第82話 小夜鳴鳥は囀らない 壱

 あー、もう、マジ困っちゃったなあ。この状況で「嫌です」なんて言える?

 そっか、徳之進さん、お兄ちゃんなんだ。あたしは兄弟はいないけど、現代では可愛い後輩がいたし、ここでは桜と梅がいるから、妹を心配する気持ち、わかるよ。

 わかるから……悔しいけど、こんなん、頼まれるしかないじゃん!


「わかりんした。詳しゅう話をお聞かせなんせ」

「引き受けてくれるのか!」

「そたあ嬉しそうにささんすな。わっちはまだ籠の鳥になる気はありんせんえ。ただ、妹の息災を祈る心はわっちにもようわかりんす。役に立てささんすならば、力を貸しんすのはやぶさかではないだけでござんすよ」

「左様か。すまぬ。礼を言う。では、早速だが小夜を……」


 徳之進さんが立ち上がった。

 小夜さんは徳之進さんの言いつけで庭を散歩しているらしい。

 あたしが徳之進さんの期待に沿えないような女かもしれないって思わなかったん?と聞いてみたら、「南蛮人と南蛮語で話すというだけで、つまらぬ女子おなごではないと思っていた」と爽やかに笑われた。……うーん、そんな単純でいいのかなー……。

 あ、それに。


「待ちんしな。さすがにこの姿では、小夜殿も驚かれることでありんしょう」

「あ、ああ、そうだな。まったく小夜のこととなると気がせいていかぬ。では物陰からならば……」

「よござんす」


 あたしは桜と梅の面倒を梨木さんにお願いしたあと、徳之進さんにうなずいた。


               ※※※


「あたしゃもう、なんて言ったらいいかわからないよ」


 場面はすっかり変わって、お内儀さんが、コンコン、と火鉢を煙管で叩く。

 徳之進さんのお城から帰ってきたあたしは、お内儀さんにことの事情を話してた。


「料理を作りに行ったはずが、公方さまの御城に入る御免状とはね……。あんた、その公方さまには尻尾なぞあるまいね?ちゃんと眉に唾つけて話してみたかい?」


 生真面目な顔で、あたしが狐とかタヌキに化かされてないか聞くお内儀さんがおかしい。まあ、気持ちはわかるけど。


「正真正銘、まっこと公方さまでござんしった」

「そうかい。それで、あたしに遠慮して公方さまのお話を断ったんじゃあるまいねえ?そりゃあ巳千歳うちはあんたがいてくれたほうがいいが、あんたはそれでいいのかい?自分の意地を通さないなんざ、あんたらしくないよ」

「いないな。わっちはここにいとうおりんす」

「そりゃありがとうよ。……まあ行く気になったらその御免状を好きなときに使いな。あたしもとやかく言うほど野暮じゃない。

 それにしても、どこぞの御大名と良縁を結んできなと言いはしたが、まさか公方さまとはねえ……あんたといると驚き疲れてそのうち驚くことがなくなっちまいそうだ」


 ちょっとだけ遠い目をしたお内儀さんが、ぷかりと煙管を吹かす。


「欲をかくとすりゃあ、公方さまじゃあ巳千歳うちの客にならないことだけが、すこしばかり残念だよ」

「さよでありんすなあ」

「だが、あんたが御城に上がる日には揚げ代は支払ってくれるんだろう?」

「あい。先ほど申しんした通り、昼と夜の揚げ代を支払いささんすゆえ、他言無用で頼むと、公方さまが」

「ああもちろん誰にも言わないさ。公方さまの頼みを断るなぞ、恐れ多くてばちが当たる。旦那にもうちのもんにもきちんと言って聞かせるよ。……しかし、まさかあんたがねえ……」


 お内儀さんがため息ともなんともつかない感じで息を吐いた。


「じゃあ公方さまのところに上がるときはあたしに言っとくれ。会所で切符を出させるからね」

「ありがとござりんす」

「礼はいいよ。それより」


 お内儀さんが言葉を切って、ぷかりと煙管の煙を吐き出す。


「あたしゃなんだかあんたが末恐ろしくなってきたよ……」



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