第119話 異国嫁取物語 九~謎~

 その日、あたしは唐突にお内儀さんに呼ばれた。

 それはちょうど昼見世と夜見世の間の空き時間で、あたしは桜と梅に三味線の弾き方を教えていた。その手を休めて、あたしはお内儀さんのいる内所に向かう。

 内所に座っているのはいつものように渋い顔のお内儀さん。それに、御高祖おこそ頭巾ずきん目深まぶかにかぶって、口元まで覆っている女の人だった。

 ……あれ?なんか見覚えがあるような……。


「来たねえ、山吹」

「あい」

「本当ならあたしと亭主ですませることなんだろうが、この件にゃあ、あんたも噛んでるからね」


 って、もしかして……。


「ほら、頭巾を取りな、牡丹」


 やっぱり!!

 派手な仕掛じゃなくて、紺の地味な着物を着てるけど、この人牡丹さんじゃん! えええ、なんで? なんで?


「山吹花魁、久方ぶりでありんす……」


 見慣れていたのより少し痩せた笑顔が、そう、あたしに微笑みかけた。


「牡丹は異人に落籍ひかされた。それはあんたも知ってるね?」

「存じておりんす」

「だから今の牡丹はまったく自由の身さ。それが戻って来ちまったんだから、あたしゃあ腰を抜かすかと思ったよ。そのうえ、なんだい、もう一度巳千歳で使ってくれとな? そりゃあ牡丹はうちの三番だったから、戻ってくりゃあまた稼ぐだろうが、じゃあ落籍した異人にどう申し訳をつけたらいいものか、さすがのあたしも困っちまってね。ここはひとつ、二人を取り持った山吹の話も聞こうと思ったのさ」


 て言っても、えー?! マジ、えー?!

 チェスターさんとの結婚に気が向かない、そういうことならまだわかる。

 でもなんで巳千歳に戻ってくるの? なんでまたここで働きたいの?

 わかんないよ!!


「もちろんまた花魁になぞという贅沢は申しません。番頭新造ばんとうしんぞうにでも使ってくだしんす」


 頭を下げる牡丹さんを見て、お内儀さんが「お手上げだよ」というように肩をすくめた。


「牡丹はなにを聞いてもこれしか言わないんだ。異人にひどい目にあわされたのか、なにか不満があったのか、どう聞いても首を横に振るだけ。そりゃあ異人のさいなぞあたしらにゃあわからない苦労があるかもしれないよ。だがねえ、聞かず言わずじゃあこっちもどうしようもない」

「さよでありんすなあ……。そうだ、牡丹殿、なにかお困りなら、わっちがチェスター殿と話してみなんしょうか」

「なぜ?」

「わっちはエゲレス語ができまする。チェスター殿と牡丹殿の間に行き違いがありんしたら、橋渡しをしてみせんしょう」

「……いな……チェスター殿は、とてもいい方でありんす。行き違いも不満もありんせん。ええ……まっこと、いいお方……」

「ならば、どうして」


 牡丹さんが一瞬、泣きそうな顔をした。

 あたしの中のキャバ嬢の部分が、「これはチャンスだ」と告げる。

 いま、牡丹さんの気持ちは動いた。すこしかもしれないけど、迷いが、できた。

 もしかしたら話を……あたしと二人なら、話をしてくれるかも、しれない。


「お内儀さん、牡丹殿をわっちの座敷にあげてもようござんすか」

「……いいさ。今日は特別だ。夜見世がはじまってもあんたに客がついたことにしてやる。ああ、牡丹、あんたから金はとらないからね。安心おしよ」


 ぱっと見は怖い表情ばかり浮かべてるように見えるお内儀さん。でもその顔の下では、遊女の幸せも確かに考えてくれてるんだ。……お金儲けの次くらいに、にだけど。


「ほぉれ、牡丹殿、こうして許しも出なんした。ひとまずはわっちの座敷に来なんせ。ともに恋秘でも飲みんしょう」


 あたしは、まだ浮かない顔をしてる牡丹さんを、そう促した。





<注>

御高祖おこそ頭巾ずきん:女性用の頭巾。頭全体をすっぽりと覆い、かぶり方によっては口元も隠れます。時代劇で偉い女性がお忍びで現れるときによくつけている頭巾です。

番頭新造ばんとうしんぞう:容貌の良くない遊女や年季のあけた遊女が、花魁の身の回りの世話や渉外的なことをする立場の遊女になること。やり手とはまた違います。表向きは客と床入りをしないことになっていましたが、ひっそりとする場合もありました。


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