邂逅
目を覚ます。
暗い、洞窟の中。先ほどまでと
「――――、」
しばらく横になった体勢でじっとしたあと、澪丸はゆっくりと体を起こした。不思議なことに、先ほどまで感じていた空腹感や
澪丸のほか、周囲に何者かの気配はない。ただひたすらに静かな暗闇だけが、そこに広がっていた。
(……あの女は、なんだったんだ? 意味ありげな言葉を、いくつも口にしていたが――)
明神の力。魔神殺し。そして――「魔神のいない時間軸」。
直接話を聞くこと以外、その言葉の意味を知るすべはなかった。しかし、「彼女」はすでに、影もかたちもなく消え失せている。澪丸がその答えを知ることは……少なくとも、「今」はできないだろう。
そのときふと、かすかに
「――――ッ!」
弾かれたように、澪丸はそれが吹いてきた方向を向く。そうして、盛り上がった岩に足をとられるのも構わずに、少年は走り出した。
暗い暗い、黄泉の世界から抜け出すように、一心不乱に駆ける。振り返りはせず――目指すのは、遠くに見える、一筋の光。洞窟の出口であるその場所へと、息を切らして、少年は走りつづけた。
そして。
ついに躍り出た「外」の景色は、太陽の強い光をもって、澪丸の目を細めさせる。
桜色に淡く色づいた、山々。天から照りつける陽光はうららかに、蝶が飛び交い、花の蜜をすする。伸びやかに生い茂った若草の香りが、澪丸の鼻をくすぐった。
「……あ」
不思議と、言葉は出てこなかった。ただ、
そして。
「――――お師匠!」
声が、聞こえた。
澪丸が心の底から望んだその響きは、山道の向こうから届いてきた。
ゆっくりと首を動かしてそちらを見ると――薄桃色の着物をまとった娘が、手を振りながらこちらに向けて駆けてくるのが、少年の目に映った。彼女は息を切らし、編み笠の下の額に汗を垂らしながら、それでも懸命に足を動かして、澪丸の元へと急ぐ。
夢では、なかった。
「――――茜!」
その名を呼んで、少年もまた駆け出す。
桜の花びらが舞い散る山中で、ふたたび、藍と紅の視線が交差した。やがて二人の距離が縮まったあと、澪丸は彼女の肩に手を回し、強く、強く抱き寄せる。
「……お師匠?」
とつぜん抱きしめられた茜が、不思議そうな声を発した。彼女からすれば、澪丸のこの行動の理由など、
けれど、澪丸は彼女を離しはしなかった。ありったけの力を込めて、その暖かさを、鼓動を、全身に感じる。
「……すまなかった。俺が、不用意なことをしてしまったがばかりに……!」
「……? どういうこと?」
「俺は――俺は。おまえを守ると、誓ったのに。俺じしんが、おまえを縛る
「ちょっと、お師匠。さっきから、いってることがわからない」
「……ああ。そう、だろうな。けれど……俺は、おまえとまたこうして巡り会えて……本当に、心の底から
「ますます、いみがわからないわ。お師匠、どうしたの? ころんで、頭でもうったの?」
「まぁ……そうかもしれないな。あるいは、夢を見ていたのかもしれない」
「ゆめ?」
「ああ。おまえが、遠くへ行ってしまう夢だった。もう二度と、届かないところへと……」
「へんなゆめね。――でも」
「ん?」
「もう、目が覚めたんでしょう? だって、わたしはここにいるもの」
「……。ああ。そうだな。茜……おまえは、ここにいる」
それきり黙って、澪丸は静かに目を閉じた。
茜もまた何かを察したように、とくに抵抗することもなく、澪丸に体を預ける。うららかな陽がさしこむ山中で、二人はただ、しばらくの間ずっとそうしていた。
やがて、遠くから犬の鳴き声のようなものが聞こえてきて、澪丸は目を開ける。見ると、金棒を担いだ長髪の女と、彼女の背丈よりも大きな白い犬が、並んでこちらに歩いてくるのが目に入った。
澪丸はそこで我にかえったように茜を離すと、彼女から目線を逸らせて腕組みをする。その頬は、心なしか紅潮しているようにも見えた。そして、言い訳をするように、少年は口を開く。
「……いまのは、忘れてくれ。少しばかり、気が変になっていただけだ」
「そう。……それなら、そういうことにしておくわ」
まるで子供のいたずらを見逃すときの母親のような笑みを浮かべて、茜は告げる。その物言いに、澪丸はなにかを言い返そうとしたが、なにを言っても不利になるだけだと考えて、口をつぐんだ。
こんなやり取りでさえも、いまは懐かしく、そして愛おしく感じて――
(……「時」とは、絶対であると同時に、限りなく
雅々奈、そして碗太郎と合流したあと、ふたたび澪丸は歩きだす。
来た道は、過去。
行く先は、未来。
茜を守るため――そして、魔神を殺すため。
後戻りをするつもりは、もう、なかった。
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