天鞘の奥義


 星が光る夜空に羽ばたく、青と赤の体毛を持った巨鳥きょちょう。その蜥蜴とかげのように鋭い両の目が、澪丸をギロリと睨んだ。


 少年は瑠璃色の刀を抜きはなち、その怪物に向かって構えをとる。


(この大きさ、威圧感……たしかに、「災厄」と形容しても差しつかえないほどの強さを持った魔族だ……!)


 数々の魔族を斬り伏せ、「千魔斬滅せんまざんめつ」の異名を得た澪丸をもってしても、この魔族の前では迂闊うかつに動くことができない。もはや、この巨大な鳥の魔族が、例の「青と赤の災厄」であることは、疑いようもなかった。


 台座の上に座る老婆は、目を見開いたまま、呆けたように巨鳥を見上げている。恐れていたことが現実となり、あまりの衝撃に固まってしまっているのだ。


「……茜! 村長むらおさを連れて、逃げろ!」


 澪丸は、自身の背に隠れたまま震えている編み笠の娘へとそう命令する。彼女は一瞬だけためらうようなそぶりを見せたが、すぐに思い直したように首を振ると、老婆に向けて走りだした。


 その様子を横目にとらえつつ、澪丸は滞空たいくうを続ける「青と赤の災厄」を観察する。


(獣のような雰囲気に、ひどい血生臭ちなまぐささ。……こいつは、茜とは違う・・・・・。俺がよく知っているような、本能のままに人間を喰らう「魔族」だ)


 そんな相手に、澪丸が手加減をする必要はなかった。磨き上げた「魔族殺し」の技を、ただ披露するのみ。


 やがて、巨鳥はおぞましい鳴き声をあげて、澪丸へと突進を始める。急降下した巨体が風を切り裂き、その鉤爪かぎづめうなりをあげた。


鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう、二の型――空色兜そらいろかぶと!」


 少年は上空に向かって刀を掲げ、つかを右手で、そして切っ先の裏側を左手で支えることによって鋭い鉤爪を受け止める。ギン! という甲高い音が、周囲に響き渡った。


 空色兜そらいろかぶとは、天狗をはじめとした、「空を飛ぶ魔族」の攻撃を受け止めるために編み出された技である。対人間を想定した通常の流派とは違い、「鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう」は魔族を殺すために開発されたものであるため、こういった特殊な技も数多く存在するのだ。


 刀と鉤爪が、ギリギリと拮抗する。あまりの重圧に、澪丸が踏みしめる土の床がえぐられはじめた。少年は負けじと歯を食いしばって、上からの衝撃に耐え続ける。


「お……おおおおっ!」


 そして、澪丸はついに、その巨体を跳ね返すことに成功する。体勢を崩した「青と赤の災厄」は、慌てて羽ばたこうとするも、少年が続けて放った一閃により、その右側の足を斬り落とされた。


『ギエエエッ!?』


 怪物が痛々しい悲鳴をあげる。足が切り離された部分からは、魔族特有の青い血が噴き出していた。


 澪丸はわずかの隙も入れずに、ふたたび巨鳥へと斬りかかって――そこで、間一髪、身をもだえさせる怪物に斬撃をかわされた。「青と赤の災厄」は、踊り狂うように羽を広げると、いままさに老婆を連れて外に逃げようとしていた茜のもとへと飛びかかる。


「――茜!」


 叫んだときには、すでに遅く。


 茜の小さな体が、巨鳥の残った左足に鷲掴わしづかみにされた。そのまま怪物は穴の空いた天井から飛び立つと、はるか夜空へと飛翔していく。


「お師匠……!」


 絞り出すような娘の声が、澪丸の耳に届いた。その姿が、瞬く間に遠ざかっていく。


 自身の不覚に、澪丸は歯ぎしりをした。――あの魔族が、茜のことを同族であると認識しているかは分からない。ただ、足を斬り落とされて混乱状態に陥っている今は、彼女になにをするかは分からなかった。最悪の場合、空の上で喰われてしまうことだってあり得るだろう。



 数秒の後、取り残された老婆が、低い声で澪丸に告げる。


「すまなかった……少年。私が、足手まといになったばかりに……」


 老婆はその場に力なく崩れ落ちると、光を失った目で、絶望したように語る。


「私は……『災厄』を見くびっていたのかもしれん。村の男たちにかかれば、たとえそれが恐ろしい怪物だったとしても、必ず打ち倒せると思っていた。……だが、空を飛ぶことができる魔族が相手となれば、人の子がたとえ武器を持っていたとしても、太刀打ちするのは難しいだろう。村には弓矢を扱える者もいるが、あんなに高く飛ばれては、当たろうはずもない……」


 憔悴しょうすいしきったような顔で語る老婆に対し――澪丸はしかし、諦めなど微塵みじんも感じさせない表情で、穴の空いた天井と、そのはるか向こうに見える巨鳥の影を見据えていた。


