第132話 華燭ノ典狂騒曲 九


「山吹……ちょいと……なんだいこの箱は」


 座敷の襖を開けたお内儀さんが顔をしかめる。


「あ、申し訳ござりんせん。牡丹殿の婚礼で使うものでありんす」

「そうかい。あんたがそうやってる間の揚げ代なら、例のお方からもらってるからかまいやしないが……まあほどほどにしなね」

「あい。なにかご用事でおりんすか?」

「ああ、やり手が忙しいからあたしが来たんだよ。その、あんたの例のお方がおみえだ。通していいね?」

「よござんす」


 あたしが声をかけると、またひょいっと顔をひっこめたお内儀さん。お忍び徳之進さんにも慣れたみたいで、もう声はバグってない。

 それからしばらくして、徳之進さんが座敷に入ってくる。

 他のお客さまなら急いで小箱を隠すところだけど、徳之進さんなら別だ。

 わざわざここに来たのも、きっとなんか用事があってだろうし……。


「山吹、世話になる」

「これはわっちこそ。今日はどうなさんした」

「うむ」


 下座にどさりと腰を下ろした徳之進さんが、ぐるりとあたりを見回した。


「なんとも……ああ、これが文で書いていた箱か」

「あい。さよでありんす。こうして無事に用意できなんした」

「よし、ついでであるから、今日はこれも引き取っていこう。私の用はな、こちらの準備が整ったということを伝えに来た。そちの命じた花や食事……すべて手配が終わったぞ」

「これはこれは。ありがとうござりんす。そのためにわざわざ?」

「なに、そちの顔が見とうてな」

「あれ、うまいことを言いんすな」

「本気も本気、大本気よ。いとしき鳥に顔を忘れられてはたまらぬ。私の籠の戸はいつでも開いておるぞ」

「まだまだその止まり木に止まる気はありんせんよ」

「つれないさえずりも心地よい。そうだ、梨木から文を預かっておる。私に文使いなどさせられぬ、とやつは逃げ回っておったがな。捕まえてやったわ」


 ははっと笑う徳之進さんを尻目に、あたしは心の中でため息をつく。

 梨木さんの胃、無事かなあ。てか、あいかわらず、胃を犠牲にしながら働いてるなあ……。


「文はこれだ。ところで山吹、その婚礼に本当に私が出てもいいのか?」

「もちろん。小夜姫殿らが来られるのならば、徳之進殿が来られるのも道理でありんす」

「そうか……礼を言う、山吹」

「なにを言うておりんすやら」

「いや、本当の話だ。慶事に出られるのは嬉しいもの。それがそちの友ならさらにだ」

「わっちも小夜姫殿に会えるのが楽しみでおりんす」

「なんと、私に会うのは楽しみではないのか?」

「あれ、妹御に悋気りんきでありんすか。まっことかわいらしきこと」

「やかましい。そちとともにいると、私はまるきりただの徳之進になってしまうようだ」


 気持ちよさそうに笑った徳之進さんが「酒を」と促す。

 宴は、夜遅くまで続いた――。


 ちな、梨木さんからの手紙には、食事の用意は大丈夫そうなこと、最近は胃が痛いの通り越して胃が潰れそうなので以前にあたしがあげた胃薬をまた用意してほしい、料金は払うから……っていうものだった。

 ……がんばれ、梨木さん。あと、えーと、ややこしいことに巻き込んじゃって、ごめんなさい……!




<注>

悋気:(特に男女の間での)やきもちです

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