三章 雅(みやび)ならざる怪力女

その者、悪名高く



 それから、二日。


 澪丸と茜は、かわりばえのしない山道をひたすらに歩き続けた。その途中で、なにやら大きな荷物を運ぶ商人や、旅の僧侶などとすれ違ったが、彼らは澪丸たちのほうにはとくに目もくれずに、急ぐような足取りで先へと進んでいくのであった。


 澪丸が生まれた「未来」では、こういった山道も、歩きやすいように整備がされているものだが――まだ交通が未発達なこの時代では、そういったことも期待できない。ほとんど獣道ともいえるようなところを通って、澪丸たちはあてもなく先へ進む。



「……お師匠は、どんな女の子が好きなの?」


 両脇に野草が生い茂る、ゆるやかな下り坂を歩いていたとき、ふいに茜が澪丸にそう尋ねた。彼女の顔色は、すっかり元気を取り戻したかのように明るい。


「なんだ、やぶから棒に」

「なんとなく、気になったの。お師匠って、そういう話に興味があるのかな、って」


 編み笠の下の、紅玉のように綺麗な瞳が輝く。彼女は意外と、そういう俗っぽい話が好きなのであった。


 澪丸は「やれやれ」とばかりにひとつ息をつくと、はぐらかすように両手を広げる。


「ふむ……俺は、剣術の修行ばかりして生きてきた人間だからな。そういうことは、あまり考えたこともなかった」

「――うそ。ぜったい、うそよ。その目は、うそをついているわ」

「なぜそう言いきれる?」

「目をみれば、わかるの。理由はそれだけでじゅうぶん」

「……なら、俺の女の好みを当ててみろ」

「胸が、大きいひと」

「おまえな……。俺をなんだと思っている」

「お師匠も、年頃の男の子。きっとそういう女の子が好き」

「決めつけは良くないぞ。……いや、べつに俺が、胸が大きい女が好きではないと言っているわけじゃなくてだな……」

「やっぱり。お師匠の考えることは、いがいと単純」

「ぐっ……。まあ、否定はしないが、いざ正面から言われてみると、なかなかしゃくだな」

「ふふん」

「――そういうおまえこそ、どんな男が好みなんだ?」

「わたし? わたしは、丸太の三本くらいはかるがる持ち上げられる、たくましい男の子・・・かな」

「おい……。そんな人間・・が、この世にそうそういるわけが――――」


 そこで、澪丸は言葉に詰まる。


 そしてふと、隣を歩く茜から視線を逸らすのだった。


(……また・・だ)


 茜との会話が弾むと、澪丸は彼女が鬼であるということを忘れそうになる。……そう、彼女は、額に角があるという点以外は、どこにでもいるような、人間の村娘となにひとつ違わないように見えるのだ。そこに、澪丸が「未来」で切り伏せてきた、恐ろしい鬼の面影はない。それはもちろん、少年にとっては幸いなことではあったが――それと同時に、いまだ心の奥でくすぶり続ける、ひとつの葛藤を浮き彫りにさせる。


(こいつが、どれだけ人間の娘のような立ち振る舞いをしていても……「魔族」であるということに、変わりはない。そう――俺が憎み、斬り伏せてきた、「魔族」なんだ。たったそれだけで、俺はこいつと距離を縮めることをためらってしまう……)


 もちろん、彼女が人間を嫌いこそすれ、無差別に襲ったりはしないことを、澪丸もよく理解していた。そういう意味で、彼女は少年がこれまで戦ってきた魔族とは違い、無害なのだ。そして無害であるがゆえに、彼女を「特例」として扱い、心の壁を取っ払ってもよいことを、少年は知っていた。


 それでもまだ、澪丸は茜と親しく接することを躊躇ちゅうちょしてしまう。


(……俺は、臆病だな)


 ぽつりと心の中で漏らした少年の横顔を、隣を歩く鬼の娘が不思議そうに覗きこんだ。




 それからしばらくして、二人は左右への分かれ道、その分岐点に辿り着いた。道の端にある立て札には、「右・霧吹峠きりふきとうげ」「左・大酷山だいこくやま」と表記されている。


