をはく思いで身につけてきた技が、いま、「魔神」に血を流させているのであった。


「――おおおっ!!」


 追撃するように宝刀を振りかぶった澪丸の体には、漆黒の鬼よりも多くの傷跡があった。いくら「時渡り」の力が味方をしているとはいえ、さかのぼることができるのは、死の直前までである。それまでに負った傷はそのまま残り、確実に少年の体力を削っていた。


 それでも――体の内から湧き上がる闘志をかてにして、澪丸は戦う。


 己のすべてを一太刀ひとたちに込めて。

 譲れないものを、胸に秘めて。



 後方へ下がった鬼へ追撃を加えるようにして、澪丸は宝刀を横薙ぎに払った。


 「鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう」、四の型――水切美月みずきりみづき


 半月を描いた刃の軌道、その先端が、「厭土」の腹部と重なった。鬼の腹からすさまじい勢いで青い血が噴き出し、すでに無数の血痕のついた赤い絨毯に血だまりが生まれる。


(とらえた……!!)


 たしかな手ごたえを感じて、澪丸は心の内で思う。これまで「厭土」に与えてきた傷は、致命傷というにはどれも浅かった。だが、いまの「水切美月みずきりみづき」は、間違いなく、皮膚の薄い鬼の腹に当たり――その臓物ぞうもつの一部をも傷つけた感触があったのだ。流れ出る血の量が、なによりもそれを物語ものがたっている。


「ぐ、おおっ……!?」


 踊るように、漆黒の鬼の足取りが揺れる。その美しい顔は苦痛にゆがみ、牙のあいだから血が噴き出した。


(――好機!!)


 その隙を逃さず、澪丸はさらなる追撃をはかる。



 だが――そのとき、苦悶の表情を浮かべる「厭土」の目が見開かれ、その口から咆哮が溢れだした。


「オ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」


 空気を震えさせるほどの叫びが、広い部屋じゅうに反響する。その音が残響に変わる前に、漆黒の鬼は弾かれたようにして澪丸へと飛びかかった。


「人間……人間……人間!! どうしておまえたちは、こうも我にあだをなす!? 弱い……あまりにも弱い存在であるはずの、おまえたちが!!」


 半狂乱になりながら、鬼の王は叫ぶ。彼が振りぬいた絶爪が、瑠璃の刃に衝突した。


「馬鹿者だった……! やはり、我の両親はうつけ・・・であった! このような忌まわしい種族に歩み寄り、そこから恩恵を得ようとするなど……! やはり、人間は、我が滅ぼさねばならぬ!! 骨も残さず、ちりにしなければならぬ!!」


 血走った目で澪丸を睨みながら、「厭土」は恐るべきはやさで連撃を繰り出す。黒い残像が絶え間なく走り、澪丸を襲った。


 だが、冷静さを欠き、力に任せて振るうその爪が、澪丸の体をとらえることはない。その事実にさらなる怒りを覚えたように、漆黒の鬼は右手を振り上げるが――生まれた隙をかいくぐるようにして閃いた澪丸の刃が、鬼の胸元を斬り裂いた。


 自らの体から噴き出る青い血を、まるで他人事のように「厭土」は見つめて……そこでようやく、我にかえったかのごとき蒼白な顔で、美貌の鬼は澪丸のほうを向いた。


「……なぜだ」


 絞り出されるような、声。


「我は、いずれこの世界をも手中におさめるはずの存在だ。それが、なぜ……たかが人間ひとりに、こうも苦戦する? 我に喰われるだけの種族が……どうして、我をここまで追い詰める?」


 もはや問答は無用――と考えた澪丸は、譫言うわごとのように呟く鬼に向けて、宝刀を構えたままにじり寄る。だが、そんな少年の動きを見ても、「厭土」は身じろぎひとつしなかった。ただ、魂が抜けてしまったかのように、その目は虚空を見つめている。


「天は……我に、覇者の器がないと告げているのか? 気高き鬼である我が、人間ごときに敗北する運命にあると……そう言いたいというのか?」


 澪丸から見て、いまの「厭土」はあまりにも無防備であった。ともすれば、これもまた澪丸の意識を誘導するための「罠」ではないかと考えられたが――どうにも、この鬼がそこまでの策を練っているようには見えなかった。じりじりと距離を詰めて、少年は間合いに鬼をとらえる。



「――――そうか」


 だが、そのとき。


 ふいに、漆黒の鬼はなにかに気づいたように顔を上げる。その瞳はいまだ宙を見つめていたが、その口元はいびつにゆがんでいた。


「天が……我を、それしきの存在だと見做みなすのならば。我のほうから、天を見放せば良いだけの話だ」


 ぴり、という、なにか予感めいたものが、澪丸の背筋に走った。


 地震の前兆をとらえた獣のように、澪丸の体がこわばる。これから起こるであろう現象が、まぎれもなく、そしてどうしようもなく不吉なものであると、少年は察知して――それ・・が起こるまえに、なんとしてでもこの鬼を殺すべく、澪丸は宝刀を振り上げた。


 だが。



 少し、遅かった。



 突如として、世界を覆いつくすほどの閃光が走った。刹那の隙もあけずにとどろいたのは、大地を割るかのごとき轟音。


 激しい衝撃とともに、澪丸の体が後方へと吹き飛ばされる。なにが起きたか分からぬままに、少年の体が床を跳ね、数度回ったあとにようやく止まった。


(――――っ、なんだ!?)

 

 混乱する頭で周囲を見回し、焼け焦げたように崩れ落ちた天井を視界に入れてはじめて、澪丸はこの楼閣に雷が落ちたのだということを認識する。ほかに高い建物がない「鬼ヶ島」において、たしかに、この塔は雷にとってうってつけの着地点だろう。むしろ、あれほど雷が鳴って、これまでここに落ちなかったのが不思議なくらいであった。


 だが――問題は、そこではない。


 落雷の寸前、澪丸が感じた「予感」とは、雷の脅威などではなかった。そう、それ・・は、いままさに、雷によって火の手が生まれた部屋の奥、燃えさかる炎のなかから、こちらに向かって歩を進めていた。


 その者からほとばしるのは、この世のものとは思えないほどの、息が詰まるような威圧の気配。



『――天デスラモ、我ヲ殺セヌ』



 雷の直撃を受けてなお、その体には傷ひとつなかった。澪丸がつけたはずの刀傷ですらも、いつの間にか跡形もなくふさがっている。


 闇が形を為したかのように黒く、恐ろしい――三本の角・・・・を持った、異形の鬼。


 鎧のように体を覆っていた黒い鱗は、さらにその威容いようを増し、荘厳な建築の屋根瓦やねがわらのように宙に向かって突き出ている。そこから伸びる四肢の先には、そのひとつひとつが名刀をはるかにしのぐような鋭さを持った爪が生えそろっていた。


 人間の女ですらも惚れさせるほどに美しかったその顔は、もはや、体と同じように硬質な鱗で覆われ、その表情を読み取ることができない。ただ、樹木のうろのようにくぼんだ場所には、溢れんばかりの憎悪をたたえた真紅の双眸そうぼうが見えた。


 その、暗く、くらい光が、澪丸をとらえて――地獄の底から漏れ出てくるような言葉を、語る。



『我ハ、王』



 澪丸へと、絶望の瘴気を運びながら。




『天ヲイトイ、世界ヲ喰ラウ……鬼ノ、王ダ』



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