永遠(とわ)の願いよトキワたれ
深い暗闇の中を、澪丸は進む。
明かりひとつない、真っ暗な世界。しんと静まりかえった洞窟の中に、生き物の気配はなく――黄泉の国へ踏み入れてしまったかのような恐ろしい静寂だけが、少年を包み込んでいた。
だが。
魔族でさえも震え上がるような深い暗闇の中にあっても、澪丸は迷わず、惑わず、ただひたすらに前へと歩きつづけた。その足取りは、確かに。体から迸る強い意志に、後押しされるように。ぐんぐんと、はるか奥まで歩を進めていく。
しばらく進んだあと、澪丸は壁に手をついて、その感触を確かめた。返ってきたのは、ざらざらとした岩の手触りではなく――人が磨き上げたように滑らかな、あの鉱石の感触であった。
(どうやら、あの翠色の鉱石そのものがなくなってしまった訳ではなさそうだ。今はただ、光を失っているだけなのだろう。あれが、どのような条件で、いつ、光りだすかは分からないし……もしもう一度「時渡り」ができたとしても、元の時代に戻れる保証はないが――)
じゅうぶんに奥まで進んだことを確かめてから、澪丸はその場に腰を下ろす。そうして静かに目を閉じて、心の中で強く念じた。
(必ず戻る、という意志をもって、俺は待ちつづける。何日でも、何年でも。――茜を、もう二度と独りにさせないために)
それは、岩のように永久不変な思い。
すなわち――
音も、水も、そして空気の流れさえも死んでしまったかのような洞窟の中で、澪丸だけがただ、強く生命の火を燃やしていた。少年の内に宿る聖火は、衰えることなく、むしろその勢いをしだいに増しながら、冷たい洞穴の中の澪丸の体を温めつづける。
どれくらい、時が経ったであろうか。
ふいに、まぶたの裏に光が映った気がして、澪丸は目を開ける。
(これは……)
洞窟の壁を所狭しと埋め尽くす翠色の鉱石が、ふたたび発光を始めていた。しかし、それはこれまでに見てきたような強く鮮やかなものではなく――どこか恐ろしい雰囲気をまとった、鈍く色褪せた光であった。
異変を感じながらも、澪丸は立ち上がる。
(「時渡り」の光ではないのか? だとすると、これは一体……)
恐る恐る、鉱石のうちのひとつに触れてみる。
――その瞬間、がくりと、澪丸の体が揺れた。
なにか衝撃を受けたわけではない。ただ、突然襲ってきた眠気、
(く……この、感覚。もしや、この鉱石の力によって、俺の体の「時間」が急速に進んだというのか……!?)
それは、ひとつの推論に過ぎなかった。だが、自身を襲う数々の異変と、この鉱石の特性を合わせて考えると、答えはそれしかないように思えた。
――『明神の迷子』たちは、例外なく、その後、洞窟の中で死体で見つかっているんだよ! たった数日しか経っていないのに、干からびた
あの女房が言っていた言葉が、澪丸の脳裏をよぎる。
(なるほど……ほかの「迷い子」は、こうして死んでいったというのだな……)
考えている間にも、全身を襲う倦怠感は強まっていき、空腹は
だが。
「――それが、どうした」
常人であればとっくに倒れ伏しているであろう、その状況においても……澪丸は毅然として立っていた。淡く、鈍い光の中に、修羅の如き形相をした少年の姿が映し出される。
「これしきで、俺を止められると思うな。この程度で、俺の心を折れると思うな……!」
この現象に、何者かの意図があるかどうかは分からない。しかし、たとえどんな存在が相手であろうと、澪丸は引き下がるつもりはなかった。
「根比べといこう。俺が死ぬか……『時渡り』が為されるか。命をかけた、真剣勝負だ」
そう告げて、澪丸は鈍い翠の光の中、野蛮な笑みを浮かべてみせた。その表情は、少年を鼓舞してくれた、あの髭面の男とそっくりであった。背中を押してくれた彼のためにも――澪丸は、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
壁面の鉱石は、少年のそんな態度に気分を害したように、より恐ろしく
「お……おおおおおおっ!!」
それでも尚、澪丸は吠えて、ひたすらに耐えつづける。
何と戦っているのかすら、分からない。けれど、澪丸の脳裏に浮かぶ編み笠の娘の姿が、少年の両足を強く支えていた。
――そして。
歯を食いしばり、堪えつづける澪丸に根負けしたように、壁の鉱石の光が弱まっていく。それはやがて、蝋燭の火が燃え尽きたようにかき消えて
(……終わった、のか)
自分が「時渡り」をした感覚はなかった。もしもそれが為されたとすれば、もっと強い光に包まれ、意識を失うはずである。しかし、いまの澪丸には辛うじてとはいえ意識があったし――洞窟の中の気温も、先ほどまでと変わらず、低いままであった。
(結局は……骨折り損か。この洞窟で生き絶えることだけは免れたものの、「時渡り」には至らなかったと)
強い倦怠感に包まれ、膝をつきながら、澪丸は思う。
なにをどうすれば再び「時渡り」ができるのかは、分からない。そもそも――時間を跳躍するという人知を超えた現象を意図的に起こそうとしていること自体が、間違っているのかもしれなかった。
(……それでも。俺は、諦めない。また、茜と巡りあうまで――何度だって、俺は……)
震える体を引きずって、澪丸が再び立ち上がろうとした、その瞬間。
ざり、ざり、と。洞窟の奥から、何者かがこちらに向けて歩いてくる足音が聞こえてきた。
澪丸は、一寸先も見えない暗闇の中、弾かれたようにそちらを向く。消耗した神経をなおも酷使するように意識を集中させるが――その者から発せられる「気配」には掴みどころがなく、澪丸には「それ」が人間であるか魔族であるか、それすらも分からなかった。
ざり、ざり、ざり――――ぴたり。
やがて、足音は少年の手前で止まる。目と鼻の先にいるというのに、その姿は暗闇に紛れて見えなかった。
そして、ひとつの声が澪丸に届く。
「いくら『
それは、聞き覚えのない、女の声であった。艶やかで、冷たく、地の底を
澪丸は極限の疲労で
「おまえは……何者だ」
「私が何者か、なんて――そんなことは、
「彼女」は、暗闇に響くようなため息をついて、どこか投げやりにそう答える。
そして、その妖艶な雰囲気をまとった声で、澪丸にこう告げるのであった。
「面倒くさいことは嫌いだから、単刀直入に言おう――『魔神殺し』。私はきみを、もう一度三〇〇年前の過去に飛ばすためにここに来た」
告げられた言葉の意味を、澪丸はすぐに理解できなかった。少年は茫然とした表情を浮かべたあと、暗闇の先に立つ「彼女」の顔を見ようと目をこらす。しかし、明かりひとつない暗黒の中では、その表情どころか輪郭ですらも捉えられなかった。
続く声だけが、「明神の洞窟」に響く。
「――そもそも、
「彼女」が告げるその
「俺を、茜のもとに返す……だと?」
「そうだ。まったくもって
そう言って、「彼女」はわずかに腕を動かした。かすかな
次の瞬間――澪丸の目の前、暗闇の中央に、見覚えのある光が生まれた。それは
手のひらほどの大きさを持った、
「それ、は……!?」
「さぁ、さっさと『飛べ』よ、『魔神殺し』。どうせきみは、この世界を望んでなんかいないのだから」
暗闇から一転して
(くっ……!)
だが、あまりにも強い光のせいで、その輪郭すらもまともに見ることができない。
「おまえは……『誰』だ……!?」
残る力のすべてを振り絞り。
翠の
ようやく、彼女の顔……その
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