第59話 悪しき蒼い梅の季節 参

 ごくん。

 

 桔梗の喉が動くのが見える。


 石見銀山いわみぎんざんを飲んだあたしより、見ている桔梗の方が緊張してるみたいだった。


 あたしの中では、ただとくとくと心臓の音が鳴る。

 それを数えてた感じだと、3分?4分?

 桔梗が信用するには十分な時間。


「ほれ、どうでありんすか。わっちは血も吐きんせん、目も廻しんせん、この通り、見なんせ」

「まだわかりやしやんせん。毒が廻るのがこれからやも……」

「あれだけの量の石見銀山を一度に飲んで何も起こらぬと思うほど桔梗殿は無学ですかえ」


 切り口上で詰め寄るあたしに桔梗は「う」と顔をのけぞらせる。

 

 切れ長の目の中で黒い瞳孔がうろうろと動いて、まるで桔梗の迷いをそのまま表しているようだった。


「されど、もすこし……」

「ようござんす。海苔ばかり食べんして口が乾きんした。椿に頼んで白湯さゆを」

「椿、椿」

「あい」


 外に控えていた椿ちゃんがすっと襖をあける。


白湯さゆを持ちなんし」

「おいくつにいたしんすか」

「ひと……」


 言いかけた言葉を途中で止めて、桔梗がふっと息を吐く。

 そして、ゆっくりと言い直した。


「二つ……わっちと山吹殿の二人分、用意しんしな」

「承知いたしんした」


 それ以上は何も聞かず、椿ちゃんが座敷を出ていく。


 桔梗は、微笑っていた。


 お白粉越しにもわかるほど、頬を赤くして。


「……そたあ顔をいたしんすな。のう、わっちは思い出したんでござんすよ。

 山吹殿はわっちに生きるのも捨てたものではありんせんこと、教えてくだしんした。わっちごときを庇って、助けて」


 それにうでたての蕎麦の味も教えてくだしんしたな。と付け足して。


「それだけでも、わっちは冥土で閻魔に良い人生を生きられたと言えまする。嘘ばかりの女郎でもわっちの人生は捨てたものではなかったと。人間、死に際に笑えるかがいっち大事でありんすからなあ……」


 そして、桔梗は見たこともない無邪気な顔でくすりと笑った。


「それに何より、お職には二つ名が必要でござんしょう。なあに、鉄火山吹なぞ、石見桔梗いわみぎきょうがすぐに追い落としてみせますえ、まあ、見ておれ、でありんす」







<注>

白湯さゆ:特に指定がない限りお薬はコップ一杯の水か白湯で服用しましょう。

二つ名:何かに名高い人間の名前の前にその名高さを表す名称をつけること。遊女だと着物の丹前を開発した太夫の「丹前勝山」、高尾の名を継ぐ最高級の太夫だったのが義理を果たし紺屋の良い妻となった「紺屋高尾」が有名です。

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