第84話 小夜鳴鳥は囀らない 参

 小夜さんの悲しげな声を聞いて、あたしは心の中で反論する。


 そんなことない! 絶対にない! 幸せになるのにもったいないもなにもない!

 みんな、みんな、幸せになる資格は公平にあるんだよ?

 推しに会えただけでもあたしはあんなに嬉しかった。土屋さまとお会いしたとき、忠勝さまの子孫に会えたとき、世界がキラキラして、まぶしくてしかたなくて……。

 江戸城に上がるために忠勝さまの数珠柄の仕掛に袖を通したときなんか、誰にも負けない気がした。

 推しに会えるだけでそんなふうになれるんだから、それが好きな人との結婚だったら嬉しさが何倍になるか…予想もつかない。

 なのに、だから……そんなの、諦めちゃダメだよ!


 でもどうしたらいいの? どうしたら小夜さんに自信を持ってもらうことができる?

 あなたはこんなに素敵なんだよって説得することができる?


「小夜姫さま」


 あたしがそんなことを考えていたら、小柄で上品な中年の女の人が小夜さんのもとに近寄ってきた。

 あたしと同じように椎茸に結った髪と、渋い色の着物の取り合わせがすごくエレガントだ。将軍の妹の小夜さんにあれだけ近づいて話してるってことは、中臈ちゅうろうとか年寄としよりかな? それとも記録係的に近くにいるってことで祐筆ゆうひつ? うーん、さすがにこの辺の細かい階級までは詳しくはわかんないや。大奥にも推しを作っておけばよかったなー。大奥には男子がいないから、せめて将軍家に!


「あら、北邑きたむら……」


 小夜さんがゆったりと横を向き、その人の声に応える。

 明るい茶色の髪が光を跳ね返して、小夜さんはそんな仕草もとても綺麗だった。


「お客人も初めての奥でお疲れでございましょう。ひとまずこれでお下がりいただきませぬか」

「そうですね……北邑の言う通り……なぜ思い至らなかったのでしょう……わらわが気の利かぬ娘だから、御仏みほとけはわらわから声を奪ったのかもしれませんね……」

「小夜姫さま! 縁起でもないことをおっしゃいますな!」


 北邑さんが、抑えてるけどしっかりした声で小夜さんをたしなめる。

 とりま、役職ははっきりわからないけど、お付きっぽいこの人はちゃんと小夜さんを思ってる感じ。たしなめたとき、目がマジだったし。

 ならこの人にも協力してもらおう。一人より二人! 二人いれば確率も二倍!

 なんてあたしが考えてたら、小夜さんがはかなく笑った。


「御免なさい……わらわは気が弱くなっているようです……。山吹……今日はこれにて……。また明日みょうにち、話をいたしましょう……」


 え、ヤバい。これなんか逆効果じゃない?

 小夜さんよけい凹んでない?

 てか北邑さん、超怖い顔してこっちを見てるんですけど!

 誤解です! 誤解ですから!


 なにが誤解か良くわからないけど、あたしは心の中で必死に叫んでいた。





<注>

中臈ちゅうろう御目見おめみえ以上(将軍への目通りが許された身分)の大奥女中の階級です。将軍や将軍正室の世話を主にします。

年寄としより:中臈と同じく御目見以上の大奥女中の階級です。大奥女中の中では上から2番目で中臈より上の階級となります。将軍や将軍正室、将軍血縁者に附き従いました。

祐筆ゆうひつ:こちらも御目見以上の大奥女中の階級です。階級的には中臈、年寄よりはだいぶ下がります。その字の通り、書状や日々の記録を書く係でした。



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