「捻切猩々」の五里丸
血よりも赤い楼閣の中には、数々の異形の姿があった。蛙のような姿をしたもの、長い手足を持ったもの、虫のように羽ばたくもの。そのどれもが恐ろしい邪気を放ちながら、ひとりの女を取り囲んでいる。
「……おうおう、雅々奈ちゃんモテモテじゃねーの。けどな、中途半端なやつはオコトワリだぜ」
黒髪の女は、顔に野蛮な笑みを張りつけて、嬉しそうに呟く。そうして、肩に担いだ金棒の先を、目の前にいる魔族――五里丸へと突きつけた。
「雅々奈ちゃんは、おめえと
『ふむ』
金色の鎧を纏った大猩猩は、そのいかめしい面に思案の表情を浮かべたあと、野太い声を発する。
『本来であれば、オレの役割はここの護衛……
だが、と言葉を加えて、五里丸もまた、嬉しそうな笑みを浮かべる。
『こんな状況だというのに……否、こんな状況だからこそ、
「……」
『だから――乗った。いいぜ、一体一の勝負……受けてたとう』
そう告げて、五里丸は周囲を囲む魔族たちに対し、「退がれ」という手振りをする。
低く唸りを上げていた恐ろしい魔族たちが、それだけで部屋の端のほうへと引きさがっていった。
その様子を見て、雅々奈が尋ねる。
「いいのか? おまる野郎を追わなくても」
『あんたがそんな心配をしてどうする。……オレがどんな独断を下しても、どんな失態を犯しても、大将の勝ちは揺るがねぇよ。そして、オレは大将が勝ちさえすればいい。――あんたこそ、いいのかい? あの刀使いを先に行かせちまって。この先にゃ、大将に辿り着くまでに、数えきれねぇほどの魔族がいるぞ?』
「大丈夫だ。あの野郎はたぶん、千くらいまでなら数を知ってる。数えきれなくなる心配はねぇ」
ぴり、と空気が張りつめて、松明の火が揺れる。
金棒を持った、野性味の溢れる黒髪の女。
金色の甲冑に身を包んだ、大猩猩の魔族。
両者はそれぞれ、思い思いの構えをとって――
『オレは、五里丸! 「
「知らねぇ!
どぉん!
地を蹴った両者は、楼閣全体が揺れるかのような衝撃と共に、互いの武器をぶつけ合った。
ぎり、ぎりと、金棒と拳が拮抗する。まさに規格外の「力」と「力」が、その一点でせめぎ合っていた。
「うをおおおおおっ!」
『せええええええっ!』
覇気のこもった雄叫びに、空気が震える。雅々奈と五里丸を中心として、円状の波動が生まれ――周囲を取り囲んで両者の戦いを見守っていた魔族たちが、その衝撃にのまれて次々と倒れ伏した。
『ははははははははははははっ!!』
笑ったのは、大猩猩の魔族だった。
『良いねぇ、あんた! こんなやつと戦えるなんてぇ――やっぱ、大将に着いてきて正解だったな!』
「ああ!?」
『オレは、魔族・人間を問わず、ただ強いやつを求めて世界を旅していた! そんな時に出会ったのが、大将だ! オレは大将に為すすべもなく敗れたが――大将に着いていけば、まだ見ぬ強いやつと戦えると思って、この島にまで来た! あんたみたいな強ぇやつと、こうして戦えるなんて――オレの選択は、やっぱり正しかったみてぇだな!』
五里丸は壮絶な笑みを浮かべたまま、左側の二本の腕を振りかぶって、雅々奈へと振り下ろす。
すでに右側の腕を防ぐために金棒を使っているために、雅々奈はその攻撃を避けられなかった。
巨木がきしむような轟音がとどろいて、雅々奈の体が吹き飛ばされる。彼女はそのまま宙を舞い飛び、部屋の壁に激突した。ぶつかった箇所を中心として、蜘蛛の巣ように亀裂が広がっていく。
常人であれば、それだけで絶命するような一撃。
しかし、そこにいるのは、鬼とまで恐れられた「
「
血の塊を吐き出しながらも、彼女はなおも野蛮に、口の端を歪ませる。
「雅々奈ちゃんも、似たような理由で外の世界に飛び出したんだ。それで、いま、こうして面白い戦いをしてる。すげーよ……すげー。生きてる感じが、びんびんするんだ!」
壁にめり込んだ体を起こして、雅々奈は前へと飛び出した。気が狂ったような絶叫をあげながら、まるで虎のように力強く駆ける。
大猩猩の魔族が、金色の鎧をがしゃりと鳴らしてそれを迎えうつ。彼は四本の腕のすべてを後ろに引き絞って、丸太よりも太いその筋肉の塊を振り抜いた。
一見して、あまりにも非効率に思える攻撃。確実に雅々奈を仕留めるならば、四本の腕を別々に使って彼女の逃げ場をなくすのが得策であるはずだ。
だが、五里丸はそうしなかった。
その理由は、彼の口から語られることになる。
『これで……威力四倍だァ!!』
「っ!? やべー!!」
比喩でもなんでもなく、楼閣に地鳴りが響いた。危険を察して空高く跳躍した雅々奈の足元をかすめて、四本の腕が床に激突したのだ。
板張りの床が割れて、その破片が飛び散る。床下にあった地面までも巻き込んだその四撃が、おびただしい量の土を巻き上げた。
「そんなら、雅々奈ちゃんは、腕と腕と金棒で、三……足りねぇ! 足も入れて、五倍だああああぁっ!」
五里丸の頭上を飛び越えるほどに高く飛んだ雅々奈は、訳の分からぬ理論をまくしたてて、結局は金棒一本で大猩猩の頭をかち割る。その衝撃は、彼の頭部を守っていた金色の兜を破壊して、硬い頭蓋骨にまで貫通した。
『ぐおっ……!?』
さすがの五里丸も、頭を打たれては無事で済まないらしく、二歩、三歩とよろけたあとに膝をついた。
ひび割れた床に着地した雅々奈は、間髪入れずに追撃をしようと走り出して――そこで大猩猩が自らの巨大な体ごと転がってきたのを見て、慌てて方向を変える。
『頭を攻撃するな! 馬鹿になるだろうがァ!』
「ごめん!!」
まるで大岩のように転がりながら相手を押し潰そうとする五里丸が、興奮しきった声を発する。対する雅々奈も、いたるところに亀裂が入って不安定になった足場を飛び越えながら、あらん限りの力で叫んだ。
しばらく決死の追いかけ合いをしていた両者だったが、やがてその距離が縮まっていき――雅々奈のすぐ後ろまで、金色の巨体が迫ってきた。歯ぎしりと共に、雅々奈は意を決したように勢いよく振り向いて、転がり来る巨体へと金棒を振り抜く。
ぐわん! という
はるか高くから雅々奈を見下ろしながら、大猩猩は低い声で告げる。
『ふん……やはり、生半可な攻撃では、あんたは倒せんみたいだな。やはり、あれを使うしかないか』
「あれ?」
『大将のを真似たみたいで、大袈裟に見せびらかすのは気がひけるが……仕方ねぇ。刮目しろ、女! これが、オレの――――』
そして、五里丸は部屋の中の空気をすべて肺の中に入れるように、深く息を吸った。嵐のような流れが、朱い空間に生まれる。
『――――奥の手だ』
次の瞬間。
金色の甲冑の側面が、内側から膨れ上がった。まるで家屋の床を突き破る竹の子のように、それはやがて鎧を破って姿を現す。
黒く、深い毛が生えそろった、新しい四本の腕。
元々のものと合わせて、八本もの腕が、大猩猩の巨体から伸びていた。ひとつひとつが巨木のように太く、たくましく――神々しいまでに、力強い。
『これで、威力は八倍だ。――どうだ、女? オレのこの姿を見た感想を、率直に言ってみろ』
「うん……そうだな」
暴力という概念、それそのものが形を為したかのような巨大な影が雅々奈の頭上に落ちる。振りかぶられたすべての腕の筋肉が、踊り狂うように盛り上がった。
やがて、こちらへと襲い来る「破壊」をただ呆然と眺めて――雅々奈は一言だけを漏らす。
「はっきり言って……きもい」
ごしゃり、と。
肉を潰すような無惨な音が、楼閣に響いた。
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