第107話 龍虎並立桔梗山吹 四~衣なやみ~

「はあ……」


 あたしは座敷中に広げた仕掛の山の中でため息をつく。

 昼見世に入る前の時間で、衣装比べに使う仕掛を選びたかったけど……正直、虎吉さんのあの舞を見てからだと難しい。

 豪華な仕掛はたくさんある。でもそれだけじゃ、あの舞で披露される衣装には勝てない。


「山吹どん、いかがなさんした」

「気ぶっせいなお顔。ご衣裳でお悩みでおりんすか」


 桜と梅が声をかけてくる。

 卓の上に置かれたのは、もう定番になったコーヒー。

 熱いそれに口をつけて、あたしは軽くうなずいた。


「虎吉は深川一との噂もある名妓。油断すれば足元をすくわれんしょうほどに」

「されど、山吹どんの仕掛はどれも見事でおりんす」

「あい。相手が深川一なら、山吹どんは江戸一でありんす」

「さよ申しんしてもなあ……」


 惣名主さんまで出てきちゃったんだ、最高の、最高以上の姿を見せたい。

 はじめは、お殿さまにもらった赤繻子地に金の火掻き棒柄の仕掛を着ようかと思ってたけど、それって結局お芝居の「今巴鉄火黄華鬘いまともえてっかっけまん」の人気に乗っかっただけって感じもしてきたし……。

 はあ。桜と梅の前では頼りない顔を見せないようにしてるから、心の中でため息をつく。

 なんかいいアイデア、ないかなー……。

 そのとき。


「山吹殿、ちょいとよろしゅうござんすか」


 もう耳に馴染んだ、あたしよりすこし低めの落ち着いた声が聞こえた。

 桔梗だ。


「よござんす。お入りなんし」

「入りんす」


 すすす、と衣擦れの音。


「衣装比べのこと、聞きなんした。こたあことになるとは思わず……申し訳ないことでござりんした」

「なんの。桔梗殿のせいではありんせん」

「されど……わっちにすけられることがありんせば、手助けしとうござんす」


 すこしだけ、申し訳なさそうな顔で桔梗があたしを見た。

 あたしも、お殿さまが暴走して桔梗に迷惑をかけたらこんな顔をするかもしれない。

 ……なら、ちょっと力を貸してもらっても……いいかな?

 じゃあ、申し訳ないけど桜と梅には出てもらって――姉女郎が困ってたらこの子たちはもっと心細いだろうし――よし、桔梗と二人きりで話をしよう。


「桜、梅、下がって三味線の稽古をしなんせ」

「あい、わかりんした」

「なんぞあればすぐにお呼びくんなんし」


 桔梗と入れ替わるように桜と梅が座敷を出ていくのを見送ったあと、あたしは桔梗に向き直る。


「桔梗殿、実のところ、わっちは迷うておりんす。豪奢な仕掛ならいくらでもありんす。ただ、粋で勝てるかと言いんせば……」

「確かに、粋というのは難しいものでおりんすな。ただ、羽織芸者の粋は女伊達の身振り。ならばわっちらはその反対を行けばようはござんせんか」


 あ、なるほど。いい案かも。


八朔はっさくの白い仕掛に、ほら、この前筆屋伊兵衛殿から寄越されたという、白地に南天の柄の帯。あれなどどうでござんしょう。ましろき中に赤がよう映えまする」


 ……それいい! 超いい!

 仕掛に柄がない分南天の赤が際立つし、花嫁さんぽい清らかさもある。ただ派手な着こなしじゃないけど、でも、誰もが目を惹かれるのは間違いない!


「これは桔梗殿、ありがとござりんした。その仕掛で考えまする」

「いないな。とは申しささんしても、虎吉も一流。それだけでは勝てぬやもしやんせんえ」


 え? どういうこと?


「ちょいと耳を貸しんしな」


 くいくい、と手招きするのに従って、あたしは桔梗に体を寄せた。


「それでの……わっちの……かんざし……貸しんして……これなら……勝てんしょう……」


 耳に入り込んできたのは意外過ぎる桔梗の申出。

 えー? いいの? マジで?

 あたしはその疑問をオブラートに包んで桔梗にぶつける。


「まっことよござんすか? それでは桔梗殿は損ばかり。有難き申出ではありんすが……」

「よござんすよ。山吹殿はわっちとお職勝負をする相手。羽織芸者になぞ負けられたら困りますえ」



<注>

八朔はっさく:八月一日。徳川家康が江戸城に入城した日で、この日は遊女たちは白無垢の着物を着ました。




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