 そして、少年は、そこから視線を外さないままに、ぽつりと老婆に向かって告げる。


「……『鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう』は、魔族を殺すために生まれた流派だ。ゆえに、魔族との戦いにおいて、あらゆる状況を想定した技を持つ」


 そして、旅装束の帯にはさんでいた刀のさやを抜く。それを一体どうするのか、と老婆が見守る中で、少年は刀の刀身を鞘の中へと引っ込めてしまった。


 だが、澪丸の藍色の瞳に、戦いを終えようとする意思は見られない。むしろ集中を高めるかのように、少年はひとつ息を吐いてから、告げる。


「ゆえに、こんな状況においても、まだ打つ手はある。……これから見せるのは、流派の開祖である、水主みずし 凛鬼りんきが数十年をかけて編み出した技――いわば、この流派を身につけた者だけが至る『境地』だ」


 そして、少年は鞘に入ったままの刀の柄を右手で握った。そのまま、まるで遠くに物を投げるかのように・・・・・・・・・・・・・、その体を強くねじる。


 少年の体がきしむ音が、広い部屋の中に生まれる。それでもなお、最大限の「溜め」を作るかのように、澪丸は体をひねりつづけた。


 やがて、限界までねじられた体が、耐えきれなくなるように元に戻ろうとした瞬間――少年は、勢いよく体を回転させ、はるか夜空に向かって叫ぶ。


鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう奥義・・――――」



「――禍瑠璃天鞘まがるりてんしょう!!」



 声と共に、青い残像を残す「何か」が、はるか空へと打ち上げられた。それは恐るべき速度で上昇を続けると、真上で飛翔していた巨鳥の頭へと突き刺さる。


 脳天を貫かれた「青と赤の災厄」が、その足から編み笠の娘を放すのが澪丸の目に映った。娘は数秒ものあいだ落下を続けると、やがて刀を手放した少年の腕の中に抱きとめられる。


 それと同時に、巨鳥のほうも、破れた天井の穴をさらに広げるようにして、家の隅へと落ちる。大きな音をたてて、その巨体が土の床の上に転がった。


「な……!?」


 その頭に突き刺さっているものを見て、老婆が驚愕したような声をあげる。



鞘を・・飛ばしたのかね・・・・・・・……!?」



 そう。澪丸が渾身こんしんの力で飛ばしたのは、宝刀「王水」の鞘であった。抱き止めていた娘を地面の上に立たせてから、少年はもはや絶命した巨鳥の頭に刺さっている「それ」を引き抜く。


「そうだ。『鬼界天鞘流きかいてんしょうりゅう』の奥義は、刀を発射台とし、鞘を飛び道具として使う、抜術ならぬ抜術だ。……この技の完成をもって、水主みずしは流派の名前に『天鞘てんしょう』の字を加えたという」


 瑠璃色の鞘の先端は、通常の刀のそれよりも鋭く尖っていた。しかし、だからといって、鞘が刃物のような貫通力を持つことは、ふつうであれば有り得ない。


 なおも驚愕をつづけたまま固まっている老婆に対し、澪丸は少しばかり緊張がほぐれた口調で、語る。


「……まあ、これを使ったあとは満足に戦えないほど体が痛むような荒技だが――それで村を救えたのだから、良しとしようか」


 少年は娘を受け止めるために手放した刀をふたたび鞘におさめてから、無理な技の使用で身体からだじゅうに走った痛みをごまかすように、薄く笑った。



 ――そのとき、家の外から、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。澪丸が戸のほうを見た瞬間、そこから何人もの村人たちが家の中に押し寄せてくる。


村長むらおさ!」

「お婆、無事ですかい……!?」


 彼らは農具を手にしたまま、荒々しく息を吐いて家の中を見渡すが――無傷の村長むらおさと、奥で転がる魔族の死体を見て、ぽろりとその「武器」を手落とす。


「遅いよ、おまえたち。いったいなにをしていたんだい? ……もしかして、魔族に恐れをなして、小便をちびっていたわけではないだろうね?」

「そ……それは! そんなことになったのは、佐助のやつだけで……とにかく、来るのが遅れてすまなかった!」


 老婆にじろりと睨まれて、村人たちは気圧けおされたように頭を下げる。老婆は「ふん」と鼻を鳴らしたあと、澪丸たちのほうへと向き直って――


 そこでふと、その動きを止める。


「…………?」


 澪丸は、その不可解な反応のわけを、すぐに知ることができなかった。ただ、目を丸くする老婆と、彼女につられて「なにか」を呆然と見つめている村人たちを、しばらくの間、視界におさめる。そして、ふと、彼らの視線の先を追って――


「――っ!」


 そこでようやく、額の角があらわになった娘・・・・・・・・・・・・の存在に気がついた。


(まずい……!)


 思えば、空から落ちてきた彼女を抱き止めたときには、すでにその頭から編み笠はとれていた。おそらく、落下の最中に紐が緩んでしまったのだろう。素早く辺りを見渡すと、倒れた巨鳥のかたわらに、小さな編み笠が転がっているのが目に入った。


「……これは、どういうことかね」


 一変して張り詰めた空気の中で、老婆がぽつりと呟いた。そこに敵意は見られなかったが、村長むらおさとしての立場上、村人たちの前で澪丸を追及しなければならないのだろう。彼女の表情は、先ほどにも増して、真剣そのものであった。


 澪丸は、なにも答えない。答えたところで、この老婆はともかく、ほかの村人たちが納得してくれるとは思えなかったからだ。――だが、その村人たちは、少年の沈黙を「後ろめたいことがある証」とでも捉えたのか、口々に怒号のごとき言葉を騒ぎ立てる。


「魔族!? ――しかも、鬼だと!?」

「やっぱり、こいつらが『青と赤の災厄』じゃあねえのか!?」

「出て行け! この村に、二度と近寄るな!」


 男たちが拳を振り上げ、口汚く澪丸たちをののしる。


 澪丸は、隣に立つ茜を見やる。彼女は人間たちの「敵意」に当てられて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。しかし、かつて人売りの男たちに反抗していた時のように、涙までは見せまいと、必死で口を固く引き結んでいる。


 その姿が、あまりにも痛々しくて――澪丸は気づけば、ふたたび刀を鞘から引き抜いていた。それと同時に、騒ぎ立てていた男たちが、一斉に黙りこくる。


「……なにも弁解するつもりはない。だから、そこをどけ」


 鬼気迫る少年の物言いに、男たちは道をあけわたすかのように後ずさりをした。澪丸は転がった編み笠を拾い、それを鬼の娘の頭にのせると、彼女の手をひいて歩き出す。茜が手を握り返す感触が、澪丸の腕に伝わった。



「……旅の、少年よ。村を代表して、礼を言おう」


 家の出口へとさしかかったそのとき、少年の背後から、ひとつの声が聞こえてきた。しわがれたようなその声は、村長むらおさの老婆のものであった。


 しかし、澪丸はなにも答えなかった。ただ一度だけ立ち止まると、ひとつだけ息を吐く。そうしてまた、茜の手をひいて歩きはじめたのであった。





 草木でさえも眠ってしまったかのような、薄暗く静かな山中で、澪丸と茜は手ごろな木の下に腰をおろした。今晩は、ここで夜を明かさねばならない。


 春とはいえ、夜は少しばかり冷えた。温もりを求めるように、茜が澪丸に体を寄せてくる。


その鼓動を肩越しに感じながら、少年は静かに星を見上げて、とつぜん、独り言のように呟いた。


「……人間と魔族の対立、そのみぞは、明神暦みょうじんれき以前から続く、根深いものであるらしい」


 少年のよく通る声が、夜の闇の中に響く。


あるところ・・・・・を滅ぼした、ある魔族・・・・が言っていた。そいつの父母が抱いていた『人間への恨み』が、そいつを勝利に導いたのだと。――もしかすると、魔族の人間への恨み、そして人間の魔族への恨みというものは、親の代から受け継がれるものなのかもしれないな。怨嗟えんさくさりとでも呼べるようなものが、何百年も前から繋がれてきて、それが絡まり合い、ほどけなくなっている。そして両者ともに、それをほどく気はさらさらない。互いが互いを滅ぼすまで、争いを続けるつもりでいる」

「…………」

「だから、といってはなんだが――人間がおまえをうとむのは、仕方のないことだ。おまえや俺にどうこうできる問題じゃない。……それを、おまえが気に病む必要はないんだ」


 静かに輝く星が、空に浮かぶ。冷たい月明かりが、二人の影を照らしていた。


 鬼の娘は、ただ黙ったまま、なにも言わず、澪丸に体を預け続ける。その体がすこし震えているのは、寒さによるものか、それとも。


 澪丸は夜空を見上げたまま、思う。


(人と魔族の争いは、この時代にはもう、すでに引き返すことのできないところに来ているらしい。あの村人たちが茜の角を見ただけで罵声をあびせたのも、そして茜の故郷が人間に滅ぼされたのも、そういった背景があってのことなのだろう)


(かくいう俺も、数えきれないほどの魔族を殺してきた。「人間が魔族を疎むのは仕方がないことだ」なんて台詞せりふは、じぶんを正当化しているだけ……とも言えるな)


(――それでも、俺は)


(俺は……こいつを)


(こいつ、を――――)



 そこで、ふいに強い眠気が襲ってきて、澪丸は目を閉じた。次の瞬間、少年の意識は、まどろみに溶けていくように、ゆっくりと眠りの淵に沈んでいった。



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