潜入、「抜多組(ばったぐみ)」


 草木も眠る、丑三うしみつ時。


 広い通りに面した場所に、人の身の丈の倍はあろうかという、巨大な鉄の門がそびえ立っていた。篝火かがりびがこうこうと燃えて、そこに刻まれた、後ろ足の長い虫の紋様が浮かび上がる。


 その門前に、黒い羽織をまとったふたりの男が立っていた。その腰からは、黒い短刀が下げられている。彼らは退屈そうに欠伸をしながら、気の抜けた声で無駄口を叩いていた。


「今日、恵崎えざきの村から連れてきた娘が、それはもう可愛くてよぉ。こう、目がぱっちり開いてて、色白で。まったく、売りに出すにはもったいねーぜ、あんな上玉」

「だったら、おまえが買えばどうだ。こんな羽振りの良い仕事してるんだから、おまえも金はそこそこあるんだろう?」

「馬っ鹿、そんなことしたら女房が怒っちまうよ! ただでさえ、最近は夫婦仲が良くねぇんだから……」


 そう告げたあと、男は片手を腰に、片手を顎先につけたあと、深く考え込むように「うーん」と唸った。


「とはいえ、やっぱり惜しいなァ。女房もどんどん年取ってくばっかだし、たまには若ぇ女と遊びてぇぜ。そう、ちょうど、あの姉ちゃんみてぇな……」


 男は、暗闇の中をこちらに向けて歩いてくる、長い黒髪の女を指差した。檜皮色ひわだいろの着物をまとったその女は、この距離から見ても、並の娘とは比べものにならないほどの美しい顔立ちをしていることが見て取れる。


「こんな時間に外を出歩くたぁ、とんだ不良娘だ。こいつぁ、俺たちがきちんと『教育』してやんねぇとなぁ」

「ほどほどにしとけよ。剛刹さまにばれても、俺は知らないからな」


 下卑た笑みを浮かべながら、片方の男が娘へと近づく。その背中に忠告を飛ばしながら、残された男は小さくため息をついた。


「まったく。あいつの女好きには、困ったものだ……」


 そうして、彼がほんの少しの間、ぼうっと気を抜いていた――そのとき。


 ごんっ! という鈍い音が響いて、男の隣に飛んできた「なにか」が、そびえ立つ鉄の門にぶち当たる。「それ」は地面にずり落ちたあと、小さくうめき声をあげると、口から泡を吐いて気絶した。


「なっ……五助ぇ!」


 慌てて彼の名を呼ぶも、その手足はすでに力なく放り出されている。そして、男は弾かれたように仲間が飛ばされてきた方向を向いた。


 そこに立っていたのは、こちらに向けて歩いていた、檜皮色の着物をまとった長髪の女だった。彼女は美しい顔に野蛮な笑みを浮かべながら、手にした巨大な金棒を玩具のようにくるくると回転させている。


「なんだぁ? 雅……わたしとりてぇって言うから、さっそくお相手をしてやったのに……ミミズよりよえぇじゃねーかよ。拍子抜けだぜ」


 女はよく通る声で、そう吐き捨てる。そしてそのまま、闇の中にあってなお存在感を放つ、真っ黒な金棒を天高く振り上げた。


 無骨な鈍器の先端と、頭上に輝く満月が、一点で交差する。やがて振り下ろされたその一撃が、脳天を撃ち抜く前に――黒羽織の男は、かろうじて声を絞り出すことに成功した。


大酷山だいこくやまの、雅々奈ががな……!?」


 ふたたび鈍い音が響いて、倒れる影がふたつに増えた。

 黒髪の女は金棒を肩に担ぎ上げると、眉間みけんしわを寄せて不満そうな声を漏らす。


「なんだぁ? 名前を隠せっていうから、我慢してやったのによぉ……雅々奈ちゃんってことが、速攻でばれちまったじゃねぇか! あのおまる野郎、あとでぶっ叩く!!」


 そうして、彼女は目の前にそびえ立つ巨大な鉄の門に向けて、怒りをぶつけるように金棒を叩きつけた。ぐわんっ! と、まるで除夜の鐘が響くような音がして、その表面が大きくへこむ。


 続けて、二撃目、三撃目が放たれたあと――扉と同じ、分厚い鉄でできていた錠前じょうまえが、音を立てて勢いよく砕け散った。


「っしゃあ、邪魔するぜぇ!」


 裸足はだしのまま門を蹴り開けた女は、それまでの鬱憤うっぷんが晴らされたかのようにすっきりした顔で、その向こうに広がる屋敷の庭へと足を踏み入れるのだった。



 侵入者を相手に騒ぎ出す男たちの声が下から聞こえてくる中で、澪丸と文彦はほこりっぽい屋根裏を這うようにして進んでいた。


「あの姉ちゃん、大丈夫かな。『抜多組ばったぐみ』の警備の連中は、三十人はいると思うんだけど……」

「剛刹という奴以外なら、おそらくあいつは負けんさ。問題は、素性がばれていないかどうかだが……『戦いにくいから』という理由で顔を隠すのを嫌がった時点で、そちらの方は期待できないかもしれないな。もしくは、顔を知られていなくても、『巨大な金棒を使う』ことで、あいつが『大酷山の雅々奈』だと露見する可能性もある」