 その地名を見て、澪丸の頭に電流のようなものが走った。


 霧吹峠きりふきとうげとは、都から十日ほど歩いたところにある、年中きりがたちこめることで有名な峠である。いや、ここで重要なのは、峠そのものではなく……「ここ」が、いったい「どのあたり」であるか、澪丸が理解したということである。


(およそ見当もつかなかったが――ここは、のちの片倉藩かたくらはんだったのか。俺は、思っていたよりも、都から遠い位置に転移していたのだな)


 澪丸は都で「時渡り」を実行したため、この時代においても、そこに近い位置に到着したと思い込んでいたのだ。この時代で都の「み」の字も見えないのは、そもそも都が明神暦・四五〇年ごろに築かれたものだからであって、少なくとも地理的にはその周辺に自分はいると、そう考えていた。


(まあ……自分の位置がわかったからといって、魔神がどこにいるかを知ることはできないが。見知らぬ過去の世界で、少しでも自分が知っている地名なまえを見ると、妙に安心するものだな……)


 神妙な面持ちで立て札をじっと見つめている澪丸の背後から――そのとき、ふと、自分を呼ぶような、若い男の声が飛んできた。


 後ろを振り返ると、そこには頭に鉢巻はちまきを巻いて、簡素な麻布あさぬのの服をまとった、齢二〇ほどの男が立っていた。肩にかついだ大荷物を見るに、どうやら飛脚ひきゃくのたぐいの人間だろう。男は無遠慮に澪丸たちのほうへ距離を詰めると、立て札を眺めて、言った。


「あんたたち、丹呉たんごの町まで行こうってのかい? そんじゃ、大酷山だいこくやまを通って行くのはやめときな。ちょっとばかし遠回りになるが、霧吹峠きりふきとうげから行くのをおすすめするぜ」


 澪丸はべつに「丹呉の町」とやらに行くつもりだと言った覚えはないのだが、男は矢継ぎ早に、少年へと言葉をまくしたてる。


 澪丸は例によって自分の後ろに隠れて相手をうかがっている茜のほうを見たあとに、男へと向き直って、尋ねた。


「それはいったい、どうしてだ? 大酷山だいこくやまとやらには、魔族でも出るのか?」

「ああ。なんでも、恐ろしい鬼が出るらしいぜ」


 鬼、というその言葉に、澪丸は眉をひそめた。しかし、男は少年のそんな反応には気づいておらず、鉢巻の下に陽気な表情を浮かべ、とめどなく喋り続ける。


「なんでも、とんでもなく強いやつらしい。大酷山のてっぺんに住んで、道行く人間を襲うとか。そいつに追い剥ぎにあった人は数知れず、名のある剣術や法力の使い手がそいつを倒しに山に登ったが、帰ってきた者はいないという。おまけに、なにやらでかい狼も引き連れているらしい」

「――なるほど」


 そこまでを聞いて、澪丸は男からきびすを返し、「大酷山」へと続く道へと歩きはじめた。少年の背中に、鉢巻の男の慌てたような声が届く。


「お……おい、ちょっと、あんた! 俺の話、きいてたのか!? そっちには、おっかねぇ鬼がいるんだよ!」

「分かっている」


 振り返りもしないままに、澪丸はただ、低い声で返した。一変して少年が浮かべた、殺気に満ちた修羅の如き表情は、その男には見えなかった。


(強い、鬼。それだけで、やつだと決まったわけではないが……もしもそうだった場合、俺の全霊をもって、戦わなければならないだろう)


 少年の脳裏に浮かぶのは、炎上する都と、倒れる人々。そして岩山のようにそびえ立つ、巨大な黒い影。


 ためらっている暇は、なかった。一刻も早くやつを倒さなければ、それだけで多くの血が流れてしまう。


「……お師匠」


 早足で歩く澪丸の後ろを、茜が駆けてくる。その目には、「その鬼を殺すのか」という、彼女の言外の問いかけが見てとれた。


「…………」


 澪丸は、しばらく黙ったまま歩き――そして、ぽつりと、振り返りもせずに、氷のように冷たい声で告げた。



「そいつが、俺が探している鬼であれば。たとえおまえが止めようとも、俺は――」


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