明神の洞窟
桜の花びらが舞い散る、山中。
まるで巨大な
漏れ出る光は、どうやら、洞窟の壁のいたるところに散りばめられるようにして存在する、
(この、先に……なにかが、いるというのか)
洞窟は遥か奥深くまで続いており、その先は見えない。だが、その果てから漂ってくるような、独特の「気」とでも呼ぶべきものが、澪丸の肌を舐めるようにして刺激していた。
少年は、ゆっくりとその穴の中へと歩を進める。幸いにも、洞窟の高さは少年の背丈よりも高く、その幅は刀が振り回せるほどには広い。もしも「なにか」が襲ってこようとも、迎え撃つことができるだろう。
――その「なにか」が、並みの魔族程度のものであれば。
(この穴そのものから漂うような、奇妙な感覚。これは、人間のものでも、魔族のものでもない。だとすると、これは……)
周囲への警戒を続けながらも、澪丸は思考を巡らせる。
そもそも、洞窟を明るく照らすこの鉱物は、いったい何であるのか。見たところ、壁から湧き出るように結晶化したこの緑の石は、澪丸の家に伝わっていた「常磐たる勾玉」と同じような色や質感をしている。――いや、むしろ、あの勾玉がこの鉱石から作られた、といったほうが正しいのではないかと考えられるほどに、両者は
洞窟の中は、まるで死後の世界のように
やがて、壁に散りばめられていた鉱石が、しだいにその数を増していった。入り口のあたりでは、黒い岩の壁に翠の鉱石がぽつぽつと見える……といった状態であったものが、しだいにその比率を逆転させていき、ついには壁一面を覆いつくすほどの翠の光が、澪丸の視界を埋め尽くしたのである。
いよいよここまで来ると、事態が尋常ではないことが嫌でも理解できた。澪丸は刀の柄に手をかけたまま、一歩一歩、慎重に歩を進めていく。少年の額から
そのときであった。
(なん、だ……!?)
なんの前ぶれもなく現れ、まるで意思を持つかのように壁を
それは、少年が慣れ親しんだような字ではなかった。見覚えのない、しかし特徴的な曲線を描く、どこか神秘的な文字。
(これは……
その特徴は、曲がりくねった線を多用して、ひとつの字をあらわすということだと、澪丸はかつて父から教わった。澪丸は明神文字を
(なんだ……何が起こっている!?)
動揺を隠せない澪丸の周りを、なおも無数の文字が躍る。それに呼応するように、壁を埋め尽くしていた鉱石の光が、よりいっそう強い輝きを放った。
(くっ……!)
あまりの眩しさに、少年はそれ以上目を開けていることができなくなった。両腕で顔を覆い、その場にしゃがみ込む。それでもなお、視界を
翠の
だが。そんな抵抗など無駄だと、あざけるように――
数秒後、閃光にのまれて、澪丸の意識は光の中に消え去った。
*
――どれほど、時間が経っただろうか。
仰向けに倒れた状態で、澪丸は目を覚ます。
いつか感じたことのあるような、目覚め。だが、あの時と違うのは、ここが暗闇に包まれた場所であるということだった。倒れた体から伝う、ごつごつした感触から察するに、ここは先ほどまでと同じ洞窟の中なのだろう。辺りを照らしていた鉱石の光は消え失せ、今はただ、漆黒の闇が広がっている。
「――――、」
壁に手をつきながら、澪丸は体を起こす。幸いにも、体に違和感はない。腰のあたりを探ると、刀の鞘のひんやりとした感触が手に伝った。
そうして、壁づたいに歩きながら、澪丸は洞窟の入り口に向けて進みはじめた。この洞窟が、そしてあの光の渦が「なに」であるかは分からなかったが、今はひとまず、ここから出ることが先決である。考えるのは、この洞窟を抜け出してからでいい。
やがて、なにも見えない暗闇の中をひたすらに進んだ先に、一筋の光が見えた。外が近いのだ。澪丸は壁から手を離すと、かすかな光を頼りに、洞窟の中を駆けだした。
なぜ自分がそこまで焦るような行動をとったのか、澪丸には説明できなかった。ただ、入り口から吹き込んでくる、
やがて、澪丸は光の向こう、洞窟の外へと飛び出す。
「――――ッ!?」
そこに広がっていた光景は、少年を絶句させるにはじゅうぶんすぎるほどに異様なものだった。
降り積もる雪によって純白に染まる、山々。曇天の空からは絶え間なく
(……どういう、ことだ)
震える足取りで一歩を踏み出した澪丸の足が、柔らかい雪を踏みしめる。その、足から伝わる冷たい感覚が、否応なしに、少年に「現実」を突きつけた。
――
(馬鹿な……!?)
澪丸は、茫然とした表情で、ただ立ち尽くす。
たしかにここは、洞窟に入る前に自分がいた場所である。遠くに見える山々のかたちも、谷間を流れる川も、それ自体はなにひとつ変わっていない。――だが、この世界の季節そのものが、先ほどまでとはうって変わって、冬の様相を呈していた。
すべてを凍えさせるほどに激しい、
――ごうごうと響く風の音が、魔族の高笑いのような声を発していた。
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