暗がりを照らす決意


 「丹呉の町」を抜けて、澪丸はその向こうへと続く山道を歩く。草木のすべてが死んでしまったかのような静寂の中、少年は暗い夜空を見上げ、呆けたような目で星を眺めていた。


 その隣には、金棒を担いだまま黙って歩く、雅々奈の姿がある。



 ――澪丸が屋敷の庭に躍り出たとき、そこには彼女に打ち倒された十数人もの黒羽織が転がっていた。そして、なおも雲霞うんかのごとく屋敷のあちこちから湧き出てくる「抜多組」の男たちを相手に、雅々奈が再び金棒を振り上げたとき――彼女は少年の存在に気づく。澪丸が首を横に振ると、彼女はそれだけでなにかを察したように戦いを止めて、澪丸の後に続いて走りだした。


 追いかけようとしてくる黒羽織たちは、そこでようやく地下牢の辺りから立ち上る炎に気づいて、慌てたようにそちらへと向かう。門をくぐり、町の外へ伸びる道へと躍り出た澪丸に対して、雅々奈は「もっと戦いたかった」とでも言いたげな表情を浮かべたが――それを口には出さず、ただ黙って少年の横を走りつづけたのであった。




 星明かりのない、空の下。「丹呉の町」を見下ろすことができる高台に、茜と碗太郎の姿があった。


 澪丸はその影を見た瞬間に、思わず立ち止まる。だが、しばらく目を閉じたあと、ひとつ息をついて、彼女のほうへと歩み寄った。


「茜」


 低い声で、その名を呼ぶ。

 振り返った彼女の顔は、ひどくやつれていた。不安と焦りで塗りつぶされた紅い瞳が、少年をとらえる。


 やがて、その目が澪丸の周囲を巡る。だが、少年の側にいるのは、金棒を担いだ女だけ。そこには、鬼の少年や老爺の姿はない。


「……お師匠」


 かすれるような声が、澪丸の耳に届いた。その弱々しく、不安に満ちた響きが、少年の頭の中で反響する。



 眼下には、夜に寝静まった「丹呉の町」。だが、その外れにある一点だけが、やけに明るく、騒がしかった。水の入った筒を構え、せわしなく走り回るのは、おそらく火消しの集団であろう。どうやら、火の手は屋敷の周りには広がっていないようだったが、そのかわりに火そのものを消すことに苦戦しているようだった。


「……うそ、よね」


 悲痛な声が、夜に響く。


「あれは、鬼火なんかじゃなくて……文彦と夜可郎爺さんは、別の場所に逃げていて、そのうち姿をあらわすのよね? どうしてだかは分からないけど、きっと、わたしを驚かせようとして――」

「茜」


 嗚咽おえつまじりの声をさえぎるように、澪丸は口を開いた。そうして、彼女の震える肩を両腕でつかんで、語る。


「爺さんは、言っていた。ここから西に行ったところに、『鬼ヶ島』なる場所があるということを」


 夜の闇を破るかのように強い、言葉。


 少年の意志が、覚悟が、空気に震えるように響く。


「俺は……俺は、おまえを、必ずそこまで連れていく。たとえどんな魔族が、人間が、行く手を阻んでも。たとえ俺の身が裂かれようとも、おまえをそこに送り届けてみせる。文彦のため、爺さんのため……そしてなにより、おまえのために」


 どこまでも真っ直ぐなその言葉は、ひとつの混じり気もなく、茜の耳へと吸い込まれる。鬼の娘はしばらく呆然としたような表情を浮かべていたが、やがて少年の意志を汲み取ったかのように頷き、静かに目を閉じる。


 暗闇に包まれた世界の中、頭上に星は見えない。世界を染める黒は、どこまでも続いているように見えた。


 ――それでも。それでも澪丸は、茜の肩に手を置きながら、空を見上げる。


(俺しか、いない。こいつを暗い夜から引き上げて、陽の光の下に連れていけるのは……俺を置いて、ほかにだれもいないんだ)


 暗い夜道、行く先は見えなくとも。


 少年のその決意だけが、世界を照らす星のように、たったひとつ瞬いていた。


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