終厭の宴
月明かりの下、伊波と呼ばれる村の広場には、異様な光景が広がっていた。
見上げるほどに巨大な魔族たちが円を描くように集まり、血走った
それまで
そして――その鬼の前に倒れるのは、旅装束をまとった、齢十六ほどの少年だった。血だまりの中、ついに握りしめていた刀を手から落とした少年は、そのままぴくりとも動かなかった。
「お、師匠……?」
張りつめた静寂を破るように、ひとつの声が生まれた。それは、少年と漆黒の鬼の戦いを遠巻きに見守っていた、編み笠の娘から発せられたものだった。
「うそ、よね」
彼女は目を見開いて、嗚咽を漏らす。その紅玉のような瞳から、とめどなく涙が溢れだした。
「お師匠――お師匠! あああああっ! お師匠!」
叫び、茜は澪丸へと駆け寄る。その体を必死に揺するが、返事は一向にかえってこなかった。
「そう……忘れるところだった。我はもともと、おまえの気配を感じ取り、この村に来たのだった」
泣き叫び、声を震わす編み笠の娘に向かって、漆黒の鬼は言葉を投げかける。その額から突き出した二本の黒い角が、月明かりに光った。
「忌まわしき『人間』を殺したというのに――なぜ、おまえはそんなにも嘆き悲しむ? こいつらは、我ら魔族……鬼にとって、憎むべき存在のはずであろう?」
不思議そうな口調で、彼は語る。茜が澪丸を想って悲しむことを、微塵も理解できないといったふうに。
「――――、」
娘は涙を流す瞳を漆黒の鬼へと向けて、彼を強く睨む。そして、なによりも強い口調で、言った。
「――お師匠は。お師匠は、わたしにとって、たいせつな存在だった。いつだって、いつまでだって、いっしょにいたいと思えるひとだった。魔族だとか、人間だとか、そんな括りで物事を片付けるあなたには……決して、理解できないでしょうけれど」
漆黒の鬼――「厭土」は、その言葉に不快そうな顔を浮かべたあと、低い声で返す。
「……人間に、毒されているのか。これはますます、おまえを放っておけなくなったな」
「え……」
「我は人間を滅ぼすため、生まれ育った『鬼ヶ島』を拠点として、強き魔族を仲間に引き入れる旅をしている。そして同時に、人間に虐げられた魔族を、故郷の島にかくまう活動も行っているのだ。……幸いにも、ここは我が治めるその島に近い。おまえを島へ連れていき、人間の洗脳を解くのに、これほど都合の良いことはないだろう」
そう告げて、「厭土」は茜の手を強引に掴み、その体を無理やりに起こす。茜は逃れようともがくが、彼女の力では漆黒の鬼にかなうはずもなかった。為すすべもなく顎先に指をあてられ、編み笠の下に隠れた顔を彼へとさらす。
「――ほう。よく見ると、なかなかに
怒りの表情を浮かべていた漆黒の鬼が、一転して
「もう一度、言う。我と共に来い、編み笠の鬼よ。人間を滅ぼし、魔族の楽園を築くのだ」
それは、有無を言わせぬ迫力をもった命令であった。生けるものすべてを従えるかのように強い言葉が、茜の耳に吸い込まれる。
「……わたし、は」
そして、彼女が表情を歪ませながら、なおも黒き鬼を睨み――なにかを口にしようとした、その瞬間。
がしり、と。
「厭土」の、硬い皮膚で覆われた足を、何者かが掴んだ。
「あかね、を……。はな、せ」
そこにいたのは、旅装束をまとった少年であった。彼は血だまりから
「……生きていたか。そのまま、くたばっていればよかったものを」
腐ったものを見るかのような目で、「厭土」は澪丸を見下す。茜から手を離し、彼は自身の足を掴む少年の顔を強く蹴り上げた。
澪丸の手が、その衝撃で鬼の足からはがされる。
「そんなにも、死にたいというのなら。できる限り屈辱的な方法で、おまえを殺してやる」
そうして、「厭土」は少し離れた地面に転がる、瑠璃色の刀を拾い上げた。彼はその柄を逆手に持ち、刃を下にした状態で、鋭い切っ先を澪丸の脇腹に向けた。
「い、や……」
茜が、震える声をあげる。
「いやあああああああっ!」
その叫びを背景にして、瑠璃色の刀が勢いよく振り下ろされた。その切っ先は、鬼の爪によってえぐられた少年の傷を広げるように、脇腹へと深く突き刺さる。
「は……ははははははッ!!」
漆黒の鬼が、高らかな笑い声をあげた。反響する不快な響きが、夜の闇にこだまする。
