予言の日


 夕日の逆光の中に、およそ二十もの人影が集う。彼らはみなくわすきなどの農具を武器のようにして構え、澪丸と茜を睨んでいた。


 その男たちが、澪丸たちに何かを説明してくれるような気配は無かった。まるで長年の敵を前にしたかのように、彼らは敵意を剥き出しにしたまま「武器」を握る。


「……とんだ出迎えだな。俺たちが何かしたっていうのか?」


 自分の背中に体を寄せ、小刻みに震えている茜の鼓動を感じながら、澪丸は低い声で告げる。


 その言葉に応じたのは、最初の三人のあとにここに来た、斧を持った男だった。


「へっ。おめぇらが、なにかしたか……だと? 俺たちはむしろ、おめぇらに何かをさせないように、ここで見張ってたんだ。――なぁ、『青と赤の災厄』さんよぉ」


 ふたたび飛び出してきたその言葉に、澪丸は顔をしかめる。彼らがなにを勘違いしているか知らないが、「青と赤の災厄」という物騒なその響きに、心当たりなどなかった。


 そのとき、ふと、農具を構える男たちの間を割って、ひとりの老婆が澪丸たちの前へと姿を現した。「おばば」「村長むらおさ」と、男たちは次々と口にする。腰の曲がった、齢七十は超えていそうなその老女は、彼らを制止するように左手をかざしたあと、澪丸に向けて尋ねる。


「……おまえさんらは、何をしにここへ来た」


 しわがれた、声。


 決して威圧感のある言い方ではなかったが、その声色にはどこか重々しい響きが感じられた。澪丸は周囲の男たちへの警戒を続けながらも、老婆に向かって告げる。


「とくに何をしに、ということもない。ただ、少しばかりの飯と、今晩の宿を貸してもらえればと思っただけだ」


 それは、半分は本当で、半分は嘘であった。もちろん、嘘の半分というのは、この時代や魔神に関する情報集めという目的である。


 澪丸の言葉を聞いても、老婆はなにも言わなかった。ただ、少年を見定めるように、彼の目をじっと見つめている。


 やがて、ぽつりと、なにかを感じ取ったように、老婆はきびすを返した。そして、背中越しに澪丸たちに向かって言葉を投げかける。


「……着いてきなさい」


 その言葉に驚いたのは、村人たちのほうであった。「正気か、村長!?」「こんな奴らを村に入れるのかよ、お婆!?」などと、口々に叫びあっている。


 しかし、村長であるこの老婆の言葉は絶対らしく、その後に続く澪丸と茜に対してなにかを仕掛けてくる者は誰一人としていなかった。


「お師匠……」


 茜が、消え入りそうな声で澪丸を呼ぶ。彼女にとっては、自分に敵意のある人間たちの間を歩くという行為は、この上なく不安を掻き立てられるものなのだろう。


 澪丸は自身の袖をつかむ茜の手を握り返すと、毅然きぜんとした表情で、老婆のあとを追った。




 老婆に案内されたのは、村の中央にある、ひときわ大きな家であった。周囲と同じ掘立柱ほったてばしら式の建物で、その入り口にある戸をくぐると、家を支える太い白木しらきの骨組みが見える。地面をくり抜いた床には、柔らかいわらが敷きつめられていた。


 その内部を見渡しながら、澪丸は考える。


(……いくら小さな村だとはいえ、村長むらおさが住むところにしては、いささか貧相だ。いや――それは違うか。この時代・・・・では、これでもじゅうぶんな豪邸なのだろう)


 すると、家の奥に置かれた台座に腰をかけた老婆が、澪丸たちにも座るようにうながした。そのまま立っているわけにもいかないので、適当なところに腰を下ろす。


 老婆のほかに、家の中に人の姿はない。しかし、茜はなおも警戒したように澪丸の背中に張りつき、編み笠の下から老婆をじっと見つめている。


「……悪かったね。驚かせるようなことをしてしまって」


 老婆の抑揚のない声が、建物の中に反響する。隙間から漏れる冷たい風が、澪丸の頬をなでた。


「だが、許してつかわしてはくれんか。――なんせ、今日は『予言の日』なのだから」

「……予言の、日?」


 またしても意味が汲み取れない言葉が飛び出して、澪丸は鸚鵡返おうむがえしに老婆へと尋ねた。


 老婆はこくり、とうなずくと、遠い昔を思い出すように、深いしわの入った右手を額へと当てる。


「……そう。あれはまだ、私が幼かったころ。占い師を名乗るひとりの女が、この村に現れた。へびのような目をした、どこか神秘的で、どこか恐ろしい雰囲気を持った女だった」


 まるで物語を伝える語り部のように、老婆は神妙な面持おももちで澪丸たちへと語る。


「彼女の名は、私が耄碌もうろくしたためか、すでに忘れてしまったが……そのとき、その占い師は、三日後に降る大雨で、この村が地すべりに襲われることを予言した。村の者はみな彼女の言葉に耳を貸さなかったが、まだ幼かった私は、どうにもその予言が怖くてね。予言の前日、雨が降り始めると、私は親兄弟にも言わずに、山のむこうまで逃げたんだ」

「…………」

「するとどうだ。予言どおり、村は山から崩れ落ちてくる土砂で埋まってしまった。そして、反対側の山からその様子をの当たりにして青ざめる私の前に、例の占い師が現れ――こう言い残して、去っていった」


 そこで老婆は少しの「め」を作ると、真剣な表情で少年に向かって告げた。


「すなわち……『六〇年後の明神歴みょうじんれき・二八〇年の卯月うづき・八の日に、ふたたびこの村を災厄が襲う。それは青と赤の色をした、恐ろしいもの・・だ』とね」


 老婆の言葉に、澪丸は目を見開く。


 それは、蛇のような目をした占い師が語ったという予言、それそのものではなく――その日付に反応したからである。


 明神歴みょうじんれき・二八〇年、卯月(四月)・八の日。


 この老婆は、「今日」のことを、確かにそう言った。


(たしかな予感こそあったが……本当に、俺は、はるか過去に来てしまったのだ。月のずれ・・は多少あるものの――ちょうど、三〇〇年。そんなにも長い年月を、俺は、さかのぼった……!)


 少年の全身から、熱い汗が噴き出す。


 興奮。驚愕きょうがくおそれ。さまざまな感覚がない混ぜ・・・・になって、澪丸の体の中を駆け巡る。自分でも抑えられないほどに、少年の指が震えだした。


 澪丸の陰に隠れたまま老婆の話を聞いていた茜が、「お師匠?」と心配そうな声をあげる。しかし、澪丸はどうにも、それに返事をする余裕などなかった。


 老婆は、少年の突然の動揺には気づいている様子を見せながらも、ただ淡々と語る。


「……地すべりのあと、私を含め、生き残った十数人で村を復興することには成功したが……私の頭にはずっと、あの占い師が去り際に残していった予言がこびりついていた。六〇年後になにが起こるのか。『青と赤の災厄』とは、なんなのか。……時が経ち、村長むらおさとなっても、私は予言の日付をずっと記憶していた。そして今日、ついに訪れた『予言の日』に、私は村の若い男たちを集め、村を襲う脅威をくいとめるように言いつけたのさ」


 そして、一息をついてから、腰の曲がった老婆は、澪丸と茜を見定めるようにじろりと睨む。


「……とくに根拠があるわけじゃないが、私の見立てでは、あんたたちは『青と赤の災厄』ではない。だからこそ、村の男たちに囲まれていたあんたたちを、こんなところにまで招いたんだが……その反応、そして立ち振る舞いを見るに、どうやらただの旅人でもなさそうだ。もしも、『青と赤の災厄』について知っていることがあれば、教え――――」


 まるで尋問をするかのように、老婆が澪丸たちに詰め寄った、そのとき。



 空気を引き裂くような、恐ろしい鳴き声が聞こえた。


 それと同時に、澪丸はハッとしたように顔を上げる。先ほどまでの動揺は一瞬にして消え去り、その表情には剣術使いとしての迫力が宿っていた。


(いまのは……魔族の鳴き声だ。だが、声の聞こえた方向、そしてこの気配。来るとすれば、恐らく――)



 少年が弾かれたように天井を見上げたその瞬間、茅葺かやぶきの屋根を破って、鋭い鉤爪かぎづめが姿を現した。部屋の明かりをうけてぎらりと光るそれは、やがて屋根に大きな穴を開けると、すばやく上空へと引っ込んでいく。


 ふたたび、耳をつんざくような、不快な鳴き声。澪丸は宝刀「王水」を鞘から引き抜くと、鳴き声の主を睨むようにして、破れた天井ごしに空を見上げた。



 夕日が沈み、星が見えはじめた宵の空に浮かんでいたのは――半身が青、半身が赤の体毛を持った、巨大な鳥の魔族であった。


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