 前を先導する文彦の言葉に、澪丸は転がった鼠の死体を避けながら答えた。


 ――澪丸たちの作戦とは、すなわち、「雅々奈を囮にして屋敷を警備する人間たちを誘きよせ、人が手薄になったところで夜可郎やかろう爺を助け出す」というものだった。


 「抜多組」の本拠地であるこの屋敷は、昼間に文彦を逃がしたことも相まって、厳重な警備に守られている。澪丸は剣術の達人ではあるが、隠密ではないので、彼らに見つからないように動くのは難しいと考えた。そこで、雅々奈を陽動として使うことを思いついたのである。


(なかなかに過酷な役目を押し付けてしまったが、あいつも暴れられて満足だろう……)


 黒羽織を相手に生き生きと立ち回る彼女の姿を想像しながら、澪丸はそう考えた。


 そして、自身のやるべきことに集中するように、進む先を見据える。


 夜可郎爺は、「抜多組」が保有する三つの地下牢のうち、最も規模が小さい西側の牢に捕らえられているらしい。文彦もまた同じところに閉じ込められていたが、夜可郎爺が守衛の気を引きつけている間に、空いた扉から脱走したという。いま澪丸たちが進んでいるのは、昼間に文彦が屋敷の外に出るために使った経路なのであった。


「たしか……こっちだ、澪丸兄ちゃん」


 前を這い進む文彦が、暗がりの中を右に曲がる。昼間来た道を戻るだけ、と言えば簡単だが、目印もないような屋根裏で正確に方向を記憶するのは、たとえ鬼といえど易しいことではないだろう。澪丸は文彦の記憶力に感心しながらも、その後を追った。



「……なぁ、澪丸兄ちゃん。こんなときに言うのも、なんだけど。 茜姉ちゃんを助けてくれて、ありがとうな」


 そこで、文彦がこちらを振り返らないままに、ぽつりと漏らす。


「これは、俺と夜可郎爺さんを連れてきた黒羽織に聞いた話なんだけど……茜姉ちゃんは本来、ここじゃなくて、隣町にある別の『抜多組』の拠点に連れていかれる手筈てはずだったみたいんだ。そこじゃ、人間の娘たちが、金持ちの悪趣味なジジイたちに売られていくらしくて 売られた先で、その女たちはひどい扱いを受けるらしいんだ」

「…………」

「そんな話を楽しそうにする黒羽織を、おれは思いきり蹴ってやったけど……まぁ、それは置いといて。茜姉ちゃんが、そんなことにならなくて良かった。それも全部、澪丸兄ちゃんのおかげだよ。ありがとうな」


 そう語る文彦の顔は澪丸からは見えなかったが、彼が心から安堵したような表情をしていることは、その声色から想像できた。


 ひとつ息をついてから、澪丸は告げる。


「……礼には及ばん。むしろ俺は、茜との出会いで勉強させてもらった。魔族にも、人間と同じような感情を持つ者がいるということを。仲間を思い慕う、心があるということを」


 かつて「千魔斬滅せんまざんめつ」の異名を得た頃の澪丸にとって、魔族とは人間を殺す野蛮な生き物だった。たとえ言葉を解する知能があったとしても、本能のままに力を振るい、暴力を快楽とする。――もちろん、いま考えてみても、そういった輩には同情の余地もないが……澪丸は茜との出会いで、魔族の中にも色々な者がいることを知った。家族を失った悲しみに震え、仲間を思って行動することができる、そんな者もいるということを。茜と出会わなければ、澪丸はおそらくずっと、すべての魔族を恨んだままだっただろう。


 ――そしてそれは、おそらく、茜にしたって同じなのだ。彼女は澪丸に助けられ、人間にも情を持った者がいることを知った。人売りの男たちや、自身を疎む大勢の人間のせいで、彼女はいまだに人間という種族そのものには心を許していないが――それでも、すべての人間が悪い者ばかりでないということは、彼女も澪丸との出会いで知ったに違いない。


(もしも俺が、「時渡り」をしていなければ。茜は、きっと、人間を恨んだまま生き……そして、死んでいったのかもしれないな)


 その想定の、真偽は分からない。ただ、澪丸が生まれたときにはもう、彼女はすでに死んでいたはずで――何かしらの「答え」は出ていたはずなのだ。優しい茜が、なにかを恨んだまま死んでいったとは考えにくいが――文彦の話を聞く限り、人売りに売られた先で、彼女の人格そのものが変わるほどの酷い仕打ちを受けた可能性だってあった。


(……まぁ、これは今さら考えても仕方のない話だ。俺は茜を助け、茜は俺に助けられた。いまここにおいては、それが唯一の事実なんだ)


 脇に逸れそうになる思考を遮って、澪丸はふたたび文彦へと語る。


「情がある……という話で言えば、おまえも大概だな。せっかく牢から逃げだせたのに、仲間のために帰ってくるなど……」


 その言葉に、文彦は足を止めないままに、「ふん」と鼻を鳴らした。


「当たり前だよ。おれは、里でいちばん勇ましい鬼になるって決めてたんだ。人間の悪党なんかにゃ、びびらないよ」

「はは、それは頼もしいな」

「――それに。夜可郎爺さんは、おれにとっても、茜姉ちゃんにとっても、大切なだ。おれたちは、毎日のように夜可郎爺さんのところに遊びに行って、いろんな話を聞いた。おもしろい話、怖い話、不思議な話。見たこともない、聞いたこともないような場所の話を、爺さんはおれたちに語ってくれたんだ」


 そこでふと、文彦の体が止まる。どうやら、屋根裏の端に行き着いたようだ。


 下に降りる梯子の位置を探りながら、鬼の少年は澪丸へと振り返って、言った。



「だから、おれは夜可郎爺さんを助ける。おれと、茜姉ちゃんで……もう一度、爺さんの話を聞くために」



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