「どうだ、いまの気持ちは!? おまえたち人間の武人にとって、自身の武器によって死ぬのは、この上なく屈辱的なことなのだろう!?」
二度、三度。いたぶるように急所を外して振り下ろされる刃が、澪丸を襲う。少年はもはや、叫ぶこともできず 明滅する視界の中で、ひたすらに
「やめてえええっ!!」
つんざくような声を発して、茜が漆黒の鬼へと駆け寄る。
「わたしなら……あなたに、ついていくから! あなたの言うことを、なんでもきくから!お師匠は――お師匠だけは、ころさないで!」
悲痛なまでの、懇願。
その言葉に、漆黒の鬼は刀を振るっていた手を止めると、苛烈な笑みを浮かべて、編み笠の娘へと向き直る。
「――ふむ。おまえがそこまで言うのならば、もう、やめにしよう。どのみち、この人間はもう長くはない」
そして、彼は瑠璃色の刀を無造作に放り投げる。こびりついた血で鈍く月光を反射する宝刀が、音をたてて地面に転がった。
「そうと決まれば、善は急げ、だ。おまえを、『鬼ヶ島』へと案内しよう」
「……」
「だが、その前に」
そう告げて、「厭土」は周囲で待機する巨大な魔族の群れに向け、わざとらしく指を鳴らしてみせる。
「忌まわしき人間どもを、掃除しておかなければな」
次の、瞬間。
いままで止まっていた無数の魔族たちが、鎖から解き放たれたかのように動きだす。彼らはこの瞬間を待ちわびていたとでも言いたげな勢いで、戦慄する村人たちに襲いかかった。
いくつもの、悲鳴があがる。ある者は巨大な魔族の足に踏み潰され、ある者は硬い
「なん、で……!? どうして、こんなことを……!?」
おぞましい魔族の笑い声が辺りに響く中、茜が悲鳴混じりの声を漏らす。漆黒の鬼は、心底愉快そうに薄く笑ったあと、彼女に向かって告げた。
「この刀使いの男
そして、「厭土」は、一番近くにいた村人――ねじり鉢巻をした、人間にしては
「お、お、おんじき様の、かたき……!」
うわずった声と共に放たれた矢は、しかし「厭土」の硬い皮膚によって防がれる。無情にも跳ね返された矢が、地面に落ちて転がった。
「『
漆黒の鬼は、弓を持つ男との距離を詰めると、ふいにその頭を鷲掴みにして――
「真の
がぶり、と。
奈落へ続くような大口をあけて、悲鳴をあげるその男の頭を食いちぎった。
「――っ!」
その、あまりにも無惨な光景に、茜は思わず目を背ける。だが、そうしている間にも、肉を咀嚼するような音が響いて、男はだんだんとそのかたちを失っていった。
「……同じ、鬼としても。やはり、この光景は、むごいのかい」
そのとき、茜の肩に肉厚の手が置かれる。ふと見上げると、そこにいたのは、金色の鎧を着込んだ、
茜が、彼に向けてなにかを言う前に――漆黒の鬼が、はやくも食い終わった「獲物」を後にして、ふたたび娘の元へと戻ってきた。
見ると、彼が澪丸につけられた胸の切り傷が、消滅するようにだんだんと治っていく。やがて数秒もしないうちに、傷口は完全に塞がり――その上を黒く硬い皮膚が蠢いて、傷がつけられていた箇所を覆った。
「何度見ても、不思議なもんですねぇ。人を喰えば、傷が治る……いや、それどころか、
「いまさら珍しがったところで何も出んぞ、
四本の腕を使って肩をすくめる大猩猩の魔族へと、「厭土」はくだけた口調で語る。
彼が、周囲を見渡すと――もはやそこに、生きた人間の姿はなかった。見えるものといえば、魔族の群れによって無惨に殺された、村人たちの死骸だけ。あとに残ったのは、殺戮の限りを尽くし、満足したようにふたたび動きを止めた、見上げるほどの怪物たちばかりであった。
「さて……今度こそ、行こうか」
そう告げて、「厭土」は茜の手をとり、異様な静けさが支配する村の中を歩きはじめた。
抵抗することも、できず。
茜はただ呆然とした眼差しで、そのあとに続く。
虚空を見つめる、村人たちの死体の側を通り過ぎ……村の、外へ。
「…………」
夜空に浮かぶ月に、
やがて広場の端にさしかかったあたりで、茜は一度だけ後ろを振り向いて――涙混じりの紅い瞳で、血だまりの中に倒れる少年へと、静かに呟いた。
「さようなら……お師匠」
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