第50話 一年を二十日でくらすいい男




 でかい。それが第一印象だった。


「七ツななつもり玄太夫げんだゆうと申します」


 その大男が名乗ると桜と梅がきゃあっと明るい声を上げた。


「相撲を取るのを生業なりわいとしておりまして、ようやっと大名お抱えになれたのですが、そこから勝てず……」


 相撲取り?!

 ああ、だからでかいのか。


 桜と梅が声をあげた理由もわかった。

 江戸時代、相撲取りと歌舞伎役者は花魁と並ぶ問答無用のアイドルだ。

 特に大名お抱えになるような相撲取りなら強い上に半分武士みたいなものだから、桜と梅はこのお相撲さんの名前を聞いたことがあるんだろう。


「まあ話の前に、七ツ森殿、ござんせ」


 ばさりと網を打つとお相撲さんは素直に頭を下げて下座に座る。


「まあ酒など一杯、その大きな体、いける口でありんしょう」

「いいえ!ここに来たのはそのような目的じゃあないんです!」


 ……遊郭でそのような目的じゃないって。

 あたしの頭の中を心中男がよぎる。

 どうしてこう、あたしのお客様には変なのが多いんだろう……。


「それではなにゆえ巳千歳に来なんした?茶を飲むだけとでも言いささんすか?」

「いや、茶もいりません」


 じゃあ何がいるんだ。


今巴いまともえと称された鉄火山吹様に稽古をつけていただきたく……」


 はあ?!


 心中男よりすごいの来ちゃったよ!!


 ムリ!ムリムリムリ!


 相撲とかマジ無理だから!技とかわかんないもん!!


「……わっちは花魁。本職の方につける稽古の技などござんせん」

「いいえ!松平様がうちの殿様に山吹様は素手でお侍を打ち倒したと話しているのを聞きました!」


 ……あのバカ殿……!!またおまえか!おまえか!


「ただの噂でござんすよ。松平殿もなにを申しんすのやら……きっと酔っておりんしたのでしょう」

「いいえ。いたってご正気でした」


 冷静に返され、あたしは頭を抱えたくなる。


「まあ、その噂がまことだったとしんしょう。されど、わっちは相撲の技なぞわかりんせん。ゆえに教えることもできんせん」

「技ではなく心構えの稽古をつけていただきたいのです!お抱えになる前は連戦連勝、土なぞついたことはありませんでした。それが禄をいただくようになってからすっかり勝てなくなり……お侍の刀に身ひとつで向かわれた山吹様ならなんとかしてくれるのではないかと……」


 ……あたしにもなんとかなる問題とならない問題があると思います。


 だいたい相撲って蹴りも殴りも禁止でしょ?

 あたしがいちばん得意なケルナグールが使えないじゃん。


「せっかくお抱えになれたのにこのままでは見切られそうなのです。このままお抱えでいられれば上得意になりますから、ぜひに、ぜひに!」


 そんな切々と訴えられてもなあ……と頭を下げる七ツ森さんを見下ろしていると、つん、と桜に袖を引かれた。


「山吹どん、わっちが口を出すのは生意気でおりんすが、どうぞお助け願いささんす」

「わっちからも。どうにもお気の毒でござんす……」


 ああ……桜と梅が完全にアイドルを見てる目だ……。 


 仕方ない。大名お抱えのお相撲さんが上得意になればまたみせの評判も上がるだろうし、話だけは聞いてみようかー。


「何か心当たりはなさしんすか、土がつきはじめたときのことを話してみなんし」

「ありがとうございます!」


 がばっと七ツ森さんが顔を上げた。

 ぶわっと風が来る。大男の圧、すげい。


「土がつきはじめたのはお抱えになってしばらく、殿の前でほかの大名の方のお抱え相撲取りと勝負をして負けたときからでした。それからは何やら勢いが出なく、それまでの勝ちぶりが嘘のようで……」

「ほぉ」

「土がつきはじめればもう止まりませんでした。自分でもなぜかはわからないのです。つねのように稽古をし、体にも気を付けております」

「ふぅむ……七ツ森殿は気の優しい方と言われやしやんせんか」

「なぜおわかりに?その通りです」

「気の優しいのは悪いことではござんせん。ただ、七ツ森殿は気の優しいのではなく、気が弱いだけかと思いんす」

「気が……弱い……?」


 怪訝そうな顔をした七ツ森さんの目の前に、あたしは不意にひゅっとかんざしを突き付ける。


「目を閉じんしたな。勝負なら負けておりんすえ」

「しかし、かように突然」

「わっちなら閉じんせん。生意気をされたとその手を引っ叩いてやりんす」


 あたしは簪を手元に戻しながら、七ツ森さんに語りかけた。


「それに、勝負の場でもさようなこと言えんすか。突然はやめい、手加減せえと頼みんすか」

「いや、それは……」

「それと同じことでござんす。きっと七ツ森殿はこれまで勝ち続け、恐ろしいと目を閉じることがなさんしたのでしょう。けれど殿さまの前で負けてしまい、気づかぬうちに勝負が恐ろしゅうなった。わっちはそう考えんす」

「山吹様は恐ろしいとは考えないのですか……?」

「さようなこと考えておりんしたら、いま生きてはおりんせんえ。勝たねば死ぬ。さよ思いなんせ。さすれば目を閉じることも減りんしょう。また勝てるようになりんしょう。禄のことを考えるなぞまだまだでござんす。いちばんいちばんに命を賭けるつもりで取り組みんしな」

「勝たねば死ぬ……」

「死ねば禄ももらえずおろくになるだけでありんす」


 ふふ、とあたしが笑うと七ツ森さんも笑った。

 よかった。いちおう今のはギャグだったんで。


「お抱えになるまで負け知らずでありんしたなら、目を閉じるのさえやめんしたらまた負け知らずになりんすよ。……気の優しいのと気の弱いのは違いんす。ほんに優しい人は強うありんすからなあ。

 あ、わっちは違いますえ?」

「いえいえ、評判通り強く優しき女性です。優しいのと弱いのは違う……目が覚めた思いです」

「ほんにそうでござんしょうか」


 あたしはまた簪を突き付けた。

 でも今度の七ツ森さんは大きくて分厚い手でそれを受け止めた。


「今度は目を閉じずに済みました」

「ようござんした。きっとこれからは勝てささんす。相撲の技なぞわからぬわっちの講釈、聞いてくだしんしてありがとうござりんした」

「それはこちらの言うことです。次勝てましたら今度は酒を飲みに参ります」

「あい。待っておりんすよ。……桜……?手形……?それは次にいたしんしょう」


 ひそひそ声で手形をいただいてくだしんせんか、と言ってきた桜をいなして、あたしはまた七ツ森さんに向き直る。


「うちの禿が手形を欲しがっておりんす。次は勝ってここに来て、記念の手形をくだしんす」





                 ※※※





それから七ツ森さんはまた負け知らずになり、桜と梅に手形もくれました。


どうであれ、おめでとさんでござりんす。だね。







<注>

一年を二十日でくらすいい男:江戸時代、相撲取りは一場所十日で二場所しかなかったので、それでもくらしていける羨ましさをこめた川柳です。相撲取りの代名詞でもありました。ただ、場所以外にも相撲を取ることはあったので実際の取り組み日数はもう少し多かったです。

相撲取りと歌舞伎役者はアイドル:ただし歌舞伎役者などの演劇関係者は遊郭では忌避され、登楼すら許されないことも多くありました。歌舞伎役者と床入れした高級遊女は軽く見られ、振った高級遊女は粋とみなされたということもあります。

心中男:心中男、現れる に出てきます。

あのバカ殿:山吹に夢中なちょっとアレなお殿様。お武家とキャバ嬢とお殿様あたりから山吹御前試合の巻までちょくちょく出てきます。

土なぞついたことはありません:相撲用語。負けることを土がつくと言います。

いちばん:相撲用語。一戦をいちばんと呼びます。

おろく:死体。死ぬこと。現代でも警察内での隠語で使われています。殿さまからもらう禄=給料とかけた山吹のギャグです。

手形:現代でもそうですが、相撲取りの手形は縁起物として扱われます。特に相撲が神事と近かった時代は魔除けなどとして大事にされました。

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