二章 予言されたる青と赤

青と赤の災厄



 それから、茜は澪丸に色々なことを質問してきた。やれ出身はどこだの、やれその剣術はなんだの、彼女の口は止まることを知らなかった。大人しいように見せかけて、茜はぐいぐい少年との距離を詰めてくる。澪丸はその勢いにたじろぎながらも、「(おそらくは)未来から来た」という点だけは伏せて、言うことができる範囲で彼女にその答えを語った。


 逆に澪丸から彼女に問うたのは、「いまは明神暦みょうじんれき何年か」「茜の生まれたところのほかに、鬼の集落を知らないか」の二点だった。

 人間でさえも知らぬ者はいない「厭天王えんてんおう」を、同じ魔族である茜が知らないということは、少なくとも、「今」はかの魔神が強大化する前の時代であり――まだ一体の鬼に過ぎないはずの「厭天王えんてんおう」は、同じ鬼の集落に住んでいると考えたからである。


 しかし、澪丸の期待に反して、彼女はそのどちらの問いにも「分からない」と答えた。彼女は魔族であるがゆえに人間のこよみが分からず、また、生まれ育った鬼の里が閉鎖的なところであったため、ほかに鬼が住んでいるところを知らないというのだ。


 結局は、どこか人里に降りて、いまの暦をきくしかなく――魔神探しも、地道にやっていくしかないということである。ひとまず、澪丸は茜を連れて、桜並木を道なりに歩きはじめるのだった。






「お師匠は、なんたらっていう名前の鬼を探していると言ったけれど。それはいったい、どうしてなの?」


 日が西に傾き、からすが巣に帰りはじめる頃合い。薄暗い夜の闇がすぐ背中まで迫り、澪丸と茜を追い越そうとしていたそのとき、隣を歩く茜が、これまでとはうって変わって、少しばかり真剣な表情で澪丸にそう問いかけた。


 少年は鬼の娘の手前、「そいつを殺すためだ」と答えることはできなかった。しかし、かといって、人間が鬼を探す理由など、ほかにそうそう思いつくはずもない。なにも言うことができず、澪丸はただ、黙るしかなかった。


「……まぁ、言いたくないのなら、いいけれど」


 茜はとつぜんその話題から興味を失ったようにそう言って、澪丸から目を逸らした。そうして、ゆっくりと沈んでいく夕日を、ぼうっとした顔で眺める。



 わざとらしく話題を逸らした娘の横顔を見て、澪丸は思う。


(……うわべでは、無関心を装っているが――おそらく、俺の心中など見透かされているだろうな。こいつは、俺がその鬼を殺そうとしているのを知っていて、あえて見逃したんだ)


 なぜ茜が、そんなことをしたか――その理由は単純である。もしも澪丸が鬼を殺すために旅をしていると知れば、あるいは知ってしまえば、彼女は澪丸に反発せざるを得なくなる。しかしそうなると、「人売りに捕らえられていた茜と、それを助けた澪丸」という今の関係性が変化してしまうのだ。その後に残るのは、「鬼を殺そうとする澪丸と、同族を殺されまいとしてそれに反発する茜」という構図である。


 何故だかは分からないが、茜は人売りから自身を助けてくれた澪丸のことをいたく慕っていた。だから、彼女はその関係を壊すまいとしているのだ。――澪丸が、人売りと同じ「人間」であると知りながら。


「おまえは……俺が、恨めしくはないのか? 俺は、おまえの故郷を滅ぼした『人間』なんだぞ?」


 一見して脈絡がないように思える問いを、少年は発する。しかし娘は、澪丸の意図を理解したかのように、変な顔ひとつ見せずに、言った。


「恨めしくなんかないわ。……たしかに、わたしの故郷は人間に滅ぼされたし、わたしは人間のことを良く思っていない。けれど、お師匠はわたしを助けてくれた。だから、お師匠だけはとくべつ」


 澄んだ声で語られるその言葉に、偽りはないように思えた。


 優しい顔で語る彼女の横顔を見て、澪丸は考える。


(俺だけは特別、か)


 茜は人間のことを良く思ってはいないが、それでも、澪丸には例外的に好意を抱いている。つまりは、人間であるからといって、誰も彼もを敵視しているわけではないのだ。


 ――ならば、逆説的に。こんなことが言えるかもしれないと、澪丸は考えた。


(茜が魔族であるからといって……俺がこいつを遠ざける必要も、ないということか……? 「魔神を探すため」という建前を抜きにして、こいつとの距離を縮めてしまってもいいと、そういうことなのか……?)


 もし、彼女がいままでに何人もの人間を喰らってきた「鬼」であれば、澪丸は彼女を斬り伏せなければならない。しかし、茜は「人は喰わない」と言っており――げんに、人喰いの魔族が発するような血生臭い雰囲気は、彼女からは感じられなかった。


(俺は……どうすればいい? 自分を慕ってくれているからといって、魔族と仲良くするなど……果たして、許されるのだろうか?)


 山の向こうに、夕日が沈んでいく。夕暮れ時の燃えるような空が、しだいに夜の深い紫の空に変わりつつあった。


 そのときである。



 ふと、澪丸の視界に、小さな明かりのようなものが映りこんだ。目をこらすと、遠くにぽつぽつと民家が見える。長い山道が終わり、ようやく人里にまで辿り着いたのだ。


 先ほどまでの思考を忘れたかのように、澪丸の足が無意識のうちに早くなった。


 ――今はいったい、明神歴みょうじんれき何年なのか。


 ――「厭天王えんてんおう」を知っている者はいるか。


 様々な疑問が頭の中でうずまき、少年はいつの間にか走り出していた。後ろを歩いていた茜が、「待ってくれ」とばかりに澪丸を呼ぶ。しかし、少年はそれにも構わず、一心不乱に走り続けた。


 やがて、村を覆う獣避けの柵が見えるあたりまで来ると、そこに三人の若者たちが立っていることに少年は気づく。その手には農作業のためのくわすきが握られていたが、彼らの立ち振る舞いを見ると、どうやら畑を耕すために外に出ているわけではなさそうだった。その動きはまるで、村の外からやって来る、「なにか」を警戒しているようで――


 そこで、三人のうちのひとり、くわを持っていた男が、澪丸に気づいたようにこちらを向いた。そして、風のごとき速さで走り来る澪丸に向けて、なにかを恐れるように叫ぶ。


「く……来るんじゃねえ! どっかいきやがれ!」


 澪丸は彼らの前で立ち止まると、敵意がないことを示すように、両手をあげる。


「……俺は旅の者だ。べつに、怪しい者でもなんでもない」


 そう言いながら、澪丸は「妙だな」と心の中で思う。


 いきなり走ってきた澪丸が悪いといえば、それまでだが――年端としはもいかぬ少年を恐れるようなこの男たちの態度は、異常にも思えた。まるで彼らの目には澪丸が化け物として映っているかのようだ。


 男たちは農具の先を澪丸へと向けたまま、小さな声で話しはじめる。


「(……こいつの目と、刀。『青い』ぞ)」

「(ああ。――おばばが言っていたのは、こいつのことなのか?)」

「(いや、待て。だとすると、『赤い』ってのは、なんなんだ?)」


 耳のいい澪丸には彼らの言葉がはっきりと聞こえたが、その意味までは理解できなかった。なにやら、「青い」やら「赤い」やらで、彼らが揉めているのは間違いないようなのだが……。


「――お師匠。あし、はやい……!」


 そのとき、澪丸に遅れて、茜もその場に辿り着いた。彼女は玉のような汗を額に浮かべ、息を切らしながら、自分を置いていった澪丸を恨むように不満そうな声をあげる。そうして、なにやら不穏な場の空気を感じ取ると、急いで澪丸の後ろに隠れて、農具を持つ男たちをその陰からじっと見つめた。


 すると、すきを構えた男が、「あっ」と声を漏らし、もはやひそひそと隠す様子も見せずに、ほかの男たちに向かって叫ぶ。


「こいつ――目が、『赤い』ぞ! ……間違いない、こいつらだ! おばばが言ってた、『青と赤の災厄さいやく』ってやつは!」


 その声に反応したかのように、彼らはよりいっそう強張こわばった表情を浮かべ、澪丸と茜を睨む。


 その言葉の意味を、澪丸が考えるより先に――


「出やがったか! どこだ!?」

「あっちだ! 佐助たちがいるほう!」

「どんな奴だ!? ……なに? 刀を持った少年と、編み笠をかぶった娘だと!?」


 柵に囲まれた小さな集落のいたるところから、おのなたたずさえた人間たちが、澪丸のほうへと駆けだしてきた。


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