第131話 華燭ノ典狂騒曲 八

「ほぅ……そたあことが……」


 小夜さんの騒動のことは伏せて、シチリア料理作りのために江戸城に上がったこと、そのときに徳之進さんに出会ったことを桔梗には説明した。

 そこでロッコさんと出会ったことも、それがきっかけで牡丹さんがチェスターさんと知り合ったことも。


「それで異人が牡丹花魁の身請けを……うすうす察してはおりんしたが……」

「世間が騒がぬように、表向きはやんごとなき方に身請けされたので、そっとみせを去ったことになっておりんす。桔梗殿も、そのように……」

「あい。承知いたしんした。それにしても、まるでお伽噺のような……うらやましゅうおりんすなあ」

「あれ、桔梗殿も身請けがうらやましゅうありんすか」

「それは……好いた殿御に落籍ひかされるのは誰でも望むことでござんしょう」

「わっちは……」


 言葉が途切れる。

 怪訝そうに桔梗があたしを見た。


「わっちは?」

「いな、なんでもござんせん」


 あたしはなにを言おうとしたんだろう?

 落籍される。ここから出ていく。

 誰かに好かれて。

「土浦に来ぬか」と聞いてくれた土屋さまの顔が頭に浮かぶ。あの言葉にうなずけば、それはすぐにでも叶うのかもしれない。

 そう思ったら、きゅん、と胸が締め付けられるような気持ちと、でもそれは、あたしの願うナンバーワンじゃないと思う気持ちが重なった。

 どちらも欲しいと思うのは欲張りなんだろうな。ナンバーワンってそんなに簡単なものじゃないから。

 じゃあ、じゃあ、あたしは――。

 不意に、あの髪結いが目の前に現れた気がした。


『…………』


 唇が動く、なにか言ってる、でも髪結いのその声は聞こえない。

 そうだ、確かにあたしは髪結いとなにかやりとりをした。

 でも、どこで?

 髪を結ってもらったときじゃない。

 もっとあたしと近い場所で話をした気がする――。


「いかがなさんした?」


 気が付いたら、怪訝そうな顔で桔梗があたしを覗き込んでいた。


「なにやら心ここにあらずな様子。体の調子でも悪うござんすか?」

「大事のうござんす。ちょいと……」


 あたしはふっと息を吐き出して、夢みたいな考えもついでに吐き出した。

 あの髪結いと、前に歌舞伎町で会ったことがあるなんて、ね。思い過ごしに決まってるよ。


「ちょいと、昔のことを考えておりんした」

「さよでありんすか。天下の山吹花魁のいま昔……さぞ艶めかしいことでありんしょうなあ……」

「あれ、からかいなんして。いやなお人でおりんす」


 あたしが桔梗をぶつ振りをすると、桔梗もくすくすと笑った。


「それでは、ほんにわっちが御城での婚礼に上がってようおりんすな?」

「あい。お内儀さんと御城の方にはわっちから話しまする。ただこのことは他言無用に。わっちが信ずる桔梗殿だから、ですえ」

「もちろんでおりんす。他言なぞ。ただ……」

「ただ?」

「椿もともに招いてはくだしんせんか。あれも小さいながら口の堅いいい娘。言わざると命じればそれこそ石のようにしておりんす。無駄口などしやんせん。わっちの末席でようござんすゆえ、どうか」

「頭を上げてくだしんす。さよでおりんすな、椿も良い勉強になりんしょう。桜と梅とともに席を作りんす」

「ありがとうござりんす。ところで、御城に上がるのに、衣装やなんやは……」

「あくまで牡丹殿の内々の婚礼でおりんすからな、わっちらはわっちらの晴れ着、この仕掛でようござんしょう。お内儀さんたちは黒紋付を着ると言っておりんした」

「ならば、わっち、せいぜい縁起のいい柄の仕掛を着てあがりんす。楽しみでおりんすなあ」


 そして、桔梗はその日のことを思い浮かべるようにして、にっこりと笑った